高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。

徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると,本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて,そこで暇乞いをすることを許された。それから罪人は高瀬舟に乗せられて,大阪へ廻されることであった。・・・

(森鴎外『高瀬舟』)

 

 読まれた方もおられるかと思いますが,簡単に紹介しますと,自殺を図って苦しむ弟から頼まれて,手を貸した殺しの罪で島流しとなった喜助と,その護送役の町奉行所の庄兵衛とが,高瀬舟の上で交わす会話を描いたものです。

 まだお読みでない方がおられたら,短いお話ですので,是非,読んでみてください。
 

 調べてみますと,『高瀬舟』は,森鴎外が大正5年に発表したもの。高瀬川の水運が廃止されたのが,その4年後の大正9年なので,まさに高瀬舟が消えようとしていた時期に発表されているのが,興味深いですね。

 

 森鴎外が『高瀬舟』を書いてから約100年。作品に描かれた世界をかみしめながら,高瀬川開削400周年をみんなで祝っていきたいと思います。

 

 余談ですが,『高瀬舟』のテーマの一つが安楽死。ちなみに,森鴎外は数多くの文学作品を残していますが,もう一つの顔として,陸軍の医者として,陸軍軍医総監というトップまで極めていました。『高瀬舟』のテーマも,そんな経歴とも関係があったのでしょうか。

 

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