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「防衛技術博物館を創る会」のマンスリーサポーターを募集します!
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東京活動報告会は無事終了いたしました♪
8月12日(土)18時より、渋谷駅至近の貸会議室にてNPO法人防衛技術博物館を創る会の第二回東京活動報告会を開催致しました。
台風6号と7号の隙間をついての開催となりましたが、お盆休みにも関わらず60名以上の参加者にお運び頂きました。猛暑の中でのご来場ありがとうございますm(__)m
今回は最終コーナーを回って、博物館設置まで突っ走るだけとなった現状を踏まえて、会場ではオフレコトーク全開で、質疑応答にもすべてお応えするスタンスでお話させて頂きました。
その中でも、特にみなさんが真剣に耳を傾けてくださった、里帰りを果した九五式軽戦車4335号車の製造番号特定についての裏話と、活動報告会開催時点で現在進行形の製造銘板復元プロジェクトについてです。その内容を今回の新着情報で文章に残しておこうと思います。
英国里帰り時に取り付けられている製造銘板は、ボービントン戦車博物館に所蔵されている三菱の製造図面(青焼き)や、戦時捕獲車両の資料写真から復元されたモノであり、戦前生産の初期型車両のモノになっております。
上記写真の左がミクロネシア連邦ポナペ島で、たった一枚のみ発見回収された後に、数奇な運命に導かれて手元に届いた製造銘板です。「53」はマ 大 〇 4337と刻印が読み取れます。右側はオリジナルエンジンで走行可能なもう一台の米国所在のハ号の銘板です。同じく「53」はソ 大 〇 5092と読み取れます。
ポナペ島には2つの戦車部隊が所在しており、そのうちの一つ独立混成旅団戦車隊(中隊長村澤清信大尉以下63名)は昭和18年11月に編成完結。その際に新車の九五式軽戦車9両を受領したのち昭和19年1月にポナペ島へ到着との記録があります。
里帰りを果した我々の九五式軽戦車は、デファレンシャルや操行措置に「4335」という刻印が複数あり、これが車体番号(製造番号)ではないか?と想像されました。しかし、九五式軽戦車の生産台数は2300台程度であり、通し番号としては辻褄が合いません。しかし、この4337号車のオリジナル銘板が発見されたことにより、4335号は製造番号(車台番号)であったことが想像から確信に変わったのです。
こちらがオリジナル4337号車の銘板を元に復刻した、後期型の製造銘板です。最初の「53」は皇紀の末尾一けたに50を足して暗号化したものです。したがって皇紀2603年(昭和18年)製造と判明。「はマ」の「は」は相模造兵廠、「マ」は三菱重工です。ちなみに米国の「ソ」は神戸製鋼。
これらの情報はファインモールド鈴木社長からの提供で判明しました。真ん中の「大〇」は現状不明です。
このようにして比較検証することで、これまで謎だった日本製車両の謎が少しづつ明らかになってゆくのは嬉しい限りです。これらの情報も里帰り実現したからこそですね。
コツコツと検証作業と修復作業を進めて参りますので、引き続き皆さまのご支援をお願い致します。
実行者:小林雅彦