クラフトビールで人々を繋ぎ、郡山駅前を笑顔で溢れる場所にしたい!
クラフトビールで人々を繋ぎ、郡山駅前を笑顔で溢れる場所にしたい!
クラフトビールで人々を繋ぎ、郡山駅前を笑顔で溢れる場所にしたい! 2枚目
クラフトビールで人々を繋ぎ、郡山駅前を笑顔で溢れる場所にしたい!
クラフトビールで人々を繋ぎ、郡山駅前を笑顔で溢れる場所にしたい! 2枚目

支援総額

4,035,000

目標金額 3,500,000円

支援者
257人
募集終了日
2024年4月30日

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2024年04月19日 18:24

これだけは是非読んで欲しい、代表の本間から想いを伝えます!~前編~

これだけは是非読んで欲しい、代表本間の想いを伝えます.png

お陰さまで本日時点で147名の方々からご支援いただき、

現在63%達成、総額223万円を達成しました!!

 

ご支援頂いた皆様、本当にありがとうございます。

これも偏に、地元郡山商業圏の皆様をはじめ、数えきれないほど多くの方々が日頃より弊社のビールを楽しんでいただき、応援して下さっている積み重ねが形となったものだと思います。

 

そんなホップジャパンを一緒に盛り上げて頂いている皆様に、代表の私、本間がなぜこの事業を始めたのか、これからどういう未来を描いていきたいのかについて、創業するに至った歴史を紐解きながら是非お伝えさせてください。

 

*****

 

私は仙台で起業し、大手ビール会社とは別にクラフトビール醸造所向けの国産ホップを作る事業からスタートしました。その後、福島県田村市でホップ栽培からブルワリーまでを一気通貫で行う構想が立ち上がり、夢実現のため一念発起し移住してきました。

 

かつては葉タバコ栽培が盛んだった田村市。たばこ産業が縮小していく中でもう一つの産業を興そうとホップを栽培し、そのホップを使ったクラフトビールを醸造することで田村市の新たな産品をつくり、新たな雇用も生み出す。 

 

今ではクラフトビールが自治体と連携し地域活性化に向けて取組む事例は増えてきていますが、当時は地産ホップを育てビールを作り、地域の産業を盛上げる取組みはまだ珍しい状況でした。 

 

クラフトビールとその原料に着目し、全国に先駆けて夢のある事業を決断して頂いた田村市の判断は先見の明があり、その期待に応えるべく、先ずはホップ栽培に取組んで頂ける農家を探しました。

 

ところが、かつて一大生産地であったものの既に途絶えて何年も経っていた福島の地で、新たにホップ栽培を行ってくれる人は無く、途方に暮れる日々でした。

 

救ってくれたのはこのプロジェクトを進めてくれた時の副市長、鈴木さん。

ちょうど勇退されたのを機に、鈴木さんの近所で脱サラをして農業を始めたばかりの新田さん、市で産業部長を務められた山口さんも地域の活性化のためにと決断して頂き、3人で始めてくれたことでなんとか前に進めることになりました。全てゼロからのスタートでした。山形の当時のホップ組合長に何度も何度も足繁く通い、いろんな文献を熱心に調べ、努力していただいた結果、良質なホップが採れるようになったのです。

 

【左:鈴木さんの奥様 右:鈴木さん】

 

ホップ農家の皆様のホップ畑

 

 

3人がいなかったら今のホップジャパンはなかったと言っても過言では無いし、会社が大変な時に頑張れたのも彼らのために何とか形にしたいという強い想いがあったからです。

 

*****

 

そもそもなぜ私がブルワリーを始めようと思ったか、それは会社員時代に休職制度を利用してアメリカのシアトルへ留学した経験がきっかけです。そこで出会った個性豊かなクラフトビールと自由なライフスタイルに魅せられ、2015年に脱サラし「株式会社ホップジャパン」を立ち上げました。

 

ただクラフトビールを作って売るのでは無く、

「誰もが笑顔になるクラフトビールを使って自然の豊かさを伝え、愛と感謝に溢れた持続可能な社会を実現する」【循環】を会社の理念にしようと思ったきっかけは、更に幼少期の原体験に遡ります。

 

山形県で生まれ育った私は、幼少の頃裕福でなかったので、長屋に住んで井戸水を汲み、バケツで家まで運ぶ生活をしていました。なるべく沢山こぼさないで運んでいたので、水のありがたさを身に染みて感じていましたし、当時の水道はとっても不味く、平気で飲める友人が不思議なくらいでしたので、本当の水の美味しさを知ることができたのは今の仕事に活きていると感じています。

 

また、温泉で大人が洗髪、身洗、剃刀、歯磨きまでの間水を出しっぱなしにしているのを見て、なぜ1回止められないのか、子どもながらに注意してやりたい気持ちで一杯でした。

 

水を大切にすることは、自然を敬う気持ちにつながるので、いつしか「自然を大切にしたい、守りたい」という思いを抱く様になったのです。

 

もう一つ大きな体験があります。

親戚宅で養鶏をしていたので見に行ったことがあり、その時「鶏舎にいる鶏はいつ外に出すの?」と聞いたところ、「出さないよ」「ずーっと?」「うん」と言われたのです。鶏は卵を産ませるためだけに飼われ、鶏舎から出られる時は食べられる時だと知った時、子供ながらに大きな違和感を抱きました。

 

そしてある時、親戚のおばちゃんが家まで一羽の鶏を自転車に括り付けて運んできました。家の中を飛び回る鶏を見てやっと鶏舎から解放されたと思い、追いかけて遊びながら「ずっとうちで飼うの?」と聞いたところ「卵なさねがら殺すんだ」。。。

 

それ以来、全ての動物が食べられなくなりました。

その時代、よくある話ではありましたが「肉を食べないのは命を与えてくれた鶏に失礼だから大切に食べなさい」と大人に言われても、人間のエゴで閉じ込められて卵を産まされた過程を知っているので素直にそうだとは思えなかったのです。

 

その後も、子供ながらに食べることへの疑問を持ち続けていたので、テレビでモンゴルの遊牧民を見たりすると、「大自然の中で愛情を持って家畜を育て、自然に生えている牧草を食べさせ、ミルクを頂き、チーズを作り、たまにお祝いや来客へのもてなしとして命をいただく」という姿に「本来食べるとは、自然の循環の中で、自分がすべてに関われる範囲で行われるべきものなのではないか。」という視点で捉えるようになったのです。

 

更に大人になるにつれ、社会の在り方自体に疑問を抱くようになり

「このままでは地球がおかしくなってしまう」と未来に危機感を抱くようになりました。

 

*****

 

当時電力会社に勤めていた私は、一時広報部門に長くいたことから、環境とエネルギーの共存について中学校などの出前講座で話をするなどエネルギー問題に関わり、地球環境を深く考えるようになっていました。そしてアメリカに留学し、復職した翌年の2011年、あの東日本大震災が発生したのです。

「原子力は安全だ」と何百人も発電所見学に連れて行った側の人間として、「地球のためになる仕事をしたい、本当に自分がやりたいことは何なのか。」改めて考えるようになりました。

 

人間はいつ死ぬかわからない。

 

生きているうちに失敗してもいいから爪痕を残したい。

このままこの仕事を続けていていいのか。

 

悩みながら働く日々が震災後4年ほど続きました。

 

限りある人生の時間に自分は何をすべきなのか。

自問自答を繰り返す中で答えは突然訪れる。

 

シアトル時代の仲間から『クラフトビールビジネスをやらないか』と誘われたのです。最初は軽い気持ちで話を聞きましたが、ビールを作る→飲むという部分ではなくビールの原料の一つである"ホップ"から作るというアイディアに魅力を感じました。

これまで生きてきた中で最高に楽しかったアメリカでの2年間、クラフトビールでいつも「ひと・もの・こと」がつながり、とにかく人生をとことん楽しむ、そういう広い意味でのクラフトビール文化を日本流に伝えることで、誰かの人生にちょっとした幸せを与えられる。そう考えると胸がときめきました。

 

本当にやりたいことをやって、残りの人生を意味あるものにしよう。

「日本にいるなら、失敗しても野垂れ死はしない。」

 

アメリカでは農家とクラフトブルワリーが直結し、新鮮な生ホップを使った「フレッシュホップビール」が人気でしたが、当時日本のホップ農家はほぼ大手ビール会社の組合しかなかったので、一般に生のホップが流通することはありませんでした。

 

だったらホップを作るところから始めてみようか、という訳です。ホップ栽培も行っている数少ないブルワリーに会いに行ったところ『美味しいビールを追求するためにホップを栽培しているが、他で(ホップを)作ってくれるなら買いたい』と言われました。最初は競合するかと考えていたのですが、逆にビール作りに専念したいというブルワーが多かったため需要があると感じたのです。

大手ビール会社の組合に入っているホップ農家にも交渉に行きましたが、最初は難航。それでも、高齢化・後継者不足といった問題があったため、クラフトビールを軸にして一緒に改善しようと粘り強く説得、協力してもらえることになり、栽培が始まりました。

ヒアリングを重ねて国産ホップの需要があることは確認でき、ホップ栽培も動き出してきたため、ある程度のところまで行けるのでは。と、このタイミングでホップ作りを次の仕事にしようと決意し、2015年に仙台で「株式会社ホップジャパン」を立ち上げました。

起業して最初の1年は仙台市のコワーキングスペースを事務所として、その後、福島のファンドの支援を受けることになったため、福島市に本社を移しました。その1年後に復興庁の方から紹介を受けて田村市都路町の「グリーンパーク都路」を拠点にすることになりホップの事業が本格稼働しました。

 

 

次回は本拠点グリーンパークでの事業展開についてお伝えします!→

 

リターン

5,000+システム利用料


【リターン不要で全力応援!】 開店ご祝儀コース|5千円

【リターン不要で全力応援!】 開店ご祝儀コース|5千円

●お礼のメッセージ
●ホップジャパンHPでのお名前掲載(ご希望者のみ)

申込数
19
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年7月

10,000+システム利用料


【リターン不要で全力応援!】 開店ご祝儀コース|1万円

【リターン不要で全力応援!】 開店ご祝儀コース|1万円

●お礼のメッセージ
●ホップジャパンHPでのお名前掲載(ご希望者のみ)

申込数
25
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年7月

5,000+システム利用料


【リターン不要で全力応援!】 開店ご祝儀コース|5千円

【リターン不要で全力応援!】 開店ご祝儀コース|5千円

●お礼のメッセージ
●ホップジャパンHPでのお名前掲載(ご希望者のみ)

申込数
19
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年7月

10,000+システム利用料


【リターン不要で全力応援!】 開店ご祝儀コース|1万円

【リターン不要で全力応援!】 開店ご祝儀コース|1万円

●お礼のメッセージ
●ホップジャパンHPでのお名前掲載(ご希望者のみ)

申込数
25
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年7月
1 ~ 1/ 21


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