1960年安保闘争は当時小学4年生。我が家に無かったTVを隣の家でその闘いを映像で見た記憶はあります。
いとこから闘争参加の「武勇伝」を直接聞きワクワクしました。1970年には国鉄に入社して職場で70年安保を闘いその時、国鉄当局の生産性向上運動に名を借りた組合破壊の攻撃と闘っていました。同時に職場の刑事弾圧事件により逮捕された仲間への支援と刑事事件無罪を訴え闘いました。1987年の国鉄分割民営化の攻撃の中で、今度は自らも刑事弾圧され、私は「犯罪への関与は少ないと」釈放されましたが、懲戒免職され、刑事弾圧事件被告と共に無罪と懲戒免職撤回闘争17年間、闘い抜き勝ち抜き復職しました。今回、いとこからこの会の開催のことを連絡受けた時、幼いあのとき(60年安保闘争)の闘いの様子を生き生きと語っていた、その姿に感動しましたことを思い出しました。警官隊に追われ、お堀に飛び込み逃げたこと、それだけでなくある警察官に救われたことなどなど…。社会が間違っていく方向にいこうとするとき、どんなに困難でも、勇気を持って言えるようにと教えられた気がしました。いとこから影響を受けたことが間違いのないことだと思いました。いまでもそれは私の心の中に生きています。それで賛同しました。
ありがとうございます。ご支援は元気を与えてくれます。60年も前の出来事ですが、当事者にとっては年月の経過は関係なく、常に現在であり続けます。私たちの父たちは戦争体験を語らず、亡くなっていきましたが、私たちは語り続ける責務があると考えています。ありがとうございました。
60年前から干支が一周し、今年も、かのえ・ね「庚子」の年。
庚=おわり・改める、子=始まり・増える。
・今までのことを踏まえて改め、現状に合った形に変更していく。
・次の波を創り始める。
・これまでを振り返りつつ、今後の道を10年といった長期のスパンで計画する年。
そんな意味を持つ変化が起こる年のようです。
自分の子ども達が生きていくこれからの60年を考える意味でも、60年前を振り返るのは意味があることだと感じます。
早速のご支援ありがとうございます。歴史を振り返るのは未来を考えるためといわれます。60年は長いようで短いものです。安保闘争の渦中にいた私はただ、目の前が見えるのみ、でもそのことが歴史を創ることに繋がったのです。
60年前の運動を意味あらしめるために有効に使いたいと考えています。
『この活動はその後ベトナム戦争の不参加など日本の安全保障の指針が決定される上でも影響を与え、そしてそれは現代にも続いていると感じています。』
この言葉は、重く、私の生活の中にあります。節分の日、雪深き越後より。
おはようございます。ご支援ありがとうございます。昨日のお話は非常に楽しく発見の多い内容でした。とくに「共同幻想としてのラグビーフットボール」は大きなテーマになりそうです。境界としてのオフサイドライン、ゲームを長引かせるための「ボール前投げ禁止」など、新発見そのものです。
募金の方法も探求され、ありがたいことです。第1号支援者です。これからがスタートです。またメール差し上げます。 里見哲夫