前回は、あかりプロジェクトをはじめる前の高鍋町商店街に設置された彫刻の一部を紹介しました。

 

今回は、それ以前から高鍋町にあった彫刻群の空間をご紹介します。

 

まず北に小丸川を渡った持田台地には、85基の古墳が散在する持田古墳群があります。昭和にはいり、持田古墳群の多くの古墳が盗掘の被害にあい、出土品の多くは県外へ流出していきました。その古墳の霊を鎮めようと、岩岡保吉という男が一人で彫り上げた約750体の石像が持田古墳の一角に立っています。「高鍋大師」です。

稚拙な造形ながらユーモアあふれるその独特な石像は、圧倒的なエネルギーで多くの人々の魂をわしづかみにする魅力をたたえています。

近年は宮崎県の観光遺産に指定され、観光地としての整備が進み、広く知られるようになって来ました。

 

 

 

 

 

 

そして、次に南に宮田川を渡った平地に高鍋町の誘致企業・ハタダが工場の敷地内に整備した彫刻公園、「いのちの丘」があります。

「いのちの丘」には畠田社長と親交のあった二科会理事の日高正法氏のブロンズ彫刻が多数配置されています。

ハタダは後に中国へ進出しましたが、建物と敷地はそのまま残され、彫刻公園も健在です。

 

 

 

そして、高鍋町には町立の美術館もあります。

 

 

このような小さな町で、これほど彫刻や石像のある町もそれほど多くは無いでしょう。

 

そして、高鍋町の商店街の方たちは、設置された彫刻を大切に守っています。

 

 

 

このような高鍋町独自のバックボーンの中で、私たちのあかりプロジェクトはスタートしました。

 

ですから、商店街の中にモニュメントやオブジェを置いていくという事業は、高鍋町の商店街に取ってはまったくとっぴなことでもなく、受け入れらる素地を持った事業なのです。

 

上述した高鍋町の彫刻的なバックボーンの中で始まったあかりプロジェクトを評して、宮日新聞高鍋支局の野辺支局長は、コラムでこう述べています。

 

 

ですから、高鍋独自の文化風土の中で、あかりプロジェクトは今後も継続していかなければならないのです。

 

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