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募集期間が短くなり、伊藤選手の"想い"を、改めて記載しました。

 

 

じめまして、伊藤智也です。

私が車いす生活になったのは19年前の夏のことです。仕事中いきなり身体が動かなくなりました。すぐに検査入院をしたところ、多発性硬化症と診断されました。医師からは「この病気は、最初に失明するのが一般的だ」と言われ、入院して1週間で失明しました。約2年の入院生活の中、失明しただけでなく、喉の障害で口もきけない、両手足まで動かなくなってしまいました。さらに医師からは「合併症をおこせば余命3年」と言われ真っ暗闇に叩き落とされたような気持ちになり、自暴自棄にもなりました。

 

しかし、その半年後奇跡的に右目が見えるようになり、少しづつ言葉も話せるようにり、なんと手まで動かせるようになったのです。それでも、みぞおちの下から先は障害が残っており、今でも動かすことができません。車いす生活を余儀なくされ鬱屈したリハビリ生活を送っていたなか、ふと、車いすのカタログを見ました..

 

そして、「あ、これかっこいいな。これにします!」と注文したのがレース用の車いすでした。

 

車いすを注文してから半年後、入院して1年後に、車いすメーカーの方からレースのお誘いがありました。「まあ、せっかく買ったのだから1回ぐらい出てみるか」と、軽い気持ちで出場してみたところ、トップが約40分で走った距離を私は1時間45分もかかりました。なめていたのですね。気持ちの上では自分は障がい者になっていなかった。途中で筋肉痛に見舞われましたが、リタイヤするのが嫌で走り切りました。沿道からは「がんばれ、最後まで走り切れ」と声を掛けられ、私は余計に惨めになりました。ゴールのあと血まみの手を見ながら、闘争本能に火が付いたのを感じました。

 

「必ずこの競技でテッペンを取る」と。

 

 

 

 

その後、練習を重ねた私は大分国際車いすマラソンで2位になり、2005年 プロ車椅子ランナーへ転向。日本選手権・世界選手権で優勝し、パラリンピックでは、アテネ、北京、ロンドンと3大会連続出場しました。アテネでの苦い思い出を糧に、北京では2種目で金メダルを、後進のために現役引退を4年間延長して出場したロンドンでは3種目で銀メダルを獲得しました。

 

現役を引退した後は、執筆活動や講演活動などを行ってきました。しかし、去年小平先生との運命的な出会いがあり、何より「指ヨガ手袋」を着用してみて体調がすこぶる良くなった事で、再度復帰を決断しました。復帰後半年間は公式レースに出場できませんので、非公式にはなりますが、まずは2017年の秋、世界記録に挑戦します。そして、2018年の日本選手権にて公式での世界最速記録を更新するべくチャレンジします。もちろん、その後に待つ大きな大会も視野に入れて、これから邁進します!

 

残りの募集期間も少なくなりましたが、アスリートとして、最後まで諦めません。

皆様のご支援を、どうぞよろしくお願いいたします!

 

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