支援総額
目標金額 300,000円
- 支援者
- 38人
- 募集終了日
- 2019年2月19日
【大聖寺藩の歴史~その2~】
「大聖寺藩士は江戸時代『松飛様御家中』と呼ばれていた!!」
わたしたちが「大聖寺藩」、「前田藩」、「薩摩藩」、「長州藩」なんていうぐあいに、当たり前に使っている「藩」という言葉は、江戸時代には全く使ってなかったのだそうです。ですから、江戸時代に大聖寺に住んでいた人々は、「大聖寺藩」とか「前田藩」という言い方を一切していなかったのです。
「藩」が行政区分の呼び名として使われるようになったのは、実は明治時代になってからだそうです。1868(明治2)年に明治新政府が没収した土地のことを、大名の住んでいた所の地名をもって「××藩」と呼ぶようになったのが、そのはじまりです。
それでは、江戸時代まで、「大聖寺藩」のことは何と呼ばれていたのでしょうか?大聖寺藩の初代藩主利治(としはる)の父は、金沢藩三代藩主利常で、母は珠姫です。そして母の珠姫は二代将軍徳川秀忠の娘ですから、利治は将軍秀忠の孫なのです。
その関係から前田家には「松平」の姓が授けられていました。ですので、江戸時代の人々は、大聖寺の殿様を「前田」ではなく、「松平」の殿様と思っていました。また当時は大名の名前を呼ぶ場合、姓と「官名(受領名)」がセットで使われていました。「官名(受領名)」とは、朝廷が幕府を通じて大名に与えていたもので、大聖寺前田家は歴代「飛騨守(ひだのかみ)」や「備後守(びんごのかみ)」を授かることが多かったようです。(従四位下に相当する官名だそうです。)そのことから、ふつう大聖寺藩の歴代藩主は、松平の一字「松」と飛騨守の一字「飛」を合わせて、「松飛様」と呼ばれていました。また、大聖寺藩士たちは、「松飛様御家中(まつひさまごかちゅう)」といわれたのです。(2012年度加賀市観光ボランティア大学第15回講座 「大聖寺藩いいとこつかみどり」における江沼地方史研究会・伊林永幸先生のご講演をもとにまとめました。)
リターン
2,000円
2000円コース
「加州大聖寺藩参勤交代うぉーく2019」
・参加資格
・リーフレット
・お礼の手紙
- 支援者
- 7人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2019年3月
5,000円
【芳月堂×加賀聖城高校生】5000円コース【和菓子がもらえる!】
・「おかし処芳月堂」と加賀聖城高校のコラボ和菓子(5ケ)
「加州大聖寺藩参勤交代うぉーく2019」
・参加資格
・オリジナル手ぬぐい
・リーフレット
・お礼の手紙
- 支援者
- 15人
- 在庫数
- 完売
- 発送完了予定月
- 2019年3月
5,000円
【追加分】5000円コース【芳月堂×加賀聖城高校生】
・「おかし処芳月堂」と加賀聖城高校のコラボ和菓子(5ケ)
「加州大聖寺藩参勤交代うぉーく2019」
・参加資格
・オリジナル手ぬぐい
・リーフレット
・お礼の手紙
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 8
- 発送完了予定月
- 2019年3月
10,000円
【芳月堂×加賀聖城高校生】10000円コース【豪華詰め合わせ】
・「おかし処芳月堂」と加賀聖城高校のコラボ和菓子入り詰め合わせ(10ケ)
「加州大聖寺藩参勤交代うぉーく2019」
・参加資格
・オリジナル手ぬぐい
・リーフレット
・お礼の手紙
- 支援者
- 17人
- 在庫数
- 完売
- 発送完了予定月
- 2019年3月
10,000円
【追加分】10000円コース【豪華詰め合わせ】
・「おかし処芳月堂」と加賀聖城高校のコラボ和菓子入り詰め合わせ(10ケ)
「加州大聖寺藩参勤交代うぉーく2019」
・参加資格
・オリジナル手ぬぐい
・リーフレット
・お礼の手紙
- 支援者
- 0人
- 在庫数
- 5
- 発送完了予定月
- 2019年3月