こんばんは。

めっきり涼しくなりました。私は嫁いだため千葉県に住んでおりますが関東でもやっと秋を感じるようになりました。

ちなみに今青森は、本格的な秋です。温かいというよりは肌寒い。そんな季節となりました。リンゴも早いものでは収穫の時期を迎えております。

 

さて・・・今日は、私の小さい頃について少し書いてみたいと思いました。

考えただけでも恥ずかしいことが多いですが、少しの間お付き合いください。

 

私、土屋美奈は今35歳です。弟が2人おり、3人兄弟の長女です。

私が生まれたのは、父が70メートルの登り窯を作り始めた年でした。(昭和58年)

栃木県足利市生まれです。周りには木と草とレンガと煤しかないようなところで育ちました。私が生まれてからようやくトイレが中についたような、水道も無く、裏山の沢水を引いて使っていた、そんな所に住んでいたそうです。

そして時折「たけや~さお竹~」と車で販売に来るスピーカーの声に怯えて泣いていた記憶もあります。

窯焚きも当時は小さいながらも頑張って手伝っていました(たぶん笑)

窯出しを手伝う私
窯の中で手伝う父とわたし

その後新潟、青森県弘前市、そして今の黒石市と転々と引っ越しを繰り返し、私は学校が変わるたびに新しいお友達と一から関係を築かなくてはならず、不安なことが多かったことをとてもよく覚えております。

学校の友達と遊ぶ約束をしても、父から「薪割りをするぞ!」と一声かかれば、薪運びばかりしていた、子供の都合は二の次、そんななんともやりきれない思い出のほうが、多かった小さいころの記憶です。

父の作品は子供ながらにすごい迫力のあるものだとは思っておりましたが、厳格な父が作っているからそう思っていたのか、幼い頃の私は父の迫力イコール壺の迫力と感じていたのかもしれません。

70メートルの登り窯を作っている父と

そんな父への見方が変わったのは、大学卒業後の就職した頃でしょうか。実際に自分が働いて社会で働くことの大変さを知り、そして陶芸という道だけで私たち子供3人を大学まで通わせてくれたことに、改めて感謝するとともに、父を支えて下さっているお客様・後援者の方々の想いや、人柄に触れる度に自分の中にも熱い思いがわき起こりました。

今では、父の夢というよりは、皆の夢として、私もその1人として携わっていると思っております。

今回の大きなプロジェクトに関しても、一人では何もできません。皆さんのご協力と応援がなければ成り立たないのです。

 

本当に感謝いたしております。

これからも引き続き応援宜しくお願い致します。

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