Aさんはフィリピンの貧しい地域に生まれ育ち、家族の生活が楽になるかもしれないと20年前日本に来ました。

 

ですが、日本に来てからの生活も簡単なものではありませんでした。

 

17年前、大好きな人の子どもを授かり、出産しました。でも、それはシングルマザーになることを意味していました。出産まで彼には産むことを告げずに、ひとり懸命にお腹の中の赤ちゃんを守り、生活しました。出産するとき、手術が必要になり、どうしても連絡しなければならず、その時初めて彼に子どもを「認知」してもらいました。

 

認知してもらったことにほっとしたのもつかの間でした。日本語がわからない中初めての出産をし、認知はしてもらったけれど、認知の届け出をすぐ出さなければならないことを知らず、子どもも日本国籍を取ることができず、大変な思いをしたと語ってくれました。

 

▲自分のようにシングルマザーでがんばっている人たちをサポートしたい。

 

初めての出産。初めての子育て。日本語もわからない。「認知届を出す」という日本のシステムもわからない。すべてわからない中で、どんな気持ちで生活していたのでしょうか。

 

「諦めず生きていたら必ず報われる時が来る。」

 

Aさんは真っ直ぐにそう私たちに話してくれました。

 

そんなAさんですが、今はある地域のフィリピン人コミュニティーのキーパーソンです。生活に困ったフィリピン人のシングルマザーをサポートする立場になっています。私たち多文化共生センター大阪とAさんは定期的に情報交換をし、界隈のシングルマザーたちをいっしょに見守っています。

 

「昔、私が困っていたように、困っているシングルマザーはたくさんいる。彼女たちの力になりたい。それは私の使命。」

 

明日の後編へ続きます…。