みなさん

いつも応援ありがとうございます。

このチャレンジもあと10日に迫って参りました。

チャレンジ開始後これまでのいじめの相談件数が、20件に達しようとしています。そして、いじめの相談件数は、5月のゴールデンウィーク明けから徐々に増加し、夏休みごろピークを迎えます。

夏休みを終え新学期が始まる頃に、命を絶つ子どもが後を絶ちません。

このチャレンジも、いじめからの救出も、ここからが正念場ですので、引き続きご支援・拡散をよろしくお願いいたします。

 

 

今回は、いじめの原因について考えてみます。

 

いじめについての講演会のときなど、「いじめられる方にも何か原因があるでしょ?」という質問があったりします。こういう質問やある種の確認は、懇親会や打ち上げなどの席では、もっと頻繁に投げかけられるので、多くの大人が、「いじめられる方にも原因がある」と考えているのでしょう。

さらに、自称元いじめっ子という大の大人が武勇伝的に自慢話をしてきたりします。いじめの問題を解決しようと日々奮闘している人間がいる場で、そのような話をするということは、きっと喧嘩を売っているのだろうとは思いますが、あまりに愚かな行為です。

 

たしかに、相談を寄せてくる子どもの中には、自分が子どもの頃だったら、仲良くはなれなかっただろうなと思うような子もいます。しかし、それは、単に気が合わないということであり、だからといっていじめたかといえばそうはなりません。きっかけがあれば話をするでしょうし、一緒に遊びもします。気が合わない、何かがみんなと違う、気に入らない、それのみで、いじめをするというのは、あまりにも短絡的です。

 

我々の考えは一貫しています。
「いじめは行う側の選択である」

ということです。

 

あくまでも、いじめる側が対象者の何らかの行為や持っている特徴をきっかけとして「いじめる」という行為を選択したのであって、いじめられている側が、望んだわけではありません。

仮に価値観や行動様式に相違があったとしても、折り合いをつける必要があれば話し合いをすればよく、教師などの大人に関与してもらうこともできる。

また、適度に距離を置き、必要以上に関わらないという手もあれば、敢えて飛び込んでいき、粘り強く相互理解を進めることもできる。
仮に、そうした対応をしていって全てが徒労に終わったとしても、それでもいじめるという必然性はどこにも存在しないのです。

 

いじめは、いじめる側が「いじめる」という選択をして、実行に移しているだけであり、ゆえに、いじめは加害者側に原因と責任があるとするのが、我々の考え方です。

 

 

 

新着情報一覧へ