ご好評により本プロジェクトのマッチングギフトの支援額は満了致しました。
みなさまの引き続きのご支援をお願い致します。

 

目標金額を達成したこのタイミングだからこそ素直な気持ちをもう一度、書こうと思いました。

 

数あるREADYFOR?のページから本プロジェクトへのアクセスをありがとうございます、実行者の吉高美帆です。

 

 

私の故郷は福島県相馬市、海も山も近く太平洋の強い風がとても心地よい田舎町。


果物や牛肉に漬物、とくに海の幸は絶品でホッキ貝を使用した「ホッキ飯」、鮭の腹と子を使った「はらこ飯」は格別です。

 

 

それらが全て過去形になった、3.11を忘れることができません。

 

 

もともと地元愛が強い方ではなく、就職で東京へ移ったどこにでもいる若者。


そんな私が、なぜ本プロジェクトの実行者として立ち上がることを決めたのか、少しだけお話しさせてくださいね。

 

 

2011.3.11、私は都内で休暇を取っていました。
凄まじい揺れに驚き外へ出ると、人々が「東北だ!東北だ!」と叫んでいたのを今でも覚えています。

 

父母は相馬市、弟は仙台市で被災したそうで家族は誰一人として一緒にはおりませんでした。

 

帰宅難民となった私に追い打ちを掛けたのは、翌朝のニュース。
相馬市松川浦の上空だというヘリコプターのリポートには、どこまで行っても海しか映りません。

 

「原子力発電所が危ないから、今は帰って来ないでね。」
母、精一杯の気遣いでした。

 

 

心が動いたのは、弟が東京へ避難することとなり母と3人での再会ができた頃。


「とにかく命が無事で良かった」と呪文のように繰り返す母を見て、故郷のひっ迫した状況が安易に想像できました。

 

 

「相馬は毎日を生きるのに精一杯、近所の子どもたちも瓦礫や汚泥の処理を手伝うのが日課なのよ。
でも大丈夫、みんな元気だから。なるようにしかならないねって励まし合って生きてるの。」

 

 

『俺、裏切者じゃないか。』
普段は大人しい弟が声を荒げ、目にはうっすらと浮かぶ涙。

 

 

私の原動力は、その一言なのです。


被災地出身というだけで不憫に思われる一方で、故郷で頑張る仲間と苦労を共にすることもできない。


まさに裏切者なのではないか、という念に押し潰される寸前でした。

 

 

一筋の光となったのが、震災前から「都市に共助の地縁をつくる」活動としてスタートしていたCommunity Crossing Japan

 

もとよりキーワードにしていた「共助」が「防災・減災」にこそ必要なのではないか。


東北の復興支援につなげながら、都市の防災・減災のために「よき避難者」を作ろう。

 

こうして私は素晴らしい仲間に支えられながら、故郷を想い活動を始めるのでした。

 

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