この御尊像は浄池院殿清正公大神祇といいます。

ずばり戦国武将の熊本城で有名な加藤清正公なのです。

親しみをこめて清正公さんと呼ばれる清正公と法華経の出会いは、清正公の母である伊都女の影響でした。

伊都女は娘のころから、お題目をお唱えしており、虎之助(清正公の幼名)と母子2人の貧しい生活の中でも懸命に生きそして法華経を大事にされた母の姿に虎之助も自然と法華経とお題目が心に染み込んでいったのでしょう。

そして豊臣秀吉に近習し、賤ケ岳7本槍に数えられるほどの武勲を数々あげ、ついには肥後熊本52万石の大大名に出世したのです。

一国の主になっても豪快で信義に厚い性格は終生変わらないものでした。

肥後熊本の太守となってからは、民を大事にし治水や灌漑をめぐらせ新田開発を進めて、領民の生活の安定に勤めました。

戦をしては常勝不敗の戦上手、民を思う仁の心に加え智勇を兼ね備えた清正公は「浄池院殿清正公大神祇」として広く信仰を集めたのです。

当山の尊像は江戸後期に作られました。

 

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