プロジェクトスタートしてから今日で9日が経ちました。

 

おかげさまで現在で419000円のご支援をいただきました!すでに目標の半分を達成していることに驚きとただただ感謝の念にたえません。

今後とも多くの方からのご支持がいただけるよう、たくさん発信していきたいと思います。

 

 

 

今回は当農園の名前、『サユールイトシロ』についてお話しいたします。

 

サユールイトシロの『サユール』とはインドネシア語で「野菜」を意味する『sayur』からきています。つまり『サユールイトシロ』とは「石徹白野菜」という意味になるのです。

 

 

そもそも僕と石徹白との縁は結婚した家内の在所であるというところから始まりましたが、そこからすぐに現在の農家の道が用意されていたかと言えば、マッタクそうではありませんでした。

 

結婚した当時、僕は石徹白から峠を越えた白鳥という街に”仕事をしに”出身の愛知県より引っ越してきて3年目のときでした。そもそもなにゆえ愛知県の名古屋近辺のところからまるで縁のなかった郡上の田舎に越してきた、しかも仕事で、というワケですが実はここに来る前は一年弱の期間インドネシアでのんびりと放浪しておりました。

 

何故インドネシアなのか?となると話が長くなってしまうので端折りますが、インドネシアの音楽が好きで文化や歴史にも興味があっただけで行ったインドネシアでのたった一人での旅の中で人間的にずいぶん鍛えられたと思います。

 

郡上の白鳥にきたのは帰国したのち仕事を探すなかで、ある縁で当時インドネシアやマレイシアに工場を作っていた前職の会社を紹介されたのがきっかけでした。

 

当時、行ったこともない岐阜の田舎町というイメージしかなかった郡上でしたので最初は面食らいましたが、最終的に行こうと決めた理由はその未知な部分故だったと思います。人があまりやらないことをやりたがる性格も一因でもあるでしょう。上手くいかなかったら帰ってこればいいし、という楽観的な部分もありました。あとから考えるとこの行動パターンは農業を始める時もおんなじだったのですが。

 

そんなこんなでしたが結局8年間勤めたのち、今度は石徹白に行き農業を始めました。

 

最初に石徹白に行ったころは、田舎だと思っていた白鳥の街よりさらにさらに奥地の田舎の土地をみて、さすがに自分には住めないところだと思っていました。当時はサラリーマンで田舎の中小企業にしては海外相手に面白い仕事をしていましたので、ここまで牧歌的なところでは退屈すぎると思っていたのです。

 

しかし結婚後5年経ち、脱サラを考え始めていた時に目が向いたのはそんな僻地であった石徹白そのものでした。家内の両親は慣行栽培ですが専業農家です。僕はそれまで農業とは縁もゆかりもなかったのですが結婚以来次第に農業は割と身近な存在になりました。

また最初はただ単に牧歌的なイメージだけだった石徹白の土地も深く長い歴史と農作物にはふさわしい気象条件などがそろっていることを知るにつれ、こういった土地を生かした農業をすれば仕事としてもきっと上手くいくんではないか、農業はシロートである自分でも、いやシロートであるからこそ面白くて新しいことがきっとできるんではないかと、単純ですが、そう思ったワケです。

 

今でこそ自然栽培だの自家採種だのと言っている自分ですが、この当時、石徹白に越してきて農業をやると決めた段ですら、そんなことは全く知らず具体的にどうやるかはぼんやりとしたイメージだけでした。なんだかお恥ずかしい話ですが、だから最初の頃は「石徹白でやる農業」ということしか決まっていませんでした。

 

その後、両親の仕事を2年間手伝わせてもらった後、独立しました。

 

(2006年 独立2年目の頃 この時4歳の息子はこの春中学1年になります)

 

独立するには自分の農場の屋号が必要でしたので、これから農業を行う土地の「イトシロ」に自分の人間的成長を積むことが出来たインドネシアの遺伝子を表すためにインドネシア語で野菜を意味する「サユール」を組み合わせた『サユールイトシロ』という名前に決めました。

 

ただ例えば「稲倉農園」のような名前にするつもりは全然ありませんでした。当時はそのような大それた考えが具体的にあったのではありませんが、頭の中にはどこか自分の農園が将来石徹白の共有財産の様になってくれれば、という思いがあったのだと思います。

10年前に農業を始めるときにはそれしか決まっていなかった「石徹白でやる農業」というテーマは、現在でも一番大きいテーマであって、そしてこの先将来においても大きな課題であります。

10年経ちますが、そのテーマに向かって相変わらず試行錯誤の繰り返しです。

 

新着情報一覧へ