私にとってのアートとは? 2/3からの続き
 

私にとって非常に重要な意味を持ち、やらずにはいられない活動ですから、いくら予算が足りなくても、やりたい想いの方が先行し、無理矢理にでも実施しようとしてしまいます。これまでも何度もそうやってやってきてしまいました。ですが、もうそういう状態での開催は、絶対にしてはならないと強く思うのです。
 

なぜなら、そのしわ寄せは、結局、キャストスタッフにかかってきます。特に中心になって親身になって関わってくれる仲間たちにのしかかってきます。そして、未来の自分たちの、他のアーティストたちの、首をも絞めることになりかねません。
 

どうせやるならちゃんとしたものを見せたい。せっかくやるなら本物を届けたい。創作するからには妥協はしたくない。観る人に驚きと発見と感動を与えたい。自分が関わるからには平凡なもので終わらせたくない。お金がないことを理由に手を抜くなんて絶対に有り得えない。私だけでなく、多くのアーティストがそう思っていると思います。
 

だから、どんなにお金にならなくても、どんなに報われなくても、悲しいくらい愚直に創作に取り組んでしまいます。主催者から予算がないと言われても、ギャラが払えないと言われても、お客様が一人でも期待してくれていると思ったら無理をしてでも引き受け、精一杯頑張ってしまいます。それが、アーティストの悲しいサガなのかもしれません。
 

お金を払わなくても、ある程度やってくれる。予算が足りない時は、まずは無名の彼らのギャラを後回しに。彼らはお金よりもやりがいと創作の場を求めている。発表の場を提供してあげているのだから、ギャラはなくてもこの際仕方ない。あの人はギャラ抜きで引き受けてくれたのに、ギャラが少ないからやってくれないなんて感じ悪い。タダでもやってくれる人の方が偉い。

 

どうしてもやりたくて、期待に応えたくて、誰かの役に立ちたくて、良かれと思ってやったことが、こんな残念な慣習や考え方を作りだしてしまうことだってあるかもしれません。
 

もちろんアーティストにも様々なタイプがいます。中には、謙虚さを忘れ、自分の無知を棚にあげ、鼻持ちならない思い上がった人もいるでしょう。ただ、少なくとも私の周りにいる人たちは、そういうタイプではありません。
 

だからこそこれからは、関わる仲間たちの労力にきちんと報いることができる予算を確保してから開催しようと思いました。これまでの私は、仲間たちの好意や善意にすがって、なあなあでやってきてしまいました。自分もそうされて来たのだからいいだろうという甘えがありました。これでは、彼らの心根の優しさや純粋さや素直さに漬け込み、利用したと言われても仕方ありません。
 

アーティストにまともなギャラを払おうとしない主催者やプロデューサーは意外に多くいます。払えないから今回は泣いてね、と悪気なく、払えないのが当たり前のように言う人も少なくありません。はっきり言って、無名のアーティストのために十分な予算を用意する方が稀です。
 

悲しいことですが現実です。アーティストとしては、憤りを感じずにはいられません。ですが、自分が主催者の時はどうかと考えると、端から見ればきっと同じように見えることでしょう。自分のことを棚にあげたまま、人のことをとやかく言うことはできません。
 

なので、私の覚悟として、資金調達の目処がつかないうちは、もう二度とオブンガク堂はやらないと決めました。というかできません。資金がなくてもやりたいからやりました、では、助けてくれる仲間たちに申し訳がたちませんから。
 

資金が集まらないということを私は、こう捉えることにしました。世の中の人々に、私たちの活動の魅力や価値や意義や意味がきちんと伝えられていない。もしくは、私たちの活動に、そもそも意味がない。そのどちらかだと。

だったら、とことん言葉を尽くして、伝えたいと思います。魅力も価値も意義も意味も計り知れないことを。

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