![日本人の心の源流・神社文化を日本語英語のバイリンガルで世界に発信](https://readyfor.jp/rails/active_storage/representations/proxy/eyJfcmFpbHMiOnsibWVzc2FnZSI6IkJBaHBBN3JaREE9PSIsImV4cCI6bnVsbCwicHVyIjoiYmxvYl9pZCJ9fQ==--bda1a09eb6d2ad33c5c87b6c992e5b49e96ee695/eyJfcmFpbHMiOnsibWVzc2FnZSI6IkJBaDdDRG9MWm05eWJXRjBPZ2wzWldKd09oTnlaWE5wZW1WZmRHOWZabWxzYkZzSGFRSndBV2tCenpvS2MyRjJaWEo3QmpvTWNYVmhiR2wwZVdscCIsImV4cCI6bnVsbCwicHVyIjoidmFyaWF0aW9uIn19--8d668afe939199546b5f9174d1b38a1087ac45e6/p139672-sub-visual.png)
日本人の心の源流・神社文化を日本語英語のバイリンガルで世界に発信
- 支援総額
- 3,300,000円
- 終了日
110%
伊太祁曽神社は和歌山県和歌山市に鎮座する神社です。
主祭伸神としてお祭祀りするのは五十猛命(いたけるのみこと)という神様。この神様はヤマタオオロチ伝説神話で著名な神様である素戔嗚命((すさのうおのみこと)の御子神であり、我が国に樹木を植えて廻った「木の神様」であると『日本書紀』に記されています。また『古事記』では大国主神の生命を救った「いのち神」であるとも記されています。
伊太祁曽神社の創建がいつのことかは記録が散逸しているため分かりませんが、正史である『続日本紀』の大宝2年(西暦702年)には記載があり、この頃に存在していたことは間違いありません。一説には第16代垂仁天皇の頃には現在の鎮座地に近い別の場所に鎮まっていたとも伝えられており、約2000年前には存在していたとも言われています。
今回「日本人の心の源泉・神社文化を日本語英語のバイリンガルで発信」を開始いたします。