みなさまのご支援のおかげで、「くろがね四起」修復へ向けての現実感を、日々実感しております。

 

 今回は少しマニアックな内容となりますが、出来るだけ判り易くお伝え致しますで、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

 

 「くろがね四起」の前期型は、世界で一台だけ修復作業が完了した個体がロシア共和国に現存します。昨年、知人の英国人を介して写真を何枚か送って頂きました。

 綺麗に仕上がっているのですが、実際に復元前の車両と比較すると頭を傾げたくなる部分が多く見受けられます。たとえば、ウインドシールド横の腕木式方向指示器が台座ごとありません。

 

 しかし、ロシアの車両はデータプレートや「くろがね」と書かれたエンブレムなど、我々の個体では欠損している細かい部品が当時のまま残っており、昭和14年(1939年)の製造というデータプレートも残っています。

同じようなアングルで、今回の主役である我々の「くろがね四起」と見比べて見ましょう。

フロントフェンダーの形状が違うことがお判り頂けますか?ロシアの個体は、当時の記録写真でも良く見かける形状ですが、京都で発見された個体の方は、フェンダー上部のアールがより曲線的で、下端の処理も微妙な曲線が入っていますね。

 

当初、ロシアの個体は修復時にフェンダー形状が再現できなかったのかしらん?あるいは、生産年度が一年違いなので、そのためかな?と思いましたが、細部を見て行くと2台の車両は違うボディーメーカーで製作された様なのです。

 

ドアの内側の造作を比較してください。

こちらがロシアの助手席内側。

 

 こちらが京都で発見された個体です。内側の補強材の軽め穴が四角と、丸型で違うのをはじめ、まったく内部処理が違います。我々の「くろがね四起」は昭和13年(1938年)製造と言われているので、一年後にはドアがここまで簡略化されたのでしょうか?

 

 個人的には、ここまで違うと生産時期による仕様変更や簡略化のためとは思えません。

 

 昭和10年当時の日本は、自動車生産大国となった現在からは想像も出来ませんが、エンジンからボディーまでを一貫生産するようなメーカーは無かったようです。今回のプロジェクト支援者様から寄せられた情報によれば、くろがねのボディーは3社ほどで生造されていたそうですから、現時点では2社の異なるメーカーにより製造された、違う製造ラインのボディーであると判断することが妥当だと思われるのです。

 

 このように、当時の資料や現存する車体との比較検討によって、今後開始される修復作業のための情報収集と分析を進めております。実際にロシアに赴き、写真の車両を検分して、我々の車両と比較分析も必要ではないか?と考えはじめております。

 

 今後も新発見や、新しい情報がありましたら、みなさまにお知らせして参ります。

 

 引き続き、「くろがね四起」に関する情報のご提供や、当プロジェクトへのご支援と情報拡散へのご協力をお願い致します。

 

実行者:小林 雅彦