キグチさんが作品を通して表現してきたことは、キラキラした分かりやすいものではなかった。かといってドロドロもしていない。モソッとした手触りの何か。湿気た煎餅に似ていると私は思う。パリッとした食感はいつまでもキープできるものではない。ずっとパリッとしている方が不自然だ。家で適当に保管していたら湿気て当然だ。この煎餅は何処でどのように保管されていたのか。それを何故いま客前に提供したのか。食べたらどんな味なのか。どんな音がするのか。匂いはあるのか。食べる人は気を使って美味いと言うのだろうか。

 

『我が父、ジャコメッティ』をクリエイションしながら(私はスタッフとして参加していた)、公演のテーマのようなものが何であるかを私は探っていた。あの作品も完成までは苦難の道のりであったが、初めから題材だけはハッキリしていて、とある本の内容を引用することと、それに取り組んでいる出演者たち自身を素材とすることは決まっていた。"編集"に近いような創作の作業の中でキグチさんが気をつけていたことは、変にポジティブに切り取ることはしない、かといってネガティブに振る舞うこともない、つまり「劇的にしない」ということだった。創り出したシーンといえば、地味な葛藤、些細な見栄、不毛な会話、陳腐な想像、下手なピアノと歌、小さな親子喧嘩、作文みたいな少しの本音。そんなものばかりだけれど、どれも私には可愛いらしいと感じられた。

最初に湿気た煎餅に例えたが、そんな調子の内容なのになんだかグッとくる気がする。ここにあるのは「奇妙なものをそのまま愛す視点」であったと私は納得した。

 

 

今となっては、キグチさんの周りの全てが奇妙だ。常に妙な言い訳をしながらダラダラ創作するキグチさん。出来ることと出来ないことの差が激しいキグチさん。そこそこ前向きに病気を受け入れたキグチさん。さっさと亡くなったキグチさん。仕方なく残されたメンバーで『蟹と歩く』を作ったこと。全てが奇妙だ。

『蟹と歩く』の上演が終わって数ヶ月経つが、"奇妙"の波の中にいたあの感覚が今ならまだ残っている気がする。

今回のアーカイブによって「奇妙のなものをそのまま」形にしておければ、と思います。

 

佐藤恵(舞台監督)

 

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