ゆめサポママ@ながのの活動をしていこうと思ったとき、

いろいろと想いを巡らせていったら、たどり着いたのが丸山先生でした。

 

長野市の中学校の先生で、キャリア教育にご尽力されていました。

 “地元の子ども達の視野を広げたい、選択肢を増やしたい”

そんな想いをもった先生。

 

12年ほど前。出会ってすぐ、キャリア教育の授業に関わってもらえないかと連絡がありました。

丸山先生はその時、「タイから雑貨を輸入して販売する」という授業を行なっており、何を輸入し、どのように販売するかなどをみんなで考える。

しかも、輸入の依頼を、当時としては大変であった衛星電話を使って、タイとつなぎ、英語で発注するということも成し遂げていました。

 

「英語って、こういう時に必要になるんだ」「ものって、こうやって輸入されたりするんだ」などと、中学生も肌で感じていました。

複数回の授業を通じて、確実に子どもたちの職業観や世界観が変わっていました。

私も、地元の子ども達の未来に役立つことに関わりたい。そんな気持ちがわいたのも、この時でした。

 

それがご縁となり、さまざまな学校から「キャリア教育講演会」を依頼されるようになり、数千人の生徒さんに受講していただく経験をさせていただきました。

 

 

そんな中、私も妊娠出産育児があり、丸山先生とのお付き合いも疎遠になっていました。

たまに近況報告の機会があると、相変わらず、県外の大学でキャリアの勉強をされていることなどを聞けて、私もまたいつかご一緒できたらいいなと思っていました。

 

しかし突如、病魔が先生を襲いました。しかも、風の便りで私のところに届いた頃には、かなり病気が進行しているというのです。

 

「そうだったのか・・・」

一度メールをしたのですが返事がなく、あれ?おかしいな~と思ったことを思い出しました。

 

私は、万が一でも先生がいなくなることが怖くて、闘病中に連絡を取ったり、お会いすることができませんでした。

でも、丸山先生の想いを直接聞かなかったことを悔やんでいます・・・先生は、48歳という若さでこの世を去ってしまいました。

 

その時私は、不妊治療の末、第2子を妊娠しており、

強烈な腹痛から切迫流産の可能性があるということで入院している最中でした。一緒に活動をしていた先生が、私に伝えなくては!と思って、

連絡先を探してくれて教えてくれました。病院の窓から外を見ながら、涙しました。

 

お葬式は、私の退院の日。かけつけた時にはもう葬儀は終わっていて片付けをしているところでした。

誰もいないお葬式会場の席に座り、丸山先生の写真を見上げ、

「いつか必ず、先生が想っていたことを少しでも叶えられるよう、頑張ります」「長野の子ども達がイキイキと大人になるために、できることを考えます。」

そう誓いました。

 

 

今、私は“ゆめサポママ@ながの”を作ろうとしています。それは、長野の子ども達がイキイキと自由に夢を描けること。

そして、子育てを楽しみ、母を楽しみ、自分を楽しめるママが、増えること。という目標に向かって動き出しました。そのために、仲間とともに長野県で子育て中のお母さんに向けた「人、学び、情報との出会いの場」を作ろうと頑張っています。

 

なぜ、私が「誰からも頼まれていないこの活動」をやろうとするのか?

自分の問いかけたときに出てきたのが、丸山先生と私が勝手にした約束でした。

 

といいながら、もしかしたら「森田さん、それじゃないよ。僕が目指していたのは!」って、天国で笑っているかもしれませんが(^_^;)

 

 

 

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