支援総額
目標金額 610,000円
- 支援者
- 61人
- 募集終了日
- 2015年11月27日
「青い山脈」霧島昇・奈良光枝
私が長年従事している音楽療法という仕事は、日本では残念ながら未だ国家資格にはなっていません。「日本音楽療法学会」という団体が認定する民間の資格があり、音楽大学を卒業したピアノ教師から、学校の先生、福祉施設の職員、医師や看護師など医療職の人々など、様々な立場や職業の人が取得しています。私はもともと、音楽大学で声楽を専攻していたのですが、大学の講義で音楽療法を学んで興味を持ち、卒業してから各地のセミナーで学びながら医療や福祉の現場で臨床経験を重ねました。
東日本大震災では学会の理事会や他の地区から多大な支援を東北に寄せられ、当時私はその東北支部の支部長でした。そして急遽、本部の発案で設けられた災害対策特別委員会の責任者にもなりました。私が毎週、被災地となった三陸沿岸の避難所に通って音楽療法の活動を続けている、という情報はあっという間に広まり、何人かの偉い先生たちが視察や見学にいらっしゃいました。今日はその時の話を書きます。
私が当時巡回していたのは宮古市と山田町のふたつだけで、他の被災地には殆ど足を踏み入れたことがありませんでしたが、学会の偉い人が視察にいらした時だけ車両を運転しながら(もしくは車両から降りて)、宮古市田老地区や大槌町、陸前高田市の被災した光景を見ました。いつかこの町に住む人たちの元にも、音楽を届けたい‥と思いましたが、ふたつの町に定期的に通うだけで精一杯だったので、自ら積極的に入り込もうとは一切思いませんでした。欲張って活動範囲を広げず、同じ場所、同じ人々とじっくりと長く時間を共有した方が、被災時の音楽療法としてはより良い活動になるのではないか、そんな予感がしたからです。
そんな私の心情を知るはずも無い学会本部の人々からは、とにかく今すぐ全国から音楽療法士を派遣するから、現地でコーディネートをして欲しい‥と言った申し出が次々と舞い込みました。私はそれに対して、頑ななほど慎重な姿勢を崩しませんでした。理由は前述した通り、被災地での支援は継続こそが重要です。一回だけのイベントで訪れて、あとは二度と来なくなったボランティアや支援者は現地でも大勢見かけました。宮古市の福祉施設職員さんと話をした際も
「私の机の上には自治体や施設、個人の方々の名刺が山積みになっています。私の施設を窓口にして、ボランティアの受け入れ先斡旋や支援を申し込む人たちです。しかし、実施後は担当が変わったり連絡がとれなくなったり。まったく後に続きません」
と嘆いていました。被災して心身ともに大変な時、時間をつくって感謝を伝えにイベントへ出ても、その支援者とは二度と会えないと知っている避難所の人々はどんな気持ちなんだろうか‥私は常々、支援のあり方には疑問を持っていました。音楽療法の世界でも、一度だけとか、演奏して交流をしないイベントなどはお断りする方針でいました。
「智田君は、学会からの見舞金や災害ボランティアの日当を受けとっていないそうだね。どうしてなんだろう?」
夏の終わり、学会の副理事長が被災地に足を運び、私と一緒に各地を回ったことがあります。行き帰りの車中で、私は副理事長からこう聞かれました。
「お金をいただく、もしくは何らかの支援を全国からいただくことは有り難いことだし、本当に困っている人には必要だと思います」
「君はそうじゃない、と言うのかな」
「そうですね‥私の住む盛岡市でも大きな地震があって、自治体から被災者証明書が発行されたり、高速道路の料金が免除になると言った措置がありましたが、私は自分を“被災者”だとは思っていないので、何も申請しませんでした。それと」
「それと?」
「お金を渡されて、それで支援が済んだ‥と思われたくないからですね。学会本部からの支援のあり方については、再考願います。全国から野放図に派遣されても困ります」
あまりに率直な私の言葉に、副理事長はそれ以上聞いてきませんでした。私がもう一つ、気にかけていたのは、被災地に住む音楽療法士の心情です。自ら被災して喪失や受傷した彼らをよそに、目に見えるところで他所から来た音楽療法士がボランティアとして入ってきたら、彼らはどんなにいたたまれない気持ちになるだろうか、と。
別の週に、今度は私が新人の頃に音楽療法の理論や実技を教えて下さった先輩が被災地の活動に同行してくれました。これまでの経緯やエピソード、自ら決めた被災地における振る舞いのルールなどを説明しながら、各現場を回りました。
「さっき説明してくれたあなた方の独自ルールだけど、瓦礫とか被災した光景を撮影しないっていうのはどうして?」
先輩がこう聞きました。私は撮影行為自体が、物見遊山で来ているように思われかねず、被災した方々の気持ちを踏みにじるのではないか‥などと説明しましたが、先輩は
「あなた、ここ(山田町)は震災前に何度も仕事で来て馴染みの町だと言ってたわね。だとしたら、光景を撮影できない‥というのはあなた自身のPTSDだと言えるんじゃない?」
そう言われて、私は驚きました。ずっと自分は被災していない、と思って活動をしてきたのに、いきなりPTSDと言われて頭が真っ白になりました。
「燃え尽きないように、気をつけてね」
また、私が最も敬愛する精神科医の先生も、私の被災地巡回に同行してくれたことがありました。緊張のあまり、いつも通りの活動が行えたのかどうかは不明ですが、盛岡市に戻ってから先生に
「青い山脈でやった君のあてふり、面白かった。智田君はエンターテナーだね」
と言われ、非常に光栄でした。
「一旦、被災生活を忘れるくらいのエンターテイメント型セッションは良いよ。震災や津波という悲惨な体験をした人に、音楽という新たな体験を積み重ねるような支援は素晴らしいと思いますよ。彼らの感覚を取り戻す手伝いを、是非続けてください」
私は4年以上たった今も、いただいた言葉をエネルギーに活動を続けることが出来ています。時にはたった一人で被災地までの道のりを往復して、孤軍奮闘したこともありましたが、当時の私に一番必要だったのは
「君のやっていることは何ひとつ間違っていない」
と誰かから言ってもらうことだったと思います。
リターン
3,000円
①お礼状(ポストカード)
- 支援者
- 31人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2016年2月
10,000円
①お礼状(ポストカード)
②写真集1冊
③当法人ホームページへお名前の記載
(掲載を希望されない場合はご連絡下さい)
- 支援者
- 20人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2016年2月
30,000円
①お礼状(ポストカード)
②写真集1冊
③「三陸ことば絵本」1冊
④オリジナルエコバッグ1枚
⑤当法人ホームページへお名前の記載
(掲載を希望されない場合はご連絡下さい)
⑥仮設住民がヘンプもしくは刺繍糸で編んだミサンガ、フクロウなどのマスコット、布製小物など5点セット
(色や模様、種類は在庫により変更がございます、あらかじめご了承ください。)
- 支援者
- 8人
- 在庫数
- 1
- 発送完了予定月
- 2016年2月
50,000円
①お礼状(ポストカード)
②写真集1冊
③「三陸ことば絵本」1冊
④オリジナルエコバッグ1枚
⑤当法人ホームページへお名前の記載
(掲載を希望されない場合はご連絡下さい)
⑥仮設住民がヘンプもしくは刺繍糸で編んだミサンガ、フクロウなどのマスコット、布製小物など5点セット
(色や模様、種類は在庫により変更がございます、あらかじめご了承ください。)
⑦仮設住民と一緒に「歌と体操のサロン」体験にご招待
(2016年9月まで有効、現地までの交通費は自己負担となります)
- 支援者
- 3人
- 在庫数
- 完売
- 発送完了予定月
- 2016年2月