危口さんと出会ったのは2009年。お互い暇だったのか、毎週のように出かけた。彼が何にどう反応して、どう作品に生かすのか。あるいは殺すのか。一挙手一投足に興味があった。小説家のトークショーにふたりで行ったり、あえて大勢でねじ山という名前の山に登ったり、逆にしっぽり武蔵小山の狭い焼き鳥屋で飲んだり、BRUTUSのともだち特集で照れながら一緒に掲載されたり、悪魔のしるしのアフタートークでマイクを持って話したり、いろいろした。決まって話題はプロトタイプについて。生前から、自身が残した作品がどのように繰り返し再演されてゆくのか。お祭りとして、作家の名前が剥げ落ちてもなお残ってゆくのか。この一点について会話を続けた。死後もなおその姿勢は一貫している。こうして彼の離散的に残った言動やアイデアを改めてまとめようとする動きは必然っちゃ必然で、あの世の本人もきっと望むところで、僕もこれに賛同者として名前を連ねている。 
 

 

会話のひとつひとつが、印象に残っている。ある夜、ふたりで飲んでいたら「観光っていうのは要するに土地の演技だからね」と、みなさんご存知みたいに発言した。なにそれ、めちゃめちゃいい言葉じゃないですか。誰かの引用ですか?「いや、だってそうでしょ?」、嬉しそうに答える。だいぶ経ってから悪魔のしるしの舞台を観に行くと「観光は土地の演技である」って書かかれた垂れ幕が下がっている。おー、あのときの言葉だ。でも、そういうことじゃないんだけどな。全身全霊のチャーミングを、公私ともに持ち合わせた人だった。 
 
何を台詞にして、何をト書きに起こして、いつどんなタイミングで、どんな顔をした役者を舞台に登場させるのか。演劇は長い歴史のなかで、繰り返し推敲を重ね、その手法について議論を重ねてきたわけだけど、危口統之の舞台はその歴史とは別の次元にあり、毎回が最初からやり直しであり、その苦労は大変なものだった。何しろお手本がない。逆に、全てがお手本に成り得るとも言える。ひとつも油断ならない。多くの人が認める彼の審美眼の確かさは、そういった切実に裏打ちされたものだったように思う。僕もお手本がない世界(拡張現実)を舞台にしているところがあるから、同じ苦労を味わっている感覚があった。果たして僕は、ちゃんとおもしろいのだろうか。初期のAR三兄弟のイベントに1度だけ危口さんを誘ったことがある。「あれだね、ARがおもしろいんじゃなくて、川田さんがおもしろいんだね」。この言葉を、何よりも励みにして、僕はいまも生きている。 

 

 

 

いちどだけ喧嘩したことがある。僕はとにかく、危口さんの新作の出来に1mmも納得がいかなくて、なぜあんなにおもしろくない舞台を作るんだ。あなたはそんなもんじゃないはずだ、ある年末の飲みの席で一方的に詰め寄った。あまりにも露骨に、しかも共通の知り合いがたくさんいる場所でやったもんだから、危口さんも珍しく激昂した。「なんだよ、お前だって広告の仕事ばっかやりやがって。だいたい丸いんだよ。全体的に」痛いところをついて、痛いところを突かれた。以来、しばらく音信不通の期間が続き、twitterでたまに会話するものの、あの頃のように気軽に飲みに行ける関係ではなくなってしまった。 
 
それが去年になって偶然、明日のアーの客席で隣り合って、そのまま飲みに行った。「いやー、川田くん会いたかったよ!ゲホゲホ!」「お互い、表現の世界で生き抜いたね!乾杯!」「なんだか香ばしい状況になっちゃってさー」すでに体調がとても悪そうで、しばしば咳き込んでいた。それでも相変わらずプロトタイプに対する情熱は冷めてなくて、「病院ってさ、病が重ければ重いほど威光が差すみたいなところあって、そういうの舞台に出来ないかと思って」とメモを出しては次回作の構想を語ってくれた。なるほど、病の威光という名のスポットライトを舞台に持ち込むわけですね。僕はその光景がただ嬉しくて、ただ懐かしくて、なんだか泣きそうになったけど、せっかくの時間が湿っぽくなるといけないので、こらえた。 
 
お互い表現を続けて、確かに生き抜いた。でも、危口さんは死んじゃった。作品はこうして、彼を信じるものたちによって、受け継がれようとしている。まずは最初の一歩、メッセージを最後まで読んでくれたあなた。危口さん末永く最高なので、応援よろしくお願いします。 
 
文と写真:川田十夢

 

新着情報一覧へ