2011年3月11日、私は東京都武蔵野市にいました。翌日、ルーテル学院大学で開催されるサイコドラマのワークショップで伴奏の仕事があったからです。早めに上京して、仲良しの漫画家・西原理恵子さんと吉祥寺の百貨店にあるコーヒー屋で会っていました。他愛もない話で笑っていたら突然グラリと足元が揺れ始め、目の前のビルが大きく波打ちました。これはタダ事では無いと思い、ニュース速報を見るために携帯電話を出してネットにつなげようとしましたが、回線が混雑していてつながりませんでした。

 

「地震、三陸が震源みたいよ」

 

 隣のテーブルに座っていた主婦グループの声が聞こえて、私は顔から血の気が引きました。ここ数日、職場にいる最中も頻繁に大きな地震があり、数カ月前のニュージーランドみたいに大惨事にならないといいね、と患者さんと話していたことを思い出しました。震える手で何度も自宅に電話しましたが、一向に通じません。

 

「私の家でニュース見ましょう」

 

 西原さんに言われて、彼女の自宅にお邪魔しました。テレビ映像で見た津波の中継は、まるで現実とは思えない光景でした。風呂場で洗面器のお湯を床に流したかのように、静かに等間隔なスピードで土地を覆っていく海水は、作り物のようでした。


 それからというもの、飛行機も新幹線も動かず岩手県へ戻る交通手段の無い私は、どうすることも出来ないまま吉祥寺に寝泊まりしながら、ひたすら被災地の惨状をテレビ越しに眺める日々でした。家族の無事は震災から二日目に判明しましたが、仕事で通っていた山田町の皆さん、大船渡市の保育園の消息を知る手立ては無いままでした。

 

 共通の知人がネットでくまなく探してくれた秋田空港行きのチケットを持って、やっと地元に戻ったのは一週間後でした。幸い、上京する前にガソリンを満タンに入れていた自家用車をアシスタントなすちゃんに運転してもらい、迎えに来てもらいました。震災当日から今までの岩手県内がどういう状況だったのかを、道中聞くことが出来ました。

 

「まずガソリンは手に入りません、スーパーでの買い物も2時間待ちです。買えてもパンやジュースだけで、殆どの生鮮食品などは流通していない状態です。我が家(なすちゃんは職場の寮にいました)では暖房の灯油が切れたので、厚着をして布団かぶってしのいでます」

 

 夜勤に入る前の夕飯も、スーパーでやっと変えたバームクーヘンの切れ端をかじっただけ、という彼の境遇は、被災地となった町では珍しくなかったと思います。

 自宅に到着して、台所の瓶や扇風機の羽が粉々に割れていた以外は特に被害も無く、安堵しつつ茶の間のテレビでニュースを眺めていました。すると、ある避難所に慰問に来た音楽家のニュースを取り上げていて、その映像を見た私は目を疑いました。

 

 画面の中では、音楽家が弦楽器で唱歌「故郷」を演奏していました。避難所となった学校の体育館では、大勢の被災者が粗末なゴザの上で体を横たえ、疲弊しきった表情を浮かべていました。かなりの高音域で奏でられる「故郷」の音色は、そんな横たわった彼らのすぐ耳元で奏でられ、私は名状しがたい感情をおぼえました。

 音楽は心をどこかへ運び、癒やしや慰めを与えるものであると同時に、感情を逆撫でしたり心に無理やり忍び込もうとする毒もはらんでいることを、私はその映像を見てつくづく思い知りました。

 

 時の満ちるのを待とう、と私は決意しました。被災直後はまず「食べる」「寝る」「暮らす」という最低限の支援を優先するべきであり、無理に音楽を持ち込まない方が良いと思いました。それから私は、現地から音楽療法の要請連絡が来るまでの一ヶ月間、サイコロジカルファーストエイドなどの災害時の心得や知識を貪欲に吸収することに専念しました。

 

 それから半月ほどで宮古市の音楽療法士を通して保健センターからの依頼があり、私は被災地で音楽療法を実施する機会を得ました。傷つき、疲れ果てた避難所の人々を前にして、ずっと私の頭の中には「故郷」のメロディが鳴り響いていました。何故でしょう?私には彼らを前にしてこの曲を歌うこと、実音として世界に発することが出来なかったから‥だと思います。他にも「海」に関する歌をどう扱うか、といった逡巡もありました。

 

 避難所での活動が最後になった7月の暑い日を、今でも鮮明に記憶しています。既に何箇所もの避難所が閉鎖され、未だ仮設住宅など移転先が決まっていない人々が、一箇所に集約されていた頃です。私の馴染みの方も一人だけ、避難所から避難所への引っ越しを余儀なくされ、追いかけるようにこの避難所へ一回だけ音楽療法を行いに訪れました。運動競技場に併設された屋内施設の薄暗い廊下で、馴染みの方と、他に初めてお会いする方々と、いつもよりしんみりとした雰囲気で活動を行いました。

 

「何か、リクエストありますか?」

 

 私は初めて参加した女性に聞いてみました。すると彼女は

 

「うさぎおいし、の故郷を歌いたいです」

 

 とおっしゃいました。参加者がそう望むなら、と模造紙に書いた歌詞をお手伝いのMさんとアシスタントなすちゃんに持ってもらい、被災地に来て初めてこの曲を弾き、歌いました。


誰も泣かず、淡々とした歌声が廊下に響きました。歌い終わると、その女性が

 

「この歌、実は先々月に避難所を慰問に来た学生さんの楽団が演奏していたんですが、聞いていて悲しくなったので私は席を外しました。ずっと辛くて震災以来一度も耳にしなかったし、口ずさんだりもしなかったんです。でも今日、歌えそうな気がして。それでリクエストしてみました」

 

「どんな気持ちになりましたか?」

 

 私の質問に彼女は

 

「良い歌だなって思いました。故郷、いいですね」

 

 とにっこり笑ってくれました。

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