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ジャーナリスト 朝日新聞「天声人語」元筆者 辰濃和男／1977
「何もない部屋」は融通無碍である。
篠田正浩監督が映画「はなれ瞽女おりん」で吉島家をロケの舞台に借りて
瞽女の三味線に聴き入る近在の衆の姿を描いている。
檜の大黒柱や赤松の太い梁で象徴される自然の空間はむろん
瞽女の歌声を聞かせる舞台装置にふさわしいが、ジャズにも、よく似合う。
何もない空間のもつ融通無碍な性格によるものだろう。日本家屋の空間はちょうど海から渡ってくる文物をなにもかも融通無碍にとり入れて生きてきた日本人の精神構造に似ている。
「何もない部屋」ということはしかし、私たちの生活実感からすれば、とてもかなうことのない夢だ。
広い土蔵や物置などの収納空間、アメリカ流にいえば地下倉庫を前提にしてはじめてそれは成り立つ。
いま私たちは、やむをえず、時には好んで、狭い部屋を家具やガラクタでうめつくしている。
そして確実に、日本的な住まいの美意識を日々失いつつあるのではないか。
私たちが日下部、吉島邸にひかれ、そこにやすらぎを求めるのはまさに、そこにこそ失われたくうかんが
ある、からだといえるだろう。