ページをご覧いただきましてありがとうございます。


本日公開いたしまして、2名様から20000円のご支援をいただいております。ご支援くださった皆様ありがとうございます。このプロジェクトはまだまだ始まったばかりです。引き続き終了日に向けて、挑戦は続きますのでどうか皆様応援のほどよろしくお願いいたします。

 


本日は、今回の私の挑戦について、これまでの私の原体験からお話しさせていただきたいと思います。


4人の子どもを育てながらの、んなのいえの構想・着手まで多くの体験がありました。その原体験について、この場を借りて皆様にお伝えできればと考えております。振り返るとかなり濃密な体験をしてきました。その私の体験談の一部を、本プロジェクトの新着情報でご紹介していければと考えております。


 


まず、本日は第一子を出産したときのエピソードをご紹介いたします。


私が長男を産んだのは32歳の時でした。周りに出産経験のある友人や肉親がいませんでしたので、出産と育児に備えネットやたくさんの育児書から情報を集めて、お腹に来てくれたわが子のために一つ一つ勉強をしていきました。


おむつは布が一番、母乳が一番、絵本の読み聞かせは毎晩、大人とお箸の共有は三歳までいけません、から始まり、英会話も、芸術面も、スポーツも、どんな可能性もすべて伸ばしてあげたい!他にもたくさんのこうでなければ!!という思いを胸に。愛するわが子を自分が守り育てるのだ!と張り切っていたのです。


しかし、実際に色々と子育てが始まると数々の困難に直面しました。


退院後は一か月ほど実家で過ごすことになっていました。私の母は、私が小学校3年生のころ病に倒れ後遺症を患っており、産後の私のケアは難しく、父と実家に通ってくれる姉たちに看てもらうことになっていました。


そして、実家に戻って初めての沐浴から父と衝突してしまいました。習った通りにしようとする私と、ずっと横で怒っている父。

 

二人の、こうでなければ!がぶつかり合ってしまいました。

 

助産師さんに「昔はよく赤ちゃんのお耳を塞ぎながら頭を支えたけど、塞がなくてもそんなに入らないことがわかってきたから塞がないでいいわよ~竹内さんの手は小さいから頭を水没させないように、しっかり支えるほうに集中して~」と言われ頭を水没させん!と守ろうとする私と「耳を押さえろ、自分は弟たちの沐浴だって何度もやったからわかってるんだ!耳が聞こえなくなるぞ!!」と譲らない父。


ついには悔し泣きをしながらも、意固地に自分のやり方を変えようとしない私に昭和一ケタ生まれの頑固な父は「でていけーーー!」と怒鳴ったのでした。そして私は、
たったの一晩で乳飲み子とともにタクシーで我が家に帰ることになったのです。


子ども4人を育てた今なら、「じゃあお父さんお願い~」と預けてしまうところでしょうが、その時にの私は必死すぎて、娘と孫を思う父の心配からの助言も煩わしく、「こんなことなら一人で育てるほうがましだ!」と涙ながらに思ったものです。

肉親であるがゆえにお互いの気持ちの壁を越えすぎて思わぬ溝ができてしまうこともあるのだと知りました。


それから私の我が家での子育てが始まりました・・・


勇んでできたものの産後の体は思うように動かず、母乳をきちんとあげることもできない、自分の食事もままならない新米母さんのわたしを案じて、姉が食事を持ってきてくれたり、足しげく通ってきてくれたり、、、


姉に子どもがなかったからあんなにお世話になれたけれど、、、もし姉がいなかったら、、、そもそも頼れる実家もない人はどうしているのでしょうか?

 

ご両親ともフルタイムで働いている場合、

我が家のようにご両親が病気の場合、

実家に他の兄弟が同居をしている場合、

ご両親と折り合いが悪い場合、

自分が姉に助けてもらいありがたく思うほどに、心置きなくお願いできる人がいない人のことを思って、どんなにか心細い思いでいるだろうと、思ったものです。


姉には本当にたくさん助けてもらいました。

この頃から、一人の頑張りでは限界があるということを感じ「人に勇気をもって頼ること」の大事さに気付き始めていきました

 

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ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

今後ストーリーに書ききれなかった思いをこのような形で皆様にお伝えしていただきたいと思います。長くなると思いますがお付き合いいただけましたらうれしく思います。
明日は子どもが一歳を過ぎた頃のエピソードをお話させていただきたいと思います。

 

プロジェクト挑戦秘話 ♯2「ラクダのお母さんの涙」に続きます。

 

引き続きご支援のほどよろしくお願いいたします。

 

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