
支援総額
目標金額 15,000,000円
- 支援者
- 113人
- 募集終了日
- 2023年6月30日

困難を抱える女性に元気を。学び/遊び/作り場建設|かにた婦人の村

#医療・福祉
- 現在
- 13,613,000円
- 寄付者
- 283人
- 残り
- 11日

夜の世界で孤立・困窮している女性たちに、必要な支援を届けたい

#医療・福祉
- 総計
- 176人

【第5弾】とまらない物価高に利用者も増加!子ども食堂の継続活動に

#子ども・教育
- 現在
- 3,450,000円
- 支援者
- 87人
- 残り
- 7日

令和6年豪雨で倒壊した山形県酒田市 御瀧神社|修繕と復興にご支援を
#地域文化
- 現在
- 15,340,000円
- 支援者
- 490人
- 残り
- 7日

西郷隆盛公が愛したパワースポット奄美・龍郷の活性化プロジェクト

#地域文化
- 現在
- 1,216,000円
- 支援者
- 100人
- 残り
- 13日

真の復興は間近!奇跡の美酒、世界流通に向けてあと一押しのご支援を。

#地域文化
- 現在
- 4,144,000円
- 寄付者
- 178人
- 残り
- 37日

妊娠SOS新宿|孤独な妊娠に寄り添う最後の砦。活動継続にご支援を

#子ども・教育
- 現在
- 6,155,000円
- 寄付者
- 421人
- 残り
- 3日
プロジェクト本文
応援の声をいただきました
フランシスコ教皇様
5月24日付でバチカンのフランシスコ教皇様より、今回のプロジェクトへ直筆の応援メッセージをいただきました。
1585年にローマ教皇が謁見した最初の日本人使節についての記憶が、昔も今も大切にされていることをうれしく思います。今回のプロジェクトは、当時から今日に至るまでの、現存する豊富な資料を収集する絶好の機会となるでしょうし、文化間の交流と宗教間の対話が、今もいつも実現可能であることを示す出版物となることでしょう。
当時のグレゴリオXIII世教皇が日本から訪れた4少年を受け入れ、豊かさを高めたように、この書物が互いの出会いを通して、さらなる豊かさへと導く道具となりますように。
ヴァチカンにて、2023年5月24日
フランシスコ
さだ まさしさん(シンガーソングライター・小説家)
前川 清さん(歌手)
「長崎は今日も雨だった」でデビューした私の故郷は、題名の通り長崎。母が熱心なクリスチャンだったので、当たり前のように幼児洗礼を受け、幼い頃から日曜学校や教会のミサへ母に連れて行かれました。当時の教会は、子供たちは前に集められ、1時間ほどのミサの間、正座をするのが常。足が痛くてモゾモゾする度に、母から睨まれ、私の最初の試練だったと思い出します。
夏休みはドロ神父様が建てられた出津教会のある母の実家へ。異国情緒漂う、教会の姿は、今もその風情をのこしたまま現存しています。そして、そこは潜伏キリシタンが多く住んでいた地域だと知ったのはのちのことです。
キリスト教は、昔から多くの迫害を受けてきました。「天正遺欧少年使節」の4人も、志高く命も顧みず未来へのロマンに向かって日本を旅立ちました。しかし、8年もの時間を費やして帰国した日本は様変わり。それからの彼らの苦難は想像を絶するものだったと思われます。
長崎南山高校で同級生だった前田万葉君から、この度のプロジェクトの話を聞き、応援させていただこうと一員に入れていただきました。4人の壮絶な生き様を通して、キリスト教の未来につながるお手伝いができればと思っています。
栗原 恵さん(元バレーボール日本代表)
太田 治子さん(作家)
天正遣欧少年使節の4人の少年が、2年半もの長い年月をかけてリスボンに到着したのは、およそ450年も前のことになるという。少年たちは、各地で大歓迎された。絵の中の4人は、白い衿飾りの付いた服を着ている。東洋の王子さまのようにみえる。ポルトガルからスペインへ――そこでは時の権力者フェリーペ2世に謁見、続いてイタリアへ入りついにローマ教皇グレゴリオ13世に謁見するに到る。あの信長も考え及ばなかったことだった。
今回刊行が進められている一冊の本には、少年たちを描いた当時の絵や記録、更には今も残る美しい文化遺産の写真がたっぷりと収録されるという。きっと450年前にタイムスリップして、少年たちと旅をしているような心地に浸ることができるだろう。
introduction
天正遣欧少年使節の事績を
後世へ伝えていくために
天正10年(1582)に長崎を出港した4人の少年。少年たちは、「天正遣欧少年使節」と呼ばれ、現代までその名が伝わっています。少年たちは、苦難の末にヨーロッパの地を踏み、ローマ教皇に謁見しました。異国の地での体験は計り知れない感動に満ちたものでした。その後、再び太西洋、インド洋を経て、長崎に戻ったのは8年後の天正18年(1590)のことでした。
自分の命を顧みず海を渡った少年らの心の中は、いったいどのようなものだったのでしょうか。この度の図譜「天正遣欧少年使節」の刊行は、その歴史的痕跡や事績を伝えるべく、少年たちが持ち帰ったヨーロッパの先進的な文化や、海外で記されている少年たちの資料を改めて検証し新たな発掘に挑み、後世に残す一冊とします。
本書は日本語・英語の併記とし、世界の研究機関にも寄贈されます。併せて、今、歴史に例を見ない混迷の世界の中で夢やロマンを見失いがちの若者に「少年使節」の感動を再び伝えたいと願っています。
実行委員長
髙祖敏明より
織田信長が本能寺にて斃れ、秀吉が天下取りに突き進んでいた時期に、長崎を出航し、アフリカ南端の喜望峰を回って、リスボン、マドリッド、そしてローマを訪れた日本人の一団がいます。大友宗麟、有馬晴信、大村純忠の名代として派遣された伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルティノ、中浦ジュリアンの、天正遣欧使節です。
使節は、ポルトガルとスペイン、イタリアの、行く先々で熱烈な歓迎を受けました。ローマ教皇グレゴリウス13世への謁見は1585年3月。この年だけで、東方からの使節を紹介する冊子や書物が50種類、それもイタリアを中心に、使節が訪れなかったベルギー、ドイツ、フランス、チェコでも出版されており、大々的な「日本ブーム」を惹き起こしました。
ところが、この使節の事績が日本で一部紹介されたのは約300年後、1892年のことです。それから100年以上も経った2014年には、ドメニコ・ティントレットが1585年にヴェネチアで描いた伊東マンショの肖像画がミラノで発見され、改めて天正遣欧使節への関心が高まりました。使節の残した歴史的痕跡を掘り起こし、その事績全体に光を当てようとする私どもの企画に、ご支援ご協力をいただきたくお願い申し上げます。
天正遣欧少年使節記録図譜刊行実行委員会
実行委員長 髙祖敏明(上智大学名誉教授、前聖心女子大学学長)
天正遣欧少年使節記録図譜刊行実行委員会
実行委員長 髙祖敏明(上智大学名誉教授、前聖心女子大学学長)
衛藤征士郎(日本ポルトガル友好議員連盟会長)
近藤誠一(元文化庁長官)
松本吉郎(日本医師会長)
ペドロ・カナヴァロ(パッソス・カナヴァロ財団理事長、元リスボン大学教授)
前田万葉(カトリック枢機卿)
古川洽次(南蛮屏風下張り文書修復実行委員会会長)
上田良一(東京藝術大学監査、前NHK会長)
宮内孝久(国連UNHCR協会理事長、神田外語大学学長)
菊地功(カトリック東京大司教)
中村倫明(カトリック長崎大司教)
山口道孝(カトリック司祭)
松尾隆之(大阪ポルトガル協会)
さだまさし(シンガーソングライター、小説家)
前川清(歌手)
伊藤玄二郎(鎌倉ポルトガル協会会長)
図譜「天正遣欧少年使節」
概要
天正10年(1582)に長崎を出港した4人の少年は、2年に渡る艱難辛苦の末にようやくリスボンに到着します。長崎に戻ったのは8年後の天正18年(1590)でしたが、当時は豊臣秀吉がキリスト教禁止令を発していました。その後の4人の少年達の生活は、栄光と挫折の中にありました。自分の命を顧みず海を渡った彼らの心の中は、いったいどのようなものだったのでしょうか。進行と栄光とロマンに満ちた少年たちの足跡の全記録の集大成とする一冊です。
右上・伊東マンショ、右下・千々石ミゲル、左上・中浦ジュリアン、左下・原マルチノ。中央は案内兼通訳のメスキータ神父。"日本島からのニュース"と題され1586年ドイツで印刷された天正遣欧使節の肖像画。(京都大学附属図書館所蔵)
内容
【1】旅立ちまで
メッセ―ジ:フランシスコ教皇(第266代ローマ教皇)〈予定〉
1)4人の少年が生まれ育ち、出立までの前史
(キリスト教伝来・ルイスアルメイダと医術)
2)少年使節を支えたキリシタン大名について
3)リスボンまでの航海記録、寄港地の全記録
(少年たちの様子など)
4)リスボン上陸 ポルトガル国内の少年の記録
5)リスボンからローマまで
6)ローマからリスボンまで
7)少年たち一行の様子を伝える現地の記録
8)帰国 リスボン-長崎
9)帰国後の少年たちとキリシタンの状況
10)まとめ 少年たちの果たした役割
【2】少年たちが持ち帰った西洋
【3】潜伏キリシタンとヨーロッパ・日本
1)岩倉具視使節団のヨーロッパ
2)南蛮文学由来
刊行までのスケジュール
●2022年
1月~ 調査・資料収集
10月~ 取材・編集
(取材先:国内/長崎・熊本・大分・宮崎・福岡、海外/マカオ、マラッカ、インド、モザンビーク、セント・ヘレナ島、ポルトガル、スペイン、イタリア)
●2023年
4月~ 原稿作成・編集
●2024年
3月~ 校正
5月中旬~ 印刷
5月末 刊行
※海外渡航のスケジュールの兼ね合いで、既に制作は進行しております。
クラウドファンディングに
挑戦する理由
図譜「天正遣欧少年使節」は、天正遣欧少年使節が残した足跡を後世に伝えることが目的です。そのため、図譜の刊行はもちろんのこと、この一冊を広く国内外へ発信し、歴史と文化を伝えていきたいと考えております。
刊行のためには国内外での取材費、編集費、印刷費などがかかります。今回は海外取材もあり、渡航滞在にも大変多くの金額がかかっている状況です。そこで、ご賛同していただける方々からのお力添えをいただけないかと、クラウドファンディングに挑戦しております。
2020年には、「潜伏キリシタン図譜」の刊行にあたってクラウドファンディングで173名の方々から1,000万円を超えるご支援をいただきました。改めて皆様へ心より感謝を申し上げます。
前回のプロジェクトページ(クリックで前回ページへ飛びます)
ご賛同いただける皆様と共に図譜完成させられた経験は、かけがえのないものでした。今回の取り組みも、資金面はもちろんのこと、多くの皆様の応援の声と共にこの図譜を完成さることに、大きな意味があると考えています。
どうか図譜「天正遣欧少年使節」の刊行へも、あたたかいご支援をよろしくお願い申し上げます。
目標金額と資金使途
第一目標金額:1,500万円/最終目標金額:3,000万円
資金使途:図譜「天正遣欧少年使節」の出版
取材費(渡航滞在費・撮影費・通訳・コーディネイト料等)
編集費(調査費・原稿料・翻訳料・著作権処理費・進行管理費等)
印刷費(デザイン・組版・印刷製本)
その他経費・手数料
※本プロジェクトは、期日までに集まった支援金額に関わらず当初予定していた規模のプロジェクトを実施します。
天正遣欧少年使節団
4人の少年たち
伊東マンショ
(いとうまんしょ)
天正遣欧少年使節の主席正使。イエズス会員でカトリック教会の司祭。マンショは洗礼名、本名は伊東 祐益(いとう すけます)。
千々石ミゲル
(ちぢわみげる)
「ミゲル」は洗礼名で、本名は千々石 紀員(ちぢわ のりかず)、棄教後は、千々石 清左衛門(ちぢわ せいざえもん)。イエズス会による天正遣欧使節に派遣された4人の少年使節の1人で、4人の中で唯一棄教したと伝えられている。
中浦ジュリアン
(なかうらじゅりあん)
中浦は地名、ジュリアンは洗礼名で、幼名は小佐々甚吾(こざさ じんご)。天正遣欧少年使節の副使。イエズス会士でカトリック教会の司祭となり、殉教して福者となった。
原マルティノ
(はらまるてぃの)
イエズス会員でカトリック司祭。マルチノ、またはマルチィノとも。天正遣欧少年使節の副使で、使節の少年4人の中では最年少であったが、語学に長け、ローマからの帰途のゴアでラテン語の演説を行い有名になる。
航海の軌跡
熱狂的な歓迎、ローマ教皇への謁見
天正10年(1582)に長崎を出港した4人の少年。
インド洋で大しけにあったり熱帯域で熱病にかかるなど、航海は困難を極めるものでした。使節一行がインドおよび南アフリカ喜望峰まわりでポルトガルのリスボンに到着したのは1584年8月、じつに出発から2年6ヶ月が経っていました。
一行の訪問は驚きと歓迎をもってヨーロッパ諸国で受け入れられ、スペインのフェリペ2世をはじめ行く先々で国王や領主たちに歓待されました。その際、少年たちは知性ある振る舞いで応え、ヨーロッパ人を感嘆させたそうです。
その後、一行はローマに入ると教皇グレゴリオ13世との謁見に臨みます。教皇は83才という高齢でしたが、日本からの訪問を心から喜び、少年たち一人ひとりを抱きしめました。彼らにとっては限りなく至福な瞬間だったに違いありません。
栄光から一転、禁教が加速する日本への帰国
1586年4月12日、ようやくポルトガルのリスボンを出発した一行は途中、強風でメインマストが折れるなどのアクシデントに見舞われます。そして長崎港にたどり着いたのは1590年7月、じつに8年半におよぶ長旅を終え日本へ戻ってきました。
翌年には京都の聚楽第で豊臣秀吉に謁見しました。このとき少年たちが披露した西洋音楽に秀吉は大いに喜び、何度もアンコールしたといいます。しかしその後、キリスト教への弾圧は加速していき、彼らの栄光もまた消されてゆく運命をたどるのです。
ヴィネツィア大統領宛に送った天正遣欧少年使節の感謝状
天正遣欧少年使節の
もたらした意義
当時の日本において、天正遣欧少年使節の派遣は途方もなく壮大なプロジェクトでした。当時のヨーロッパに日本という国を知らしめ、さらには活版印刷機など西洋の先進的な技術や文化を日本にもたらす……これを出発当時、わずか13才~14才の有馬のセミナリヨで学んだ少年たちが成し遂げたのです。
ヨーロッパでは膨大な数の書物や冊子が出され、彼らのことが伝えられました。400年経った今でも新たに発見される資料が後を絶たず、当時の衝撃がいかに大きかったかがうかがわれます。少年たちの旅は歴史の海を越えて、いつまでも私たちに語りかけてくるのです。
だからこそ、この度図譜という形で使節の残した歴史的痕跡を掘り起こし、その事績全体に光を当てたいと考えております。
どうかこのプロジェクトにご賛同いただき、あたたかいご支援をよろしくお願いいたします。
図譜の詳細
【発行】
天正遣欧少年使節記録図譜刊行委員会
【発行人】
髙祖敏明(上智大学名誉教授、前聖心女子大学学長)
【編集人】
伊藤玄二郎(鎌倉ポルトガル協会会長)
【執筆】
前田万葉(カトリック枢機卿)
デ・ルカ・レンゾ
(イエズス会管区長、元日本二十六聖人記念館館長)
五野井隆史(東京大学名誉教授)
平田豊弘(天草キリシタン館館長)
坪根伸也(大分市教育委員会 文化財課専門員)
髙祖敏明(上智大学名誉教授、前聖心女子大学学長)
山口道孝(カトリック司祭)
ペドロ・カナヴァロ
(パッソス・カナヴァロ財団理事長、元リスボン大学教授)
アレシャンドラ・コルベイロ(リスボン新大学教授)
他
【刊行予定日】
2024年5月末日
【体裁】
菊倍判(302×215mm)上製本函入り 304ページ オールカラー DVD付
日本語・英語併記
【発行部数】
限定1,000部(番号入り)
【制作・発売】
かまくら春秋社
【予価】
25,000円+税
留意事項
1)本プロジェクトへの支援は寄付金控除の対象にはなりませんので予めご留意ください。
2)ご支援確定後の返金やキャンセルは、ご対応致しかねますので何卒ご了承ください。
3)支援完了時に「応援コメント」としていただいたメ ッセージは、本プロジェクトのPRのために利用させていただく場合があります。
4)本プロジェクトのリターンの内、「お名前掲載」に関すこちらのページの「命名権、メッセージの掲載その他これに類するリターン」の項目をご確認ください。 る リタ ーンの条件詳細については、
5)ご支援後にアカウント情報を変更した場合でも、ご支援時に 入力し たお届け先の宛名と住所は変更されませんのでご注意ください。
6) 社会情勢等の影響により出版スケジュールが当初の通りに進行しなかった場合も、延期して実行するものとし、ご返金は行いませんので予めご了承ください。
- プロジェクト実行責任者:
- 髙祖敏明(天正遣欧少年使節記録図譜刊行実行委員会)
- プロジェクト実施完了日:
- 2024年5月31日
プロジェクト概要と集めた資金の使途
取材費(渡航滞在費・撮影費・通訳・コーディネイト料等)、編集費(調査費・原稿料・翻訳料・著作権処理費・進行管理費等)、印刷費(デザイン・組版・印刷製本)、その他(手数料等)
リスク&チャレンジ
- プロジェクトに必要な金額と目標金額の差額について
- 必要金額と目標金額の差額は、自己資金で対応します。
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プロフィール
天正10年(1582)に長崎を出港した4人の少年は、マカオ、インド、アフリカを経由して2年に渡る艱難辛苦の末にようやくリスボンに到着します。 ポルトガル、スペインを経て、イタリアに入りローマ教皇に謁見します。 帰路は、また大西洋、インド洋経て、長崎に戻ったのは8年後の天正18年(1590)でした。遥かはなれたヨーロッパを目指し荒波をのりこえ異国の地での体験は計り知れない感動に満ちたものがありました。 少年たちが持ち帰り今に受け継ぐヨーロッパの先進的な文化や海外で記されている少年たちの資料もたどりながら、自分の命を顧みず海を渡った少年たちの心のなかにあったのは何であったか。 信仰と栄光とロマンに満ちた少年たちの足跡の全記録の集大成として、後世に残す一冊とします。本書は日本語・英語の併記とし、世界の研究機関にも寄贈されます。
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リターン
10,000円+システム利用料

A|ポストカードコース
▶ポストカード
- 申込数
- 37
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年6月
30,000円+システム利用料

B|ポストカード+CDコース
▶ポストカード
▶エヴォラパイプオルガン演奏CD
▶図譜に協賛者氏名掲載(ご希望の方のみ)
- 申込数
- 30
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年6月
10,000円+システム利用料

A|ポストカードコース
▶ポストカード
- 申込数
- 37
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年6月
30,000円+システム利用料

B|ポストカード+CDコース
▶ポストカード
▶エヴォラパイプオルガン演奏CD
▶図譜に協賛者氏名掲載(ご希望の方のみ)
- 申込数
- 30
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年6月
プロフィール
天正10年(1582)に長崎を出港した4人の少年は、マカオ、インド、アフリカを経由して2年に渡る艱難辛苦の末にようやくリスボンに到着します。 ポルトガル、スペインを経て、イタリアに入りローマ教皇に謁見します。 帰路は、また大西洋、インド洋経て、長崎に戻ったのは8年後の天正18年(1590)でした。遥かはなれたヨーロッパを目指し荒波をのりこえ異国の地での体験は計り知れない感動に満ちたものがありました。 少年たちが持ち帰り今に受け継ぐヨーロッパの先進的な文化や海外で記されている少年たちの資料もたどりながら、自分の命を顧みず海を渡った少年たちの心のなかにあったのは何であったか。 信仰と栄光とロマンに満ちた少年たちの足跡の全記録の集大成として、後世に残す一冊とします。本書は日本語・英語の併記とし、世界の研究機関にも寄贈されます。