
素晴らしい資料館をありがとうございます!
先日は資料館にお出で頂き誠にありがとうございました。
さらに、今回はご支援を賜り重ねてお礼申し上げます。
史実を後世に伝えることが資料館の使命だと思います。
皆様のご期待に応えるように努力していきます。

織田信長の時代に、カトリックが伝来して、吉利支丹大名が日本に増え、吉利支丹使徒も増えていった。特に、豊臣秀吉の後期には、ある事件から、一部の悪しき外国人から領民(日本国民)を守る為に、吉利支丹弾圧が始まり、やがて、島原の乱に成り、更に、吉利支丹弾圧は強まり、各吉利支丹は各地に逃げっていった。秀吉の世から、徳川家康の江戸時代に成っても弾圧は続き、吉利支丹は東北にも逃れて来たのは、東日本大震災後に、岩手で、隠れ吉利支丹の遺跡が発見された報道で明確に成りました。織田信長の子や孫が吉利支丹となり、後に、信長の孫が高野山に向かったのは、高野山に密教とっ伴に、景教(唐代三夷教)の流れが在るから(震災後、摩尼教の宇宙石板も発見)だったのか?しかし、信長とっ高野山の戦いも有り大変だったでしょう。島原で、圧政が有り動乱に成りましたが、1人の絵師の奮闘は、正に歴史の一幕でしょう。また、聚楽第から追放とっ成った大名の中には、吉利支丹とっ成った人も(名だたるは、明智、伊達系統など)居た。吉利支丹神社は3つ在りますが、秀吉、家康の時代の歴史の名残りでしょう。宣教師、日本の姫とっマリア観音、家康の恋慕の韓国人女性のカトリックへの信仰は、正に、大明神とっ言えましょう。クロ宗なども。白衣観音像との習合は、各地の、マリア観音像(子安観音、子安マリア観音)との習合で、在るとおりでしょう。正に、帝の時代から、天下人の時代、そして、明治へと向かっていく時代の、日本の歴史なのですね。日本の神仏とっカトリックの習合も。これからの時代に、こうした様々な事で、様々な歴史が有った事を伝える事こそが、歴史の継承なのだと改めて思いました。活動を応援しております。頑張ってください!
この度はご支援いただきありがとうございます。
頑張ってください!
Ⅰkiさまご支援ありがとうございます。資料館充実のため大切に使わせていただきます。

久賀島の貴重な資料館が維持されるために
微力ながら協力させていただきます。
有機農園カミーノさまご協力ありがとうございます。頑張ります。
久賀島には旅行で訪れたことがあります。多くの人が久賀島を訪れてほしいと思います。応援しています。
ありがとうございます。非常に感激しています。開設して24日目、初めて応援していただけた方です。ありがとうございました。また是非、久賀島においで下さい。お待ちしております。