

翻訳されたアメリカ軍の記録を読み進めているところでした。
神戸へのパンプキン投下は京都への原子爆弾投下の訓練だったとか。
京都が原子爆弾の攻撃目標だったことも含めて、あまり知られていない事実は多いです。
知らないことが多いなら、まずとにかくたくさんのことを知るところから始めるしかありません。
パンプキンや原子爆弾のみならず、戦争の犠牲になったすべての方々へ、
被爆三世より哀悼の意を込めつつ。
ご支援ありがとうございます。
神戸の投下目標は原爆投下目標である京都の近隣都市であるという理由から選出されました。
日本各地が原爆投下の目標に選出された、或いは選出される見込みがあったという点で、広島長崎以外の都市の方にも原爆を「身近な問題」と考えてもらえるきっかけになればと考えています。














河北新報で知りました。戦争の記事はかなり読んだつもりでしたが、模擬原爆は初めて知りました。もっとメディアでも取り上げてもらいたいですね。頑張ってください!

西東京で落下地点に説明板を建てるよう要求しています。科学調査によって、正式名称の「Light Case」の意味が分かるかもしれませんね。頑張ってください。
ご支援ありがとうございます。
西東京の件も注目させていただいております。
本研究を通じて "Light Case" がどのような金属成分でできていたのか、詳細を解明できるように取り組んでまいります。

私の父は昭和3年生まれですが、特別年少兵として戦争に駆り出されました。すでに2年前にこの世を去りもう2度と戦争の実体験を聞くことは叶わなくなりましたが、生前は戦争の悲惨さについてもよく話をしてくれました。戦争の実体験者がどんどん少なくなる中、戦争をこのように科学的な視点で調査記録し、語り継ぐことは大変重要だと感じています。頑張ってください。
ご支援ありがとうございます。
戦後80年が近い今日において、当時の記憶を記録として残してゆく転換期にあると思います。
本プロジェクトを通じて、記録の継承に向けた一つの事例にできればと考えております。

8月6日、たまたまネットニュースで拝見し、地元の摩耶山に模擬原爆が落とされたことを初めて知りました。僅かですが調査に役立てば幸いです。
ご支援ありがとうございます。
また、ネットニュースをきっかけに当プロジェクトを知っていただき、ありがとうございます。
摩耶山に投下された爆弾が模擬原爆であったのか、この調査を通じて証明できるよう引き続き取り組んでまいります。






神戸新聞の記事で知りました。
私の実家は灘区、主人の実家は東須磨駅の近隣です。
戦時中の事とは言え、身近な出来事に驚きました。
陰ながら、応援しております。
ご支援ありがとうございます。
また、神戸新聞の記事も見ていただきありがとうございます。
神戸の身近な場所と模擬原爆の関係性は、私たちに様々な発見を与えてくれると考えています。
今後もこうした事実を多くの人に伝えていけるように、まずはプロジェクトの成功を目指して頑張ります。


8/3神戸新聞朝刊で活動のことを知りました。戦争の記憶を風化させないために、貴重な研究だと思います。頑張ってください。
ご支援ありがとうございます。
また、神戸新聞の記事を見ていただきありがとうございます。
今回のプロジェクトを通じて多くの方に模擬原爆の存在を伝えるきっかけにもなっているので、引き続き発信を続けてゆく所存です。

8/3の神戸新聞朝刊で神戸に模擬原爆が落とされたことを知りました。過去、現在、未来をつなぐ大切な活動だと思います。寸志で恐縮ですが、体に気を付けて、やりきってください!
ご支援、ありがとうございます。
また、新聞の記事をきっかけに模擬原爆を知っていただきありがとうございます。
過去の出来事を今明らかにすることで将来に記録を残していけるように、引き続き取り組んでいきます。



新聞記事で拝見し、ぜひとも協力させて頂きたいと思いました。戦後80年を前にここ数年、戦争の記憶継承に強い関心を持ってきました。
昨年8月には広島の式典に一般参列し、今年は長崎の式典に伺う予定です。原爆投下に至るまでの過程を振り返る中、模擬原爆の存在を知りました。
少しでも原爆投下への経緯について解明すべきとのプロジェクトの意義に強く心を打たれました。
報告会でさまざまなお話を聞けること、とても期待しております。
ご支援ありがとうございます。
また、新聞記事をきっかけにアクセスしていただきありがとうございます。
模擬原爆の研究は原爆投下部隊や原爆投下に直結する事項として、今後戦争の記憶を継承していく際にも必要不可欠と考えています。
良い結果が報告できるように、引き続きプロジェクトに取り組んでまいります。


東京新聞の記事を読み、賛同する次第です。SNSで応援も続けます。





頑張ってください!
福島市渡利にも、模擬爆弾が投下され当時の中学生が一人死亡したと聞いています。藍原さんの活動力には本当に驚かされます。これからもお元気でご活躍を‼️



私の住む県は原爆の投下候補地だったのでテストで模擬原爆が投下され事は知っていました 市は候補地なので空襲もされなかったこと、曇っていたので投下されずに済んだらしいことも 広島と長崎の惨劇は決して人ごとではありません
平和のための研究よろしくお願いします
ご支援、ありがとうございます。
パンプキンの投下目標は、原爆投下目標の近隣都市から選出された経緯もあります。
原爆投下は広島と長崎以外の都市とも深く関わりがあることを、後世にも伝えていけるように今後も活動を続けます。


頑張ってください!歴史の掘り起し、大変な仕事ですが、大きな意味があると思います。期待しております。


大阪では東住吉区にパンプキン爆弾の犠牲者追悼の集いが毎年7月26日に行われています。被害の検証や模擬原爆の存在を明らかにすることが原爆投下の計画性を明らかにし、後世に核廃絶の声を繋いで行く大切な取り組みだと思います。ぜひ解明を進めてください。
ご支援、ありがとうございます。
模擬原爆の記録を残すことで、核兵器の存在を考える際に必要な土壌を整えたいと考えています。
また、田辺の模擬原爆式典にも参列させていただく予定です。

毎日新聞7/12付の1面記事を読み、模擬原爆について初めて知りました。
未知の事実が解明され、広く一般に周知されるよう、関係者各位の努力が実を結ぶことを祈念いたします。
ご支援、ありがとうございます。
また、毎日新聞の記事をきっかけに本プロジェクトにご関心を持っていただき、ありがとうございます。
引き続き、本プロジェクトを通じて多くの方に模擬原爆の史実を伝えられるよう、活動を続けてまいります。

例え成果が少なくとも、先の大戦の米軍による空襲被害について積極的に調査することは、大変意義深いことです。
敗戦から79年が経ち、米国の傘下の日本は平和に慣れ、戦争を忘れてしまったようにも思えます。
一方でウクライナをはじめ、世界各地では今も戦争、紛争が絶えません。
人類は、戦争を放棄することはできないとも思います。
それだけに、(老人子供問わず)民間人が戦禍に晒され続けた歴史を風化させず後世につないでいくことは大変重要な活動です。
活動自体に、活動される方々の熱意に期待しております。
ご無理のない範囲で、どうぞよろしくお願い致します。
応援、ありがとうございます。
模擬原爆の記録を残すことで、空襲や原爆を後世に伝えてゆきたいと考えております。
ロシアウクライナ戦争が起こっている今日において、再び核兵器が利用されるリスクが高まりつつあります。
そうした中で、唯一無二の事例である広島・長崎に対する原爆投下や、それの準備過程である模擬原爆を見つめ直すことは、現在の国際情勢を見つめ直す際に身近で重要な「手掛かり」になると考えております。
今後も、模擬原爆の記録を残しながら多くの人に知ってもらえるように、活動を続けてまいります。




