519389276564a9c2532c965e62967f754c020a16


【ワシントンD.C.ポトマック湖畔に寄贈された平和外交の桜】

興津宿では、毎年、2月に、『興津宿寒ざくらまつり』を開いています。
どこの桜の名所よりも早い、このお祭りは、ただ、美しい桜を賞でるだけではなく、『平和』や『友好』をタイトルにつけています。

実は、会場に咲く薄寒桜とは、明治末期に、ワシントンD.C.ポトマック湖畔に寄贈された12本の桜の兄弟の桜です。

しかし、興津柑橘試験場にある、親木は、今は枯れてしまいました。

その為、今は、その薄寒桜の親木から育てた子供達を植え育て開花に合わせて『興津宿寒桜まつり』を開いています。

ワシントンD.C.への寄贈の桜の兄弟の桜で、本株は枯れてしまったにもかかわらず、この薄寒桜を、私達の清見潟、興津地区では、こんなにも大切にしている理由は、この桜寄贈の歴史にありました。

JR興津駅の北側に所在する通称『興津柑橘試験場』。
当時は『農商務省農事試験場園芸部』であったこの施設には、『ワシントンの桜誕生の地』と刻まれた石碑が建っています。

『ワシントンの桜』とは明治45年に東京市がアメリカのタフト大統領夫妻の要請に応えて寄贈し、『ポトマック湖畔の桜』として世界的に知られてる、日米友好の象徴です。

桜の寄贈は、二度行われました。

一度目は、病害虫が発見され焼却処分にされ、日本の名誉をかけ、苗木作成を当施設に依頼しました。

当時、担当したのは、農業技師熊谷八十三氏。
のちに、西園寺公望氏の執事となった人物です。

東京・荒川堤の桜を兵庫県伊丹市の山桜を台木に接ぎ木をしました。

熊谷技師の日記には、『命もいらず名もいらず…。』の西郷隆盛の有名な遺訓を綴っていた。
米国へ完璧な苗木を贈る為に、自身も周りも一歩間違えば命に関わる危険な手法を用いました。
病害虫駆除には、当時、試験導入されたばかりの猛毒・青酸ガス燻蒸を行いました。
こうして見事に完璧な桜寄贈が成功をし、熊谷技師は場長に昇進しました。

その後、熊谷氏は、戦争回避に奔走した最後の元老・西園寺公望氏の目に止まり執事に就任したのでした。

結局、西園寺公望氏がなくなると戦争は起き、政財界の大物や文化人の愛した清見潟の穏やかな波が岩礁を洗う景色は埋め立てられてしまい、残された兄弟の桜『薄寒桜』は枯れてしまいましたが、こうした平和で賑わっていた歴史をこの『桜』を通して大切に保護しているのです。

写真:静岡市清水商工会提供 薄寒桜

 

この町、興津ではそんな平和外交の象徴の桜の誕生の町として、その歴史を大切に守る為、お祭りを開いております。

元木は枯れてしまいましたが、ワシントンD.C.ポトマック湖畔へ寄贈した桜の兄弟の桜『薄寒桜』の開花に合わせ、毎年2月に開かれる『興津宿寒桜まつり』を開いております。

招待券をお送りしますので、ぜひお越しくださいませ。

・7本限定で薄寒桜の苗をプレゼントします。

http://readyfor.jp/projects/okayaryokan/contribution?select_id=77205

・友好の桜をプレゼント用にご用意いたします。

http://readyfor.jp/projects/okayaryokan/contribution?select_id=77204

新着情報一覧へ