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2000年頃の話をつづけます。

2000年7月のパヤタスのゴミ山崩落は、忘れられない大惨事でした。事故のあと、数か月にわたって、ゴミ山が閉鎖されたため、人々の生活は困窮しました。家が危険なところにある人々は避難センターでの生活を強いられました。

避難センターの子どもたち。ゴミ拾いの仕事もできないので、退屈をもてあましていました。訪ねると、ひたすら遊びたがりました。パアララン・パンタオの生徒たちもたくさんここで暮らしていましたが、石鹸が足りなかったのだと思います、日ごとに子どもたちは臭くなっていき、クラスに戻ってこない子も多かった…。

↓2000年7月 避難センター(放置されていたぼろぼろの昔の分校跡)の子どもたち

 

やがて、避難センターにいた人々は、隣接するリサール州モンタルバンへ強制移住させられることになります。通称エラプシティ、と呼んでいます。パアララン・パンタオの生徒たちも半数が、親とともに移住していきました。人々は、家は与えられても、仕事はなく、パヤタスのゴミ山までジープニーで通うという生活ぶり。

移住してパアララン・パンタオに通えなくなり、そのまま教育の機会を失っていった子どもたちも多くいます。

そのような子どもたちのために、エラプにも学校をつくろう、とレティ先生は考えはじめます。↓2001年8月 エラプに移住した生徒たちと再会した。

 

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