ウクライナ難民学生と一緒に東京マラソン2025を走る!
「ウクライナ難民学生と一緒に東京マラソンを走る」プロジェクトに温かなご寄付を頂いた皆さま、改めてお礼を申し上げます。
3月3日(日)、東京マラソンが開催され、38,000人のランナーと共にウクライナからの避難民の女子学生クセニアさんと、東京女子大の谷川さんが出走しました。僕も応援で参加しました。
前日まで
クセニアさんは福井市に在住のため、二日前に東京に来て、3人でビッグサイトで出走登録をしました。「ウクライナのために走る」というタスキを付けてモチベーションを上げました。

その後、新宿都庁前のスタート地点に行き、スタートの位置を確認しました。スタートは波状スタートで、速いランナーのためのAグループから遅いランナーのためのL グループに分かれます。谷川さん(と僕)はHグループでしたが、クセニアさんはなぜかKグループになっていました。そのため当日の出走後に落ち合う地点も確認しました。
夕刻にはケア・インターナショナルのチャリティランナーとして参加するランナーのための 歓迎会(東京駅近く)に3人で向かいました。60人ほどの出席者の多くは外国人参加者でしたが、クセニアさんと谷川さんはタスキ姿を披露して、参加者に大変好評でした。
当日
当日は好天に恵まれましたが、冬としては暑かったと思います。前日に落ち合い地点と決めていた地点では、立ち止まることが禁止され、残念ながら3人はそれぞれのスピードでは走らざるを得ませんでした。マラソンでは必ず想定・予期せぬことが起きますが、今回は3人で一緒に走ることができなかったことがその一つです。もう一つ、3人がタスキを付けて走るアイデアがありましたが、タスキが大きすぎてゼッケンが見えなくなるので直前で諦めたことがあります。
その後も想定外が起きました。クセニアさんは残念ながら、11キロ地点での第2関門(定められた時間以内に通過しなければならないポイント)に引っかかり、失格してしまいました。この関門は引っかかるランナーが意外に多いところですが、3人が別々に走ったため、クセニアさんにその危険を伝えることができませんでした。
僕は21キロ地点でひどい足のつりに見舞われ、救護所で手当てを受けたものの、回復せず、途中棄権せざるを得ませんでした。20回ほどフルマラソンを走っていますが、ハーフポイントで棄権したのは初めてで、当日の暑さが原因だったのか、原因は不明です。クセニアさんと僕はそれぞれ失格・棄権ランナーのためのバスで東京駅まで運ばれました。
谷川さんは無事完走しました。初マラソンで5時間40分ほどという好記録です。3人の内のただ一人の完走者です。皆でお祝いをしました。


その後
今回、3人が完走するという目的は達成できませんでした。クセニアさんにとっては、アメリカがウクライナ支援から手を引くという悪いニュースが流れる中で、祖国のために走るという決意が関門に引っかかるという予想外のことで実らず、とてもショックを受けていました。それでも、翌日は元気を取り戻し、笑顔で福井に向かいました。今後もランニング/マラソンを続けるそうです。
ウクライナと日本の学生がウクライナのために走るという今回のプロジェクトは、初めての企画であり、当日には想定外のことが続きました。しかし、クセニアさんと谷川さんは練習風景をSNS(ソーシャルメディア)で発信したり、ウクライナ支援のためのセミナーに参加して発信をしたりと、主体的に活動してくれました。彼女たちの活動はケアのSNSでも広報され、ウクライナの受難と、それを助ける人々、そして何よりも苦難に立ち向かうウクライナの人々の勇気を伝えてくれました。彼女たちは、今後もケア・インターナショナルジャパンのウクライナ支援プログラムのアンバサダーとして活躍してくれると思います。
ウクライナの人々にとってはとてもひどい状態が続いています。公正な解決と平和が戻る見込みはまだありません。クセニアさんに笑顔が戻ったように、ウクライナに本当の平和が戻ることを希望しています。皆さまのご支援はそのような希望を支えてくださいます。あらためて御礼を申し上げます。
なお、頂いたご寄付は、すべてが今回のプロジェクトに使われました。タスキなど予定外の支出はケア・インターナショナルと滝澤が負担しました。また、ご寄付へのリターンについては、発送が完了しております。
今後について
今回のプロジェクトはこれで一区切りがつきますが、難民と日本人の学生が一緒にマラソンを走るというコンセプトはユニークなものであり、今回のプロジェクトを反省することで、今後の方向性について考えていきたいと思います。活動報告で引き続きお知らせしますので、今後も皆さまからのご理解とご支援を頂きたく、よろしくお願い申し上げます。
















