法律が成立するまでお互い頑張りましょう!!!!
皆さんで上京して訴えて来てください。いい成果があるといいですね。
ご支援ありがとうございます。国政を動かす運動にできるようがんばります。
三世の一人として、応援させていただきます。自分達の親世代である二世の方々のご苦労はマスメディアなどを通して見聞きしてきましたが、何もできないことにもどかしさを感じていました。少しでもお力になれればと思います。プロジェクト概要に記された皆さんのお言葉、お気持ちが実を結び、国会議員の皆さんに二世の声が届いて法改正にいたることを、心から応援しております。
ご支援ありがとうございます。三世の皆さんが抱える苦悩について、ドキュメンタリーや「不確かな血」を読むまではピンと来ていませんでした。世代を経るに従って苦悩は軽減されるものと勘違いしていました。帰国者が抱える苦悩は、帰国者側の問題ではなく、日本社会が抱える問題であり、私達の暮らしの問題だと気付きました。ありがとうございます。
沖縄で子どもに関わる仕事をしています。
この様な形で、困難さが継続していることを知り、申し訳ない気持ちになりました。
沖縄でも、戦後処理がきっちりと行われないことにより、今もたくさんの問題があります。問題の元は一緒だと思います。
一昨年は、長野県の満蒙開拓平和記念館を訪ね、帰還者からお話を伺いましたが、これからも学び続け、子ども達にも伝えていきたいと思います。
わずかですが、応援いたします!少しでも、生活が安心できる環境になりますように。
ご支援ありがとうございます。皆様からのご支援とメッセージは帰国者にとっても励みになります。
原貞子様、安達恵美子様、松崎保様、安部タマエ様、松永奉義様、西岡矩彦様、中西様、有馬精一様、中村留美子様からご支援いただきました。ありがとうございます。
頑張ってください!
ご支援ありがとうございます。あと39時間がんばります。
中国帰国者の皆さまの生活が少しでも安定するよう、一緒に頑張っていきましょう。応援しています。
ご支援ありがとうございます。ともに生きやすい社会に向けて。
頑張ってください!
いつもご支援ご協力ありがとうございます。福岡市が18歳と22歳の名簿を本人・保護者に無断で自衛隊に提供している問題について、もっと多くの市民に知ってもらい、考えてもらいたいですね。
馬奈木昭雄様、江上武幸様、日中友好協会久留米筑後支部様、赤裏健治様、井上博様、野田一好様、岩佐英樹様からご支援いただきました。ありがとうございます。
国を破滅に追いやった戦争指導者が何の責任も取らずに戦後その子孫まで栄華を極める一方で、愚かな国策の犠牲となり棄てられた民は何世代にも亘ってそのつけを払わなければならない。こんな不条理を放置してきたことが現在の日本を生み出してきたのでしょうね。立派なご活動に敬意を表するとともに微力ながら応援させてください。
その通りだと感じます。責任を取るべき人が責任逃れをする空気は今も続いているように思います。ご支援ありがとうございます。
微力ですが応援します。
ご支援ありがとうございます。いつもありがとうございます。
入力方法がよく分からず遅くなってしまいました。
私の両親も戦前朝鮮や満州に行っていました。私は戦後生まれですが、次姉は昭和19年満州国生まれ、兄は昭和21年8月中華民国生まれです。昭和21年11月に引き揚げてきましたが、乳児を含む3人の子を連れての船旅は大変危険だった言っていました。二人の姉も兄も残留孤児の方たちと同じ世代で、とても他人ごととは思えない気持ちです。2世の方たちが私たちと同じように日本で暮らせることを望みます。
ご支援ありがとうございます。他人事と思えない、まさにそうですね。国家に運命を翻弄されるような世の中にしてはなりませんね。帰国者の講演会や勉強会も企画して、平和を守り続けたいですね。
街頭デモには参加できませんが、
皆さまの平安をいつも祈っております
ご支援ありがとうございます。温かいメッセージありがとうございます。
ケニア在住32年の早川千晶と申します。両親が牡丹江生まれ、終戦時に父7歳、母4歳でした。祖父母から逃避行と難民生活、引き揚げ経験について聞いて育ちました。そのため私は大学時代に中国帰国者の会に入り、帰国者とその家族に日本語を教えたり、バザーで餃子を作って売ったりなどのボランティア活動に参加しました。その後、ケニアのスラム街で孤児救済の学校マゴソスクールを作り現在に至りますが、私のアフリカでの活動の原点には、両親と祖父母の経験が根底にあります。祖母は逃げながら8/15に出産し、2人の祖母は強姦を逃れるために髪を剃り落として隠れている間、7歳の父が家族の食べ物を得るために街に出てポン菓子を売り歩いたそうです。それでも、自分よりも悲惨な孤児の姿を見て、売り物を全て空腹の孤児にあげて、泣きながら帰ってきたという話を何度も祖母から聞きました。
私が高校生の頃に日本では残留孤児の家族探しが始まると、祖父母は、目を皿のようにして知った名前を探して新聞を隅から隅まで眺め、毎日涙していました。その4人の祖父母も母もすでに亡くなり、83歳の父は満州の記憶だけは未だにはっきりとしています。
博多の祖父と最後に会話した時、私は大学1年生でしたが、祖父は、いま生きていられるのは助けてくれた中国の人たちのおかげだ、中国に決して足を向けて寝られないよと言い、そして、命からがらやっとたどり着いた日本で、まさかあんなに冷たくされるとは思わなかったよ。と言いました。その言葉が今も脳裏に焼き付いて離れません。
言葉に尽くせぬ苦労をしてきた残留孤児の皆さんとそのご家族が、故郷に受け入れられ、優しい人たちに出会うことが出来ることを心から願ってやみません。そして、この歴史を風化させることなく、次世代にも伝えていくことが大切だと年々強く感じており、私も伝えていく努力を続けていきたいと思います。
ご支援そして温かいメッセージありがとうございます。
戦争は悪いことですが、仮にその良し悪しを無視しても、当時の日本は外国に日本人を移民させたり、外国の人を日本に連れてきたりする資格がない国だと感じます。国民を「満洲」に移民させておいて、連れて帰らない。挙句の果てに死んだことにする。朝鮮の人を日本に連れてきておきながら、帰国の道筋をつけないまま日本国籍を奪う。外国と関わるというのはその先に生じる責任もうけおうということなのに、そんな先のことを考えないまま目先の利益で行動し、責任を取らない。そして、その犠牲になるのは女性や子ども達。
この国の姿勢は今も根本は変わっていないように感じてしまい、日々怒ってばかりです。
ケニアからご支援ありがとうございました。
ケニアの話を伺えるのを楽しみにしています。
知人が息子さんに迷わず『一心』と名付けました。遠い問題ではなく、自分達の問題だと思っています。
「一心」いい名前ですね。僕も子どもの名前をつける際は、中国の方が読んでも希望を感じる名前であることを意識しました。この問題、社会の温かさが試されている、まさに自分たちの問題ですね。ご支援ありがとうございます。
一番多額の予算が交通費となっていて全国から元孤児やご家族の方が集まられるのでしょうか。
元孤児の方々の苦難を思うとずっと寄添い支援してくださる方がいることに安堵します。本当にありがとうございます。
これをきっかけに引き続き注目していきたいと思っています。
残留孤児の方々は帰国後全国各地に散らばっています。身元が判明し故郷に帰れた方や、身元が判明したけど故郷に帰れなかった方、また、未だに肉親が見つからない方など様々です。
帰国者の多くは帰国後生活保護を受けながらひっそりとした生活を余儀なくされ、帰国者間の横の連絡が取りにくい状況になっています。
ただ、その中でも、九州では、福岡県や佐賀県、長崎県の帰国者達が中心となって早い段階で帰国者の会を結成し、現在も活動を継続し、餃子の会など定期的に集まる機会をもつことができています。
もっとも、全国すべての地域でこのような活動が続いているわけではなく、中には孤立している方もいると思われます。
各地の弁護士会や日中友好協会、大学の研究者らも協力して帰国者達の権利回復の活動を続けている地域もあり、今後は、九州の帰国者の会を中心に、全国の帰国者の会と連携して、支援法改正に向けたロビー活動などに取り組み、全国規模の運動へと盛り上げていこうと思います。
ご支援ありがとうございます。
何もできませんが、応援しています。
クラウドファンディングへの導入の仕方が不十分だと感じました。私自身、どこからどうしたらいいのか、ちょっと戸惑いました。もっと宣伝・拡大させる方法を工夫した方がいいかも知れません。
ご支援ありがとうございます。
ご指摘のとおり、この問題に関する支援のお願いについて、社会全体に広くお伝えするには至っていません。方法を模索しているところです。
今回は、ほとんど私個人のFacebookやTwitterでのつながりからの拡散となっていますので、やはり限界があります。
私が所属している日中友好協会の会員や帰国者自身が発信できるようにSNS講座などもしなければならないと考えています。
また、法改正を担う国会議員に対し効果的にこの問題を使えていくためのツールを、今回集まった寄附をもとに構築したいと思っています。
貴重なアドバイスありがとうございます。