◆今の修復作業につながる幼き頃のキハ2号の思い出!

 

旧別府鉄道キハ2号を守る会事務局で監査役をさせていただいている福田吾朗(ふくだごろう)です。

私は別府鉄道と国鉄高砂線の接続駅野口駅の近くで育ちました。 駅や線路がまさに遊び場でした。 線路の上に10円玉を置いてぺしゃんこにしてみたり (今では信じられませんが・・時効という事で) 近くで土筆(つくし)を採ったりしました。

 

いとこが東二見に住んでいたので 別府線・別府口乗換え~山電で よく連れて行ってもらいました。 小学校低学年のある日、悪ガキ数人と大人に内緒で「別府港」まで 遊びに行きました。 その時は、大冒険だったのです。 思い出せないのですが、何故か 帰れなくなり、友人の母親に車で迎えに来てもらい帰りましたが、こっぴどく怒られました。 体も大きくなり、自転車を買ってもらうと ,自分たちで あちこち行くようになりました。 ある日、気が付くと「別府港」に 着いていました。 「こんなに近かったのか」と愕然とした憶えがあります。 汽車乗って出掛けるのは遠いところと思い込んでいたのです。

 

 

別府鉄道の廃線が決まり、最終日、当時は学生でラストランには乗れないと思っておりましたが、なんという事でしょう。大雪で授業が休講になり、ただちに帰宅し、駅に向かい乗ることができました。まるで汽車が、「最後に乗って欲しい」とメッセージを発しているようでした。 

 

 

その春には東京に就職しましたので、野口駅や線路がどの様に撤去されていったのかは、断片的にしか知りません。 廃線30年を経て車体がぼろぼろになっている事は知っていましたが自分で修復しようというような事は思いつきませんでした。 ある日、ある団体(現在のキハ2号を守る会)が修復活動を行なっている事をネットで知り参加しました。

 

30年ぶりのキハ2号は、相当劣化が進んでおり、悲しい思いと懐かしさがこみあげてきました。 教室の床の油拭のような車内のにおい・・・・ どこか鼻に抜けたような発車ブザーの音・・・ 当時の思い出が蘇って来ました。修復作業をお手伝いする中で、鉄道好きの皆さんをご縁ができキハ2号の希少性など、いろいろな事を知る事ができました。何よりも現物をま近に見る事ができるのは、とても貴重な体験です。 

 

 

修復作業は、まだまだやる事がいっぱいあります。 我々も自らお金を出し、また加古川市の補助金を使わせて頂くべく奔走して参りました。 しかし残念ながら、まだまだ資金は全く足りません。まずは、これ以上の劣化を防ぐ工事のためクラウドファウンディングを行なう事になりました。 いつの日か、当時の姿が蘇る事を夢見ております。 皆様の温かいご支援をどうぞ宜しくお願い 致します。             

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