こんにちは、門田です!

 

6月20日に開始したクラウドファンディングも、あと10時間でとうとう終了。

ご支援くださった明さん、そしてここまで応援をしてくださったみなさん、

本当にありがとうございます!

 

あと10時間。

最後まで、どうか応援をお願いします。

 

わたしも最後の最後まで、全力でこの活動について伝え、

一人でも多くの方にプロジェクトを知っていただき、

応援いただけるように努めます。

 

さて、今日はこれまでの新着情報で最も人気のあった記事を

リライトしてご紹介します。

最も読んでいただきたい、大切な思いを書きました。

 

--------------------------------------------

「わたしが活動する理由」

 

まずはみなさんに、

イベントなどではなかなかお話しできない、

どうして私がこの活動をはじめ、つづけてきたのか、

正直な気持ちをお話しさせてください。

 

私の、すべてをお話しするつもりで、書いていこうと思っています!

 

新聞やテレビなどでも、活動や私自身について、

取り上げられることもありますが、なかなかすべて包み隠さず

お伝えすることは難しいです。

この新着情報で、私自身の言葉で、お話します。

そして、応援したいかどうか、決めていただきたいのです。

 

長くなってしまい、申し訳ないのですが。。。

是非最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

 

どうして普通の日本人女性がアフリカでHIV陽性の若者の支援を始めたのか。

まずは私の生い立ちからお話させてください。

 

--------------------------------------------

 ▼第1章 13歳のわたし

--------------------------------------------

 

中学生の頃はいじめられっこでした。

みんなが私を避けて、誰も話しかけてくれない、

時にはごみを投げつけられることもありました。

 

部活でランニングをしていると、2階の窓から

食べかけのお菓子やお弁当の残飯が私めがけて降ってきました。

クスクスと笑っている同級生。

 

どこにいても、自分はここにいてはいけないんじゃないか、

そんな気がしていました。

あのころは本当にどこにも居場所がなくて、つらかったです。

 

 

そんな時、私が唯一ホッとできる場所は、家庭でした。

両親にはいじめのことは話せませんでしたが、

家に帰れば居場所がありました。

 

どうしていじめっこは、いじめるの?

わらにもすがる思いで、心理学の本を読み、

いじめっこを観察するようになりました。

 

そして分かったのは、

いじめっ子たちは、家庭でたくさんの苦労をしているということでした。

 

貧困で家の電話を止められて、親が喧嘩ばかりで、家にいられない子、

ぐれてしまった兄のようにならないでと、過剰に期待をかけられる子、

両親の仲が悪くて、お母さんが突然いなくなってしまった子。

 

もう、彼らを恨むのはやめよう。

静かに耐えて、彼らが心穏やかに過ごせることを祈ろう。

 

そうすると、反応が薄い私がつまらなくなったのか、

次第にいじめはなくなりました。

 

 

 

 ◆私を変えた、生徒会立候補

 

そんないじめられっこの私でしたが、

ひょんなことから、生徒会に立候補することになりました。

 

 

中学の校則では、髪ゴムは茶色か黒か紺のみ。

靴は白いスニーカー。バックや制服は指定。

私にはすべてバカバカしい校則。おかしいでしょ、こんなの。

 

失うものはなにもないし、やりたいようにやろう。

先生にだって、別に好かれなくてもいいし。

 

私は、こうした校則の全面廃止を公約に掲げ、

一人っきりで、校則改定運動をはじめました。

 

まずは校長に交渉しようと、校長室に足を運びました。

校長室の扉を前に、ノックをする手が震えました。

 

本当に、ノックして、大丈夫?

 

おかしな校則を、おかしいという、それだけじゃないか。

意を決してノックをしました。

 

それから私は、なんども校長室を訪ね、声を届け続けました。

「もっと生徒を信頼して。私たちを自由にして。」

 

生徒会選挙では、全校生徒を集めての演説会がありました。

おかしな校則を変えよう!

これから学校を変えられるのは、私たち生徒だ!と、熱弁しました。

 

生徒たち、先生たちは、私の話に共感してくれただろうか、

受かったときに、本当に学校を変えられるだろうか、

不安な気持ちを抱えて、当選の発表を待ちました。

 

結果は、落選。

 

けれども、クラスメートや先生たちの反応は、意外や意外、

あたたかいものでした。

「これまで校則は当たり前だと思ったけど、門田さんの話を聞いて、

 確かになくすべき校則があるって、気づいたよ」

そう声をかけてくれる先生さえ、いました。

 

これが、私が「勇気を出して、社会を変える一歩を踏み出す」転機になったのです。

私は、生き方を決めてしまったのです・・・

 

 

 

 

 ◆おかしいと思ったことを、放置しない生き方をしよう

 

校則は何も変えることができなかった。

でも、先生の意識が変わった。

共感してくれるクラスメートがいた。

 

おかしいと思ったら、声を上げればいい。

難しいことじゃない。一歩を踏み出せばいいんだ!

 

 

こうして私はいじめを克服し、生き方を決め、

大学生の時、国際協力との運命的な出会いを果たします。

 

--------------------------------------------

 ▼第2章 エイズ孤児との出会い

--------------------------------------------

 

 ◆大学生の時、国際協力との運命的な出会い

 

私はいじめを克服し、生き方を決め、

高校卒業後、武蔵野大学人間関係学部に入学しました。

 

ある時、平和学の授業を受けます。

そこで初めて知ったのは、

私たちが食べているもの、着ているものの多くは外国から来ていて、

例えば、私が今朝食べた格安のバナナは、フィリピンで子どもたちが、

学校にも行かずに作っているかもしれないこと。

 

これまで関係ないと思っていた、

テレビ画面の東南アジアの貧しい子どもたちが、

私の生活の犠牲者だったんだ。。。大きな衝撃を受けました。

 

それからフィリピン、ケニアなどに子どもたちの支援のために、

ボランティアとして訪れるようになりました。

 

初めての国際ボランティアはフィリピンの孤児院でした

 

◆エイズ孤児との出会い

ケニアのある孤児院で、一つのベッドに並べられた赤ちゃんたちに出会いました。

 

この子たちは、親がエイズで亡くなってね、ここに連れてこられたんだよ。

エイズ孤児、っていうんだよ。

エイズ孤児を、みんな嫌ってね、引き取る親戚もいないんだよ。

この孤児院に来た子は、ラッキー。

エイズ孤児の9割は、何の支援も受けていないんだよ。

 

そう説明を受けました。

 

親がいないだけでも大変なのに、、、

「エイズ孤児」といじめられて、みんなに避けられて。

 

子どもたちの小さな手を取ると、「守りたい」と素直に思えました

 

その時思いだしたのは、中学生の私でした。

私がいじめられたとき、家族が居場所だったけど、

この子たちには、その居場所さえないんだな。

 

 

 

ケニアから日本に戻り、2005年、大学院の1年生の冬、

エイズ孤児支援NGO・PLASを立ち上げました。

 

人脈も、経験も、お金もない。

あるのは情熱だけ。

 

「何かしたい」という、情熱だけで走り出した

 

そして、アフリカのウガンダで待っていたのは、、、

想像を絶する困難の連続でした・・・

 

 

--------------------------------------------

 ▼第3章 わたしは、誰も救うことができない

--------------------------------------------

 

ただの大学院生だった人間が、 勢いでNGOを設立した。

 

それには一つの理由がありました。

一緒に立ち上げをした学生の仲間が、

アフリカのウガンダでボランティアをした経験があり、

スラムにあるエイズ孤児の小学校から支援を求められていたのです。

 

「まずはその小学校を支援しよう!」

2006年。私、24歳。

大学院を出ただけで、社会人経験0。貯金なし、職なし。

 

アフリカのスラムの小学校を救うために、

情熱だけをもって、日本を飛び出しました。

  

当時は、日本で3か月バイトして、その後、2,3か月アフリカに行くということを繰り返していた。

 

 ◆ 命の危険と向き合いながら、支援をする

 

団体を立ち上げ、ウガンダには、私を慕ってくれたボランティアの仲間が20人。

みんな手弁当で手伝いにやってきてくれました。

  

門田は真ん中。ボランティアの仲間はほとんどが大学生だった。

 

あろうことか、そんな中、建設中の小学校を、

突然、取り壊されそうになるという事件がおこりました。

 

ボロボロの青空教室は、雨が降ったら授業ができない状態でした。

 

隙間だらけで、床は土の小学校。雨が降れば授業は中止。 それでも子どもたちは生き生きと学んでいました。

 

 

この教室を、雨が降っても勉強できて、安全な教室にしたい。

子どもたちに、のびのびと、勉強してほしい。

そんな思いで建設を始めました、

しかし、

「ここに学校はいらない」

「すぐに建設をやめないと、明日、学校を打ちこわしに行く」

と、脅迫を受けてしまったのです。

 

いつ、だれがスラムの中で自分を狙っているかわからないのです。

建物が壊されるだけでなく、私の身の安全も危ないのではないか。。。

夜も眠れない日がつづきました。

ともに活動するウガンダ人のボランティアが、常に一緒に行動して、 守ってくれました。

  

学校がお休みの夏休み期間に全面改築し、新学期を迎える計画でした。

 

自分はよいことをしているのに、どうしてスラムの人はわかってくれないの?

と、私は相手を責めるばかりで、相手と向き合う強さを持っていませんでした。

 

自分を正当化してばかりいたのです。

 

そんなとき、自分のいたらななさから、

大切なものを、さらに失って、どん底に落ちていってしまったのです。

 

けれども、この時の経験が、今のわたしを作ったといっても、過言ではありません。

 

 

◆ 脅迫により、最も信頼していた仲間が去ってしまった

 

そして、さらに追い打ちをかける出来事が。。。

建設の準備を二人三脚で一緒に進めていたスタッフが、

この状況では怖くて活動を続けられない、日本に帰りたいと言い出したのです。

 

 

この状況では、引き留めることはできないと思いました。

そして、スタッフは、本当に日本に戻ってしまったのです。

 

一緒に子どもたちの学校をつくろうと言ったのに、

どうしてあきらめて帰ってしまうの。。。

悔しさが心いっぱいに、広がりました。

 

今思えば、こんな状況も、すべては自分で招いていたんだと思います。

 

いつもスタッフには強がってばかり、

本音で「怖い、助けて」と言う勇気がなかったのです。

脅迫してくるスラムの人を、「なぜ教育の重要性がわからない」と軽蔑し、

「どうして学校が立つと困るのか?」を聞くことができなかったのです。

 

スタッフとも、スラムの人たちとも、向き合えずにいました。

弱さを見せると、スタッフが離れていくと思っていました。

スラムの人はどうせ話してもわからないと、

最初から対話をあきらめてしまったのです。

 

私もボランティアのみんなも、近所の夏休み期間中の小学校の一室を借りて生活。
コンクリートに寝袋を敷いていた。

 

◆ 大工さんに嫌われて、進まない建設

 

建設現場でも、事件が起きていました。

現地で雇った大工さんたちが、給与を上げろというのです。

その要求金額は、現地の相場の数倍。法外な金額でした。

 

ぎりぎりの資金で始めたプロジェクト。

もちろん給与を上げることは、できません。

 

何人もの大工さんが去っていきました。

新たに雇った大工さんの中には、お酒を飲んで現場に来て、

すぐに解雇せざるをえない人もいました。

 

時間になってもやってこない大工さんもいました。

必死だった私は、大工さんの家に押しかけ、

すぐに現場に来るようにまくしたてたりもしました。

 

大工さんたちが、なぜ協力してくれないのか、

考える余裕もありませんでした。

 

「プロとして、なぜちゃんと仕事をしてくれないの?」

大工さんを攻めてばかりの私。

威圧的な態度をとり、怒鳴り、ため息ばかりついていました。

今思えば、そんな嫌な奴と、一緒に仕事をしたい人がいるわけがありません。

でも、必死だった私は、そんなことにも気づくことができませんでした。

 

大工さんの指導の下、ボランティアのみんなも、建設作業を進める。
機材はほとんどなく、すべて手作業。

--------------------------------------------

 ▼第4章 悪魔の子

--------------------------------------------

 

◆ 支援を求めるエイズ孤児の男の子

 

そんな時、出会ったエイズ孤児の男の子がいました。

靴も履かず、ボロボロにやぶれたTシャツをきた、男の子。

 

8歳のデリック君という男の子でした。

お父さん、お母さんがエイズで亡くなり、

親戚に引き取られたデリック君は、

学校には行っていませんでした。

 

最初に会った時、デリックは目を合わせて話すことができなかった。

 

毎日、掃除や洗濯、家事の手伝いばかり。

家では、「悪魔の子」と言われ、

食事はいつも残り物を一人で食べているというのです。

 

「学校に行きたい。友達がほしい。」

おどおどした調子でしか話せないデリックが、

精いっぱいの思いを伝えてくれました。

 

でも、何もできない自分がいました。

 

何もかもが、うまくいかない。

このままでは、誰の役にも立つことができない。

デリック君は、どうなってしまうの?

学校は、どうなってしまうの?

 

NGOを立ち上げたはいいものの、

すべてを失い、誰も救えなくなっていった私が、

この後どのように状況を克服したのか?

 

それは、あることがきっかけだったのです。

 

--------------------------------------------

 ▼ 最終章 変化を起こしたければ、自らが変化の源となる

--------------------------------------------

 

その日の朝も、コンクリートの床にじかに引いた寝袋から、

がさごそと起きだしました。

建設現場へ向かうと、水汲みをする人の姿が。

近所の子どもたちでした。

 

 

◆ 子どもたちが、きっかけをくれた

 

水道が通っていないスラムでは、

建設用水は近くの池から汲んでこなければなりませんでした。

これが、なかなかの重労働なのです。

 

近所の小学生くらいの子どもたちが、

学校に通いたい子どもたちが、

バケツを抱えて、貯水タンクに、

次々に水を運んでくれているのです。

 

けなげな子どもたちの姿に、衝撃を受けました。

 

まさか子どもたちが手伝いに来るとは。
もちろん危険な場所には入らせない、危険なことは絶対にさせないことを徹底しました。

 

私は、この子どもたちの「学校へ行きたい」という声を、

ちゃんと届けてこれただろうか?

 

なぜ学校が必要か?そんな、大切な話を、

真摯にスラムの大人たち、大工さんたち、

みんなとしてこれただろうか。。。

 

 

そして私は、大工さん、スラムの住人の皆さんと、

丁寧にコミュニケーションをするようになったのです。

 

たわいもない世間話、家族の話を聞いたり、

わたしがアフリカが大好きだという話をしたり、

そして、子どもたちの学校や教育の話もするようになっていきました。

 

地域の方に活動を説明し、活動を知っていただくためのイベントを宣伝。

 

◆ スラムの人たちが協力をはじめ、脅迫はやんだ

 

すると、子どもたちだけでなく、スラムの近所の住人達も、

建設に協力を始めてくれたのです。

 

水を汲んでくれる人、

建設の道具を貸してくれる人、

差し入れをくれる人、

ボランティアとして、2週間も建設に丸々参加する若者。

 

建設現場が地元の人でにぎわうようになってからは、

脅迫も自然となくなりました。

 

土台作りから、すべて手作業。

 

レンガを積んでコンクリートで鳴らしていく作業は、結構楽しい。

 

力持ちのウガンダ人ボランティアに支えられた。

 

◆ 君たちは、このスラムで、一番汚い!

 

毎日、汗と泥だらけで現場にいる私は、

スラムでは、愛情をもって、こういわれるようになりました。

 

「るい、君たち日本人は、

このスラムで一番汚いかっこをしている!

学校のために、ありがとう!」

 

この言葉は、今でも私の勲章です。

 

◆ 給料はいらない、と言った棟梁

 

そして、あとは、屋根をつけるだけで、

ここからは、プロの手のみでしか作れない、

というところまで、建設を進めることができました。

 

そんな時、大工の棟梁が、私のところへやってきたのです。

「もう、給料はいらないよ。」

 

あの法外な給料を要求していた棟梁が、なぜ!?

 

日本からやってきて必死で働く私たちを見ていた棟梁は、

ウガンダのために、自分たちこそ働かねばならない、

ボランティアになるというのです。

 

棟梁は、一人一人の大工さんに問いかけました。

「なぁ、お前もいっしょにやらないか?」

 

笑顔でうなずく、大工さんたち。

すべての大工さんが、その日からボランティアになったのです。

 

そして、とうとう学校が完成しました!

 

心から信頼し合えるようになった、大工さんたち。一番右が棟梁。

 

◆ デリックの初めての笑顔

 

やっと、やっと学校が立った!

ここに、デリックも通ってほしいと思い、

親戚の方を面会し、話をしました。

 

そして、デリックはこの学校に通うことができるようになったのです。

初めての教科書。初めてのノート。初めての、勉強。

デリックには、笑顔が戻っていました。

 

先生も熱心にでリック君を教えてくれた。
copyright Miho Aikawa

 

「僕、パイロットになりたい!」

未来を考えることさえできなかった少年が、

大きな夢を持つことができるようになったのです。

 

 

◆ 大人の変化が、子どもを変える

 

私は、自分の価値観をウガンダで押しつけ、

独りよがりに、人のせいにばかりしていました。

 

少し勇気を出して、相手の声に耳を傾けるように変化したら、

ウガンダの人たちと信頼が生まれ、活動に協力してくれるようになりました。

 

そして、笑顔のなかったデリックくんが、

笑顔を取り戻すことができたのです。

 

この経験から、子どもたちのためには、

大人が変化しなければならないと、痛感させられました。

そして、そのためには、まず自分が、一歩を踏み出すこと。

そこからしか、変わりません。

 

私が踏み出した、小さな一歩は、

スラムの人を変え、大工さんを変え、

デリックを笑顔にしたのです。

 

 

◆ 10年後のデリック

 

この経験から、私たちは、

「地域の人の声を大切にし、ともに活動すること」

「地域が自立して活動してけるようにすること」

「地域の人が、子どもたちに寄り添うこと」

これらを大切に胸に置き、11年間、活動をつづけてきました。

 

私の小さな一歩は、実は、さらに大きな変化につながっていたのです。

デリック君を支援してから、ちょうど10年たったある日、

デリック君からメッセージが届きました。

 

「プラスのみなさん こんにちは。

 

僕のことを大きな愛情で助けてくれてありがとう。

 

皆さんのおかげで、たくさんの夢がかない、いま幸せに暮らしています。

 

これからもずっとみなさんは僕の大切なともだちです。」

 

デリックの妻と、赤ちゃんの、3人の家族写真と、

デリックの働く姿の写真が添えられていました。

 

 

 

ああ、私たちは、救うことができたんだ。

幸せに、暮らしているんだ。

 

そう、

一歩を踏み出すことで、だれかを救うことができる。

必要なのは、その一歩だ。

 

 

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

 

最後に、どうか、あなたの一歩を、ここで一緒に踏み出してくださいませんか?

変化の源に、あなた自身が、なってくださいませんか。

 

ウガンダには、差別や貧困に苦しむHIV陽性の若者たちがいます。

中にはエイズで親を亡くした、デリック君のような子ども時代を過ごした若者もいるのです。

 

あなたの支援がなければ、

若者たちは、ずっと貧困から抜け出せず、「未来がない」と将来を悲観したままかもしれません。

若者たちの中には未婚のシングルマザーもいて、子どもを健康に育てていくことができないかもしれないのです。

 

あなたにお願いしたいことは、一つ。

どうか、いま、このプロジェクトを支援してください。

 

400万円を集めるという大きなチャレンジです。

絶対に達成させて、支援を届けたいのです。

 

これは、わたし一人では到底成し遂げることはできません。

これまでの13年間、アフリカの人々を救ってこれたのも、

一人一人の「個人」の方の支援があったからこそです。

 

だから今回も、あなたと、みなさんと、力を合わせれば、

実現できると強く信じています。

 

いま、あなたのご支援を必要としています。

どうぞよろしくお願いいたします。