‌インドに滞在中は「他人に何かを与える機会」が急増します。道を歩いていると物乞いの老人や子供が寄ってくるのは当たり前、観光地へ行けば英語や日本語を流暢に話す若者に身の上話を聞かされ、寄付を求められることもあります。物乞いや子供たちは10ルピー(約15円)も渡すと喜んでくれますし、ポケットに小銭を入れておいて機会あるごとに配っている外国人観光客もよく見かけます。しかしその行為は本当に相手を助けることになるのかとつい考えてしまいます。人間は自分のためにお金を使うより、他人のために使ったほうが幸福感が増すという統計学の実験結果があります。また、他人に施しをする行為によって自らの業を浄めることができると信じる人たちも少なからず居ます。つまり私たちは他人に何かを与えることに幸せを感じるようです。しかし、自らの利益(幸せ)の為に行う支援は本当に正しいのか、、、それが相手にも利益をもたらすとしても、そう判断しているのは自分であり実際にはそうではないかもしれない。布施は仏教の教えでは修行のひとつとされています。私はこれまで単純に、お金に執着する心を手放す訓練として布施をするのだと解釈していました。しかしどうやらそれだけではなく、人に施しをする時はその行為そのものより、その行為の動機となる心(意図)が試されるという意味があると思うのです。執着を手放し自由になる機会であり、その上幸せまで感じられるという支援という行為。しかしそれが相手の利益になっているかどうか、もしかするとお金ではなくもっと他に必要な支援があるんじゃないかと思いやる心を欠くと、それは反対に自分のエゴを強めてしまいかねないと思うのです。支援をお願いしている立場でこんなことを書くと逆効果になりそうですが、、、支援する立場にある自分への戒めとして記録しておきたいと思います。
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