最後まで様々な移民たちの優しさに触れた取材でした!

 

ソマリ・ミュージアムのダンスグループの方々と一緒に

 

ディレクターの比呂です。

 

本日、シカゴから香港経由で帰ってきました。行きは、広州・香港で3泊してからのシカゴへの飛行機でしたが、帰りはシカゴから香港15時間、香港から東京4時間のフライト。。。9月10日の朝に帰ってきましたが、あまり体験したことのないような疲労を感じた1日でした。

 

でも、おかげさまで、思っていた以上のものを米国の各移民街で撮影出来ました。これもみなさまのおかげです。あらためて、ありがとうございました。

今回は、この新着情報の場を借りてどんな活動をしてきたか、ざっくりとご報告させていただきます。

 

アフリカ料理のお店でティラピアとジョロフライスを食べる比呂(スーダンからの買い物客が撮影)

 

まずは、広州のリトル・アフリカとも言われる小北地区です。ここでは、特になんの当てもなく、さらには情報もあまりないまま彷徨うという取材で、おそるおそる撮影しておりました。2日間ウロウロして見学しましたが、夜になると活気が出て来る街で、移民街というより中国人や中国人ムスリムが経営するお店に外国人の方々が買い物にやってくる場所という印象でした。

 

ですので、お店のほとんどは中国人。英語もカタコトしか通じないため、こちらの意図を伝えるのも難しく、なかなか撮影するにも難しい状態。25年ぶりの中国で勝手もわからず、さらには到着翌日に台風が直撃!(広州も一部浸水)正直あまり面白いものが撮れた感じではありませんが、紹介程度の映像はあるかと思います。ただ、これから作成するガイドブックには、どのあたりの場所を散策するとアフリカやイスラム教徒の移民が集まる場所があるかなど、お伝えすることができるかなと。アフリカの人やムスリム向けのレストランがいくつもあって、普通に散策して、食事をするには面白い場所だと思います。夜遅くまで子供が駆け回るところを見ると治安もまったく問題ない感じでした。(アメリカの各都市の方がその比じゃないくらい悪いですから。。。)

 

ソマリ人のアブドルラフマンと一緒にミュージアムの看板とソマリアと米国の国旗の前で

 

続いて、今回のハイライトとも言えるミネアポリスにあるソマリ人の移民街です。こちらは、現地のソマリ・ミュージアムのアブドルラフマンをはじめ、同ミュージアムの方々に支えられながらの撮影ということもあり、日本人だけでは決して行くことの出来ないような貴重なイベントやお店、ファッションや料理を紹介していただくことが出来ました。その様子をネット番組で伝えたいと思っています。

 

200軒近くあるソマリ人向けのモールを、ソマリ人女性たちと散策するレポーターの上石

 

また、予定していなかった2017年のイード・アル=アドハー(Eid ul-Adha)という日本では犠牲祭とも言われる祝日があり、ミネアポリスに住む25000人のソマリ人たちが集まるホールで、祈祷の様子も取材させていただきました。

 

ミネアポリスの広大なコンベンションセンターを借りて行われたイードの様子たち

 

ミネアポリスの隣街セントポールにあるモン族の2つのモールも取材しました。こちらは、ほとんど突撃でお店の許可をいただいたにも関わらず、多くのモン族の方々に親切に教えてもらいながら撮影することができました。モン族は、70年代ベトナム戦争の影響でアメリカにきた移民です。すでに何十年もアメリカに住んでいるので、若いモン族の2世の方々はアメリカ社会に溶け込んでいる感じです。しかし、モールには、伝統的な衣装や料理を販売していて、自分たちの文化をしっかりと受け継いでいるようでした。

 

お母さんの店の番をしていたモン族の大学生と会話しているうちに伝統的な衣装の着付けをしてもらう上石

 

ミネアポリスとデトロイトの中間にあるシカゴでは、セルビア人が集まるセルビア正教の僧院主催のピクニックイベントを訪れました。前日が、サッカーの試合があったことから、朝まで飲んでいたおじさんたちの2次会にも参加。チェバプチ(セルビアのケバブ)やラキア(様々なフルーツから作る蒸留酒)をご馳走になり、楽しいひとときを過ごしました。

 

ピクニックの音楽会場で地元セルビア人と一緒に盛り上がる上石と青木

 

最後に訪れたデトロイトは、主にイラクからのカルデア人が多く住む地域とレバノンからのアラブ人が多く住む2つの移民街を取材。中東の地域からの移民は、古くは1920年代から訪れた人々。街も全米中に知れ渡るほどの規模の移民街で、あらゆる人種の人たちが美味しい中東料理を食べに訪れにくるそうです。

 

フムスやババガヌッシュなど一般的なメゼと呼ばれる中東の前菜料理とデザート

 

ここでは、中東の料理の取材はもちろんのこと、カルデアの言葉でお祈りをする教会、パレスチナの民族衣装も扱うファッションのお店、その場で肉を焼いて食べさせてくれる肉屋など、移民の街ならではのスポットを撮影しました。また、このアラブ人の街で生まれ育ったアメリカ人フードブロガーの方に案内され、ネットでは知りがたい場所などにも訪れることができました。

 

カルデア人やアラブ人が訪れるイラク料理のお店
左から2人目がフードブロガーのフランキー、右から2人目は、お店の名物お茶おじさん

 

そして、取材が終わり青木と上石は、先にデトロイトから飛行機で出発。私は、レンタカーの返却などもありシカゴに1泊余計に泊まりました。

 

最後に、数日前に3人で訪れたセルビアの食材店に寄ることにしました。ここで朝ごはんを買って、飛行機に乗ろうと思ったのです。しかし、ビュレクというチーズパイが焼き上がりに20分かかるので、飛行機の時間もあり買えないことが分かりました。ちょうど、数枚焼き上がりを待っていたお客さんが4、5人いるという状態だったのです。お店のセルビアの姉さんがビュレクの焼き上がりを待つお客さんに、日本人に1枚譲ってくれないかを聞いてくれました。すると地元セルビア移民の方が、なんと2枚のうちの1枚を奢ってくれました!1枚1000円ほどの焼きたてのチーズビュレクです。最後の最後まで、移民の方々の優しさに触れることになりました。

 

バルカン諸国で食べられているビュレク

 

ソマリ人、モン族、セルビア人、イラク、レバノンなどの中東地域から来たアラブ人やカルデア人。どこの移民の方々も祖国から離れ、様々な困難のなか生きてきた人たちです。その歴史を遡り、話を聞くとどの民族も戦争や争いごとなどから逃れてきたことがわかります。でも、どの民族の人たちも、突然やってきた私たち3人の日本人にとても優しく接してくれました。それだけの苦労をしているからこその優しさだと思います。日本に帰っても出来る限り外国人の移民には優しく接したい。そこにこそ未来があり、差別に未来はないと改めて、この取材旅行を通じて感じました。