
支援総額
目標金額 3,500,000円
- 支援者
- 152人
- 募集終了日
- 2023年7月18日

令和6年豪雨で倒壊した山形県酒田市 御瀧神社|修繕と復興にご支援を
#地域文化
- 現在
- 14,090,000円
- 支援者
- 476人
- 残り
- 9日

【大船渡 山林火災】3.11の被災地が再び被災. 緊急支援を開始!

#災害
- 現在
- 3,347,000円
- 寄付者
- 362人
- 残り
- 39日

緊急支援|岩手県大船渡 山火事被害へのご支援を

#災害
- 現在
- 7,057,000円
- 寄付者
- 735人
- 残り
- 39日

弘法大師空海が祈った北斗七星巡礼地、星塚参道整備へご支援を|観心寺
#観光
- 現在
- 12,585,000円
- 支援者
- 172人
- 残り
- 34日

緊急支援|中国チベット自治区の地震被害へのご支援を

#国際協力
- 現在
- 1,086,000円
- 寄付者
- 150人
- 残り
- 9日

ドクタージェット、ついに全国の空へ。医療現場での普及活動にご支援を

#子ども・教育
- 総計
- 60人

夜の世界で孤立・困窮している女性たちに、必要な支援を届けたい

#医療・福祉
- 総計
- 176人
プロジェクト本文
終了報告を読む
駒形根神社について
駒形根神社宮司の鈴杵睦彦です。大学を卒業して以来40年以上当神社の職務に携わってまいりました。10年前に先代の後をつぎ宮司となりました。私で69代目宮司となります。地域の方々が大切にしてきた神社とこの地域の伝統を絶やさないということを目標に神職を務めております。
神社の鎮座する栗原市栗駒地区は栗駒山の麓の山間部に位置し、人口減少と高齢化の進む地域ですが、幸い総代さんや氏子の方々の協力により細々ながら維持しております。当神社の秋の例祭には境内の相撲場を会場に、市内の小学生や地元の中学生が参加する奉納相撲を行っています。
駒形根神社は「勅宣日宮駒形根神社」と称せられ、東北地方のほぼ中央に位置し、宮城、岩手、秋田にまたがる栗駒山(1626m)を御神体と仰ぎ、頂上に奥宮を鎮座し、天照大神他十二柱の神々を御祭神としてお祭りしています。
また、頂上より西方に下ったところに御室(おむろ)と呼ばれる霊地があり、古くは修験者の信仰の対象となっていたと伝えられています。古来より日宮・大日社・駒形社と称し、近隣の氏子崇敬者からはお駒様と呼ばれ親しまれてきました。
社記に『日本武尊御東征の折、大日孁尊外五柱の主神に祈願創建』奥羽鎮護の一ノ宮として栗駒山の古名である駒形嶽を奥宮、麓の沼倉の地に里宮を祀ったと記され、太古より日宮と呼ばれていました。
日は火に通じて火山を意味し、祖先が山のもつ神秘性に霊威を感じ、山岳信仰を母胎に自然崇拝・鎮魂の祭礼が起こり、神社への信仰を形成してきたと考えられます。
延暦二十年(西暦801年)征夷大将軍として出征してきた坂上田村麻呂が奥羽鎮定を祈願、その後、勝利を得たことにより、東は一関三島、西は花山(栗原市)、南は尾松大鳥(栗原市)、北は秋田仙北に四大門を建て、自ら駒形根大明神の大額を奉献しました。
次いで仁寿元年(851年)神階正五位を贈られ、清和天皇期貞観元年(859年)朝廷より勅使恵美朝臣が下向し正一位を贈られ、「勅宣日宮」の称号を賜ったことが史料に散見されるなど、大和政権による蝦夷平定に伴い神社も発展を続けました。
延喜元年(901年)延喜式神名帳に登載され、後の源氏、平泉藤原氏からの崇敬も篤く、武具祭田の献納もあったと伝えられています。
時代とともに社殿も壮大となり、四大宮司三十禰宜六十社家を擁し、奥羽総鎮守として信仰を集め、お駒精進講・お駒講・駒形講等の駒形信仰の源流となりました。
平安期中頃になると奥羽一帯が修験の地となり、神仏習合の時代となります。嘉祥三年(900年)、当駒形根神社は駒形山大昼寺(くぎょうさんだいちゅうじ)と称されるようになると、天台密教の修験道の地となり、栗駒山にもたくさんの修験者が修行の場を求めて入山したということです。
栗駒山麓の御室はその時代の聖地の一つと考えられています。以降、神仏習合として祭事が執り行われることとなりました。
800年あまりにわたる当社の神仏習合でしたが、江戸時代中頃になると、仏教との分離が進められました。元文四年(1739年)神社として分離したことを機に、御巡幸の神事が始まりました。寛保三年(1743年)桜町天皇より御宣命と御宸筆の扁額を賜り、以後祭礼には御宣命を奉持した際の行列を模して神輿渡御を行い、明和三年(1766年)神道管領吉田家御下渡祭式の法に則り、御巡幸の諸式が定まりました。
明治4年(1871年)、太政官布告により社格制度が定められ、郷社に列せられました。昭和3年建立の奥宮が朽ちて、昭和62年に山頂に奥宮が再建されました。山頂では、毎年、5月の第3日曜日の山開きに合わせて、山頂祭「奥宮まいり」を行っています。
最初に頂上に御社が立てられたのがいつなのかは今に伝わっていませんが、現在の御社の前の御社は昭和3年に建立されたと記録にあります。当時の御社は木造だったため風雪により、いつの頃か倒壊し、なくなりました。
昭和60年代に入り、宮城県と岩手県の近隣の有志の方々により現在の鉄製の社殿が寄贈され、昭和62年10月に頂上に設置されました。駒形根神社は周囲に田園地帯が広がる栗駒山を水源とした地域で農耕を中心とする産業が営まれてきたことから、古くから農業や畜産の神、五穀豊穣の神、家内安全と商売繁盛の神として信仰されてきました。
また麓の栗原一帯が昔から馬産地であったことに加え、栗駒の山名と初春に見られる残雪の駒姿から、馬への信仰が根強く残り、交通安全や運輸流通の神としても多くの方々から信仰されてきました。
近年登山客も増え、夏山登山や紅葉登山では、登山口までの道路が車で渋滞するほどの賑わいを見せるようになってきました。栗駒山頂の御社は、周辺地域の産業発展と農業の振興、地域の守護、登山客の安全を守るという願いが込められ、氏子崇敬者によって建立されました。
現在でも栗駒山頂を訪れる登山客の参拝が多く見られます。
古来、信仰の対象だった霊峰栗駒山も時代が移り、5月の開山式には山頂を目指し多くの登山客が集い、秋には「神の絨毯」とも言われる紅葉を求め、県内外からの観光客で賑わう憩いの地となっています。
プロジェクトを立ち上げたきっかけ
頂上の御社は鉄製のもので、かなりの重量があることから当時ヘリコプターで運搬して設置しました。設置以来35年、幾度かの修理を施しながら持ち堪えてきた御社も、風雪と火山性のガスの影響でかなり腐食と破損個所が目立つようになり、昨年冬には屋根が大きく壊れてしまいました。
社殿としての風格が維持できないだけでなく、これ以上破損が進むと周囲に対しても危険になるということで、今回撤去して新しく石宮として再建するという結論に至りました。
皆様のご支援で出来ること
今回の再建に際して、いくつかの業者に相談したのですが、道具類を頂上へ運び、鉄骨の御社を解体し、さらに登山口まで運搬することが困難な上、再建する石宮を頂上に運び上げることもかなり難しいということでした。結局、運搬はすべてヘリコプターによって行うという結論になりました。
現在の鉄製の御社を解体した後ヘリコプターで搬出し、さらにヘリコプターで石宮を頂上に運搬し設置します。現在の御社の地上での撤去、石宮製作と設置の費用もさることながら、ヘリコプターでの運搬のための費用は、今回の工事費用総額の半額以上を占めます。小さな御社の再建ではありますが、かなり大がかりな工事ということになります。
●奥宮再建のための予想額
○ ヘリコプター運搬(派遣費用も含む) 2,500,000円
○ 現鉄骨製奥宮の撤去及び新奥宮の設置費用 1,200,000円
○ 石宮製作(高さ90㎝) 500,000円 ※作り方による価格差あり
合計金額 4,200,000円
クラウドファンディングでの目標金額が達成された場合、すぐに新しい御社(石宮)作製の発注と設置のための手続きが開始され、早ければ今年の栗駒山の紅葉シーズンの終わる10月後半以降の風のない好天の時期を選んでの設置作業を行う予定となっています。設置されれば来年の山開きの日、新しい御社(奥宮)での山頂祭が行われることになります。
本来であれば、氏子崇敬者へも寄附のお願いをしなければならないところですが、実はかなり以前から里宮の本殿と拝殿の老朽化が著しく、令和2年より修築事業を行いました。修築事業では氏子崇敬者だけでなく、近隣の有志の方々よりすでに多額の寄附をいただいております。
駒形根神社の鎮座する栗原市の栗駒地区は、高齢者世帯が多く、しかもここ数十年人口減少が続いており、これ以上の寄附をお願いすることができません。そんな折、一部の氏子の方々からクラウドファンディングの話をいただき、総代会で話し合った結果、実施することにしました。
応援メッセージ
千葉信男
駒形根神社総代長
駒形根神社は地元地域では親しみをこめて「お駒さま」と呼ばれ、古くは「御駒講」または「御駒精進講」などが組織され、東北各地から参拝に来たと聞いています。「東は一関三島、西は花山(栗原市)、南は尾松大鳥(栗原市)、北は秋田仙北に四大門を建て…」と社記にも記されるように、栗駒山を囲む広い地域から参詣に訪れる往時の姿が偲ばれます。
御神体である栗駒山の頂上に奥宮を設置することは、戦後長らく地元の氏子や崇敬する人々の願いでもありました。頂上に奥宮を建設するという気運の高まりに奉賛会が組織され、多くの方々の志により、昭和62年に念願叶い、頂上に奥宮を設置することができました。以来、多くの登山客の参拝を受け入れ、地域の人々の崇敬の対象ともなってきました。
今回、老朽化による破損のため奥宮の再建ということになりましたが、長年崇敬の対象であった現在の御社を撤去することは私どもとしても後ろ髪を引かれる思いであり、多くの参拝者の思いに逆らうのではないかと心残りではあります。しかし、破損の状況をみるとこれ以上の修復も困難であり、再建することが適当と判断いたしました。
今回再建を試みるわけですが、長年当神社を支えてきた栗駒地区も、ここ数年の高齢化と人口減少から必要とする額の寄附を期待することが難しくなってきました。思案の結果、今回初めてのクラウドファンディングでの寄附をお願いすることになりました。多くの方々に賛同をいただき、ぜひ奥宮再建に力をお貸しくださるようお願いいたします。
炭屋 一夫
栗原市観光物産協会会長 駒形根神社奉賛会
当勅宣日宮駒形根神社は、栗駒山を御神体とし、栗駒地区はもとより、山を水源として、周辺で農業や産業を営む地域から広く信仰されてきた歴史のある神社です。栗駒山頂には昭和3年に木造の社殿が建設されたことが最も古い記録として残されています。木造の社殿への奥宮参りについての伝承はあるもののその時代の記録はなく、社殿も風雪とともに朽ち果てたものと考えられます。
戦後、頂上の奥宮のことも顧みられなくなり、忘れ去られた時期が続きましたが、昭和60年頃になると地元氏子崇敬者や登山者の間からも、再び頂上への社殿設置の要望の声があがるようになりました。氏子崇敬者の方々の働きかけもあり、近隣の有志の方から現在の鉄製の社殿が寄贈されることになりました。
昭和62年、栗駒地区内外からの御寄附もあり、社殿をヘリコプターで頂上へ運搬するという大事業にはなりましたが、念願の頂上への社殿設置は、多くの方々から称賛され、また崇敬する方々に希望を与えました。以後、修繕を繰り返し、岩手宮城内陸地震や東日本大震災にも持ち堪えた奥宮でしたが、設置から35年がたち、かなり老朽化が目立つようになり、昨年は屋根が大きく破損してしまいました。
周囲にも危険であることから、これを期に社殿の再建をめざすことになりました。栗駒山の頂上にある高さ2mほどの小さな社殿ではありますが、現在の社殿の撤去も新しい社殿の設置も運搬にはヘリコプターが必要であり、大きな工事になってしまいます。
35年前、私は奥宮建設をめざす奉賛会の一員として、微力ながら賛同者の方々の熱意を感じながらお手伝いをさせていただきました。
現奥宮設置の頃にくらべ、氏子崇敬者や賛同者も高齢化し、近隣地域の人口も少なくなった上に、栗駒山頂での奥宮設置は困難な作業になると思われますが、ぜひこの事業が成功するよう応援したいと考えております。栗駒山周辺地域の繁栄と多くの登山客の安全を見守り、心の拠所となってきた奥宮が再建されることを強く願っています。
今回のクラウドファンディングに、多くの皆様の浄財をお寄せくださいますようお願いいたします。
佐藤 勇
元栗原市長
「生まれ故郷の栗駒山は 富士の山よりなつかしや」郷土の詩人白鳥省吾の歌にも詠まれる栗駒山は、栗原市民にとっては小さいころから身近にある山であり、農業が主要な産業である栗原市においては大切な水源の山でもあります。昔から、春先の残雪の種蒔坊主の姿が現れると種蒔きが始まり、駒姿が現れる時期になると一斉に田植えが始まると伝えられるほど、地域の人々の生活にも密接に関わってきました。
毎年5月に行われる「山開き」には、栗原市以外の多くの地域から登山客を迎え、秋には「神の絨毯」と呼ばれるみごとな紅葉を求め、車の入場規制をするほどの多くの観光客が集まります。
その栗駒山の頂上に奥宮が再建されることは、山を大切に思う栗原の人々だけではなく、山の自然を愛し、水源として生活してきた周辺地域の人々や多くの登山客、観光客の思いにかなうものと考えています。
栗駒山を御神体とする駒形根神社奥宮の再建を私も応援します。
千葉 厚
栗原市相撲連盟会長
栗駒山(くりこまさん)は私たち栗原生まれにとって、とても身近な存在であります。
私が東京で暮らしていた頃は帰省して栗駒山を見上げる度に『帰ってきた!』と実感いたしました。その栗駒山をご神体とする駒形根神社の土俵で私は小学校や中学校時代に奉納相撲で3人抜きや5人抜きでご褒美をいただきました。私の息子たちや、大相撲で活躍する時疾風関も駒形根神社境内の土俵で相撲を取っていました。
歴史ある駒形根神社の奥宮をみんなで支えていきたいと思います。
ご協力をどうぞよろしくお願いします。
菅原 憲
栗駒の自然を守る会会長
普段は水や空気は当り前にあるものと思って生活しています。しかし、栗駒山を歩いてみると、冬を越した雪渓から流れる雪解けの水と渓流に生きるイワナやヤマメ、春のブナの木や雑木林の芽吹き、夏山の高山植物、そして「神の絨毯」と呼ばれるみごとな秋の紅葉、どれ一つとってもかけがえのない自然の組み合わせであると感じてしまいます。
祖先たちはこれらの自然を神様からの贈り物として大切にしてきました。神様からの贈り物を昔から見守ってきた駒形根神社の奥宮の再建を応援しています。
菅原 勲
東京栗駒会 会長
生まれ故郷の栗駒を離れ、現在は東京に住んでおります。東京栗駒会はそんな栗駒を故郷にもつ人たちの会です。幼少の頃から栗駒山を眺めて暮らしていたので、栗駒のことを思い出す時、まず山の形が浮かんできます。帰省した時も、栗駒山の稜線が見えてくると、昔の思い出がよみがえると同時に、ふるさとに帰ってきたと実感します。
栗駒山は今でも、なつかしいふるさとの山です。その山頂に建つ駒形根神社奥宮の再建を私たちはとても楽しみにしております。ぜひ、再建に皆様のお力をお貸しください。
今後の展望
栗駒山の山頂へは、宮城・岩手・秋田の三方向から登ることができ、特に宮城県側の中央コースは徒歩約1時間30分で頂上に達します。なだらかな斜面が続き、頂上近くで若干の急斜面はあるものの、初めて登山をする方々にも程良い距離で眺望も楽しめる登山コースとなっています。山頂に立つと宮城・岩手の平野部はもとより、秋田・山形の山々を見渡すことができます。
駒形根神社奥宮は、霊峰栗駒山を守護神と仰ぎ、古より山を水源として生活や産業を営む周辺地域の繁栄と多くの登山客の安全を見守ってきました。奥宮再建のため、皆様にご助力いただきますようお願いいたします。
2024年の山開きと山頂祭りについて
栗駒山の山開きは、例年5月の第3日曜日午前9時に、中央コースと東栗駒コースの登山口となる「いわかがみ平レストハウス前」で行われます。(雨天や強風の場合は、レストハウス内)
山開き終了後、頂上に登り、11時30分頃山頂祭が行われます。(雨天、強風の場合は中止 山開きの時期は登山コースにまだ残雪があり、積雪の状況や天候により山頂祭の実施時刻が前後します。)
今回ご支援いただいた皆様には、2024年の山開きと山頂祭の実施場所と日程、その他詳細をお知らせいたします。お知らせは1ヶ月前ごろお送りいたします。(2024年4月ごろ)
- プロジェクト実行責任者:
- 鈴杵睦彦(駒形根神社)
- プロジェクト実施完了日:
- 2023年10月31日
プロジェクト概要と集めた資金の使途
現在の栗駒山頂奥宮の撤去と石宮で作られた新奥宮の設置を目標としています。資金の使途としてはヘリコプター運搬費用約250万円、現鉄骨製奥宮の撤去及び新奥宮の設置費用120万円、新石宮製作費50万円と見積もりを立てています。
リスク&チャレンジ
- プロジェクトを実施する上で必要になる資格や許認可について
- 宮城県自然保護課に奥宮再建の届け出し、許可を受ける必要があります。2023年9月末までに許可は取得できる予定です。
- プロジェクトに必要な金額と目標金額の差額について
- 必要金額と目標金額の差額は自己資金で補填します。
あなたのシェアでプロジェクトをさらに応援しよう!
プロフィール
あなたのシェアでプロジェクトをさらに応援しよう!
リターン
5,000円+システム利用料
5千円 応援コース
○お礼状と奥宮設置の報告。
○山開きと山頂祭「奥宮まいり」実施についてのお知らせのお手紙をお送りいたします。(4月頃)
※ 優遇税制の対象ではありません。
- 申込数
- 66
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2023年11月
10,000円+システム利用料
1万円 応援コース
○お礼状と奥宮設置の報告。
○山開きと山頂祭「奥宮まいり」実施についてのお知らせのお手紙をお送りいたします。(4月頃)
※ 優遇税制の対象ではありません。
- 申込数
- 43
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2023年11月
5,000円+システム利用料
5千円 応援コース
○お礼状と奥宮設置の報告。
○山開きと山頂祭「奥宮まいり」実施についてのお知らせのお手紙をお送りいたします。(4月頃)
※ 優遇税制の対象ではありません。
- 申込数
- 66
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2023年11月
10,000円+システム利用料
1万円 応援コース
○お礼状と奥宮設置の報告。
○山開きと山頂祭「奥宮まいり」実施についてのお知らせのお手紙をお送りいたします。(4月頃)
※ 優遇税制の対象ではありません。
- 申込数
- 43
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2023年11月