危口さんと初めてお会いしたのは確か、2011年2月のTPAM期間中、横浜中華街入口近くのホテルの1階にあるカフェでした。TPAMに合わせて来日していたスイスの演劇ジャーナリストの友人の依頼で、面識のなかった彼に会う約束を取り付けたのでした。

私がドイツの国際交流基金で働いていた2010年秋、ドイツ・スイス・オーストリアから彼女も含めた6名のドラマトゥルグを日本に送り出しました。当時の日本の舞台芸術の前線をみてもらうためです。滞在中の訪問先の中に、中村茜さんや金森香さんたちが手がける那須高原でのスペクタクル・イン・ザ・ファームが入っていました。

15日間の滞在を終えて戻ってきた彼らに、どうだった?と聞くと、真っ先に上げたのが、那須でみた、複雑なオブジェを建物の中に運び入れるプロジェクト、でした。なぜ、複雑な形の物体を建物の中に運び入れることを、彼らがそれほど面白がるのかよくわかりませんでした。そのアーティストの話を聞けることとなり、私も楽しみに横浜のホテルへ向かいました。

危口さんは私たちより先に着いて待っていてくれました。好奇心いっぱいの友人の質問と、引きずられて高揚気味の私の通訳に対し、彼は含羞を浮かべつつ、言葉を探しながらゆっくりと答えました。何か、あれこれ聞くのが申し訳ないと思う瞬間が何度かあり、気のせいか、その含羞がときに泣き笑いのように見えたりしました。 

そのTPAMで初めて搬入プロジェクトをみて、合点がいきました。準備体操をやっているときからなぜか胸一杯になり、うきうきしましたもの。翌年夏にはチューリヒとバーゼルでもみて、幸福な時間をもらいました。



 

 

元来アーティストに対して畏怖の念のようなものを抱いていて、無意識のうちに距離をとっています。危口さんの手がける作品は極力観ていましたが、ここにメッセージを寄せている方々のような、近しい関係にはありませんでした。劇場で会うとにこにこしながら挨拶を交わすだけ(で十分でした)。彼の作品を通して伝わってくる、演劇とは何かという問いへの真摯な向き合い方、ああでもない、こうでもないと粘って探求する姿勢に、いつも心が惹かれました。制作作業を引き受けた方たちはさぞかし大変だったでしょうけれど、搬入プロジェクトの本を作ってくださってとても有難かったし、『蟹と歩く』記録集も悲しいけれどそれでも読むことができてよかった。大きな一歩を踏み出した滝尾さんの、ある種覚悟を表わしたその文章も含めて。

アーカイヴィング・プロジェクトを応援します。

山口真樹子

(国際交流基金アジアセンター)

新着情報一覧へ