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被災の中でも生き残った南相馬市の神社を修繕し、復興のシンボルとする

熊谷航

熊谷航

被災の中でも生き残った南相馬市の神社を修繕し、復興のシンボルとする
支援総額
750,000

目標 2,500,000円

支援者
72人
残り
終了しました
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2012年11月20日 18:08

ご支援おねがいいたします。

まず、すでにご支援いただいた方々、
フェイスブック、ツイッタ―などで広めてくださっている方々に
感謝いたします。
本当にありがとうございます。

 

(写真)稲荷神社境内に建てられた震災慰霊碑と地区代表・林さん

 

 

稲荷神社が北萱浜地区の人々にとって、
どれほど大切なものなのか、
その関わりを示す歴史をご紹介したいと思います。

 

飢饉で荒廃した村の復興のための開拓者

 

現在の北萱浜地区のルーツは、約200年前にあります。
江戸時代、天保の大飢饉(1833~1839)が起こり、
それまでの北萱浜はほぼ壊滅しました。
そこで、当時の相馬藩の政策により、
北陸からの移住者を受け入れ、この地を復興することにしました。。
この人々が、いまの北萱浜地区の人々のご先祖です。
震災直後、北陸地方へ避難した人々がいたのも、
そういったつながりがあるのです。

 

稲荷神社建立からはじまった200年前の復興

 

開拓者たちは、
飢饉で亡くなった人々の鎮魂のため、
その後の生活の安寧のため、
以前から神聖な場所とされてきた土地に
稲荷神社を建てました。
それ以前については、詳細な記述はないのですが、
かつて、この地に相学という霊験者が住んでおり、
彼亡きあとに亡骸を一段高いこの地に葬った。
ここに白狐が住みつき、相学壇と呼ばれる神聖な場所となったと
相馬藩の文献「奥相志」に記されています。

 

今となっては、想像もつかないですが、
萱浜という地名が示すとおり、
以前は、この稲荷神社の前は湿地(海)でした。
人々は、懸命に土地を耕し、
北萱浜を元以上の豊かな土地へと
見事に復興させました。
また、あるときは稲荷神社の改修をきっかけに
前面の海で未曾有の大漁となったことから、
「大漁稲荷」と呼ばれたこともありました。

 

稲荷神社の修復から始まる震災復興

 

この200年のあいだ、
北萱浜とともにあり、
人々の喜怒哀楽や時代の移り変わり、
そして、あの震災も
見つめてきた北萱浜稲荷神社。
200年前の困難な復興も
稲荷神社の建立に始まり、見事成し遂げてきました。
震災からの復興は、
同じくらい、いや、もっと大変かもしれません。
しかし、稲荷神社の修復から復興が始まるのは
やはり何かの運命を感じます。
地区代表の林さんは言います。
「200年前にも同じ光景がここにあったかと思うと胸が熱くなる。
先祖がゼロから土地を耕し、田んぼを作り、収穫できるようになった苦労。
われわれにだってできるはずだ。再出発だ」
これからもきっと、
稲荷神社が地区の人々の頑張りを
見守り、後押ししてくれるはずです。

 

この神社の修復には、皆さんの支援が必要です。
どうかよろしくお願いいたします。

 

熊谷航

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リターン

5,000

神社の棟札へお名前を記載させていただきます。

支援者
36人
在庫数
制限なし

10,000

神社の棟札へお名前を記載させていただきます。
神社の再興、地区の復興を祈願する北萱浜地区特製の手拭を差し上げます。

支援者
32人
在庫数
制限なし

50,000

神社の棟札へお名前を記載させていただきます。
神社の再興、地区の復興を祈願する北萱浜地区特性の手拭を差し上げます。
稲荷神社の廃材を利用した、神社再興記念の木札を差し上げます。

支援者
5人
在庫数
25

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