お陰様で復旧工事完了 これからも地域の福祉を守り抜きます
御 礼
令和6年元日の能登半島地震から1年が経とうとしております。この間、皆様には多くのご支援や励ましのお言葉を頂戴し大変感謝申し上げます。そのお支えが大きな力となり、ここまでどうにか奮い立って、なんとか復旧し、微力ですがこの地域の福祉を守り抜くことができました。本当にありがとうございました。
幸い入居されていた方には大きなけがもなく無事であったことが不幸中の幸いでしたが、多くの試練が度重なるように起き、建物の被害が甚大で、床、壁のいたるところにひび割れ、配管が損傷し天井から水が流れ落ち、空調設備も大元から破損し暖房が効かなくなったところもでました。蛇口を開いても水が出ず、窓ガラスも割れ、屋根瓦が落ち施設の周り中に破片が散乱しひどいありさまで、この後どうなっていくのだろうと不安ばかりがよぎりましたが、命を預かっている以上は今できる最善のことをしていこうと、職員一丸となって対応にあたりました。自宅のことも心配だったかと思いますが必死に入居者のお世話にあたった職員の姿が今でも目に浮かびます。よく頑張ってくれました。
被災当日、夜に近づくにつれ近隣の住民が暖を求め避難し、みな一様に家が壊れたと涙したり、興奮したり、不安な様子でした。近隣住民94名もの方が避難に来られましたが、ベッドも提供できず、おにぎり一つだけしか振るまえませんでしたが心が温まったとほっとされ喜んで食べている様子が伺えました。避難者、職員と椅子に座ったまま、大きな余震に耐え一夜を過ごしました。
夜が明けると建物の被害の全様がさらに明らかになり、棟瓦が倒壊し次に雨漏りの心配がよぎり、数枚のブルーシートしかかけられず途方に暮れました。数日後、大きなトレーラーでブルーシート、水、凝固剤入りの簡易トイレが届き、さらには全国各地から使い捨て容器、身体拭きなど心温まる物資が届き、そのたびにうれし涙を流したことが昨日のことのように思い出されます。
電気、ガスは使うことはできましたが上水は3月に入っても完全には復旧せず、その間掃除、洗濯、入浴もままならず劣悪な衛生環境でした。そんなところ元日に一晩避難してこられた住民が生活排水に使ってもらえればと川から水を汲み毎日運んで下さり、寝たきりの方の入浴のため訪問入浴車で福岡県からわざわざ介助しに来てくれた業者の方、また同業他社の方がお風呂を提供して下さりました。職員や福祉避難者向けに水をろ過しながら使えるシャワーブースも貸与していただけました。改めて水の大切さを突き付けられた大震災でもありました。
復旧工事には遠いところで岩手県、栃木県から水道配管設備業者が懸命に工事にあたってくださり、空調が効かずストーブで冬を乗り切った部署もあり冷房を使う夏までに間に合わせようと空調機器を突貫で設置してくれました。入居者を避難させないまま工事を進めていたため工程が複雑になり建築の復旧も半年以上かかりましたがどうにか完了することができました。平屋建ち5,500㎡を超える建物の屋根の棟の修繕に、真夏の暑い時期から小雪が舞う季節まで大変時間がかかり雨風の心配もなくなり安心して過ごせるようにして頂きました。
被災後、家を失い退職した職員は7名、涙して施設を後にしていきました。住まいを提供できていればと後悔が絶えません。この地域において住まいのことがなかなか解決できない大きな課題です。少ない人数ながらも残った職員は懸命に働いてくれました。「福祉は人なり」、最高の職員に恵まれ、さらには被災後就職してくれた職員も複数人となり、お陰様で施設の建物も人員も被災前に近い状態となりました。また、被災前からお付き合い頂いた方からのご支援、被災後新たに頂いたご縁、人とのつながりをこれほどまでにありがたく感じたことはありません。このご縁を大切にしていきながら微力ですが職員一丸となって地域の福祉をこれからも守っていきたいと思います。
最後に建築復旧の費用は総額1億9000万円を超える費用となり、一部は日本財団様の補助金を受け、残りは国の復旧補助金を活用する予定で現在申請中です。法人としては大きな負担となりますが皆様から頂いた善意を復旧費用として活用させていただきたいと思います。さらには善意の一部を法人職員に災害見舞金として支給させて頂きました。この書面をもってご報告申し上げます。これまでのご支援に心から感謝申し上げ、御礼の言葉とさせて頂きます。
令和6年12月
社会福祉法人麗心会
理事長 藤田隆司




















