ミンドロ島のサンホセに着き、さっそく行動開始。元日本兵とコンタクトできるというロペスさんが住む場所へ向かう。そこにロペスという人はいたが、そのような話は知らないという。野次馬もたくさん集まってきた。みんな知らないという。いきなり暗礁に乗り上げてしまう。反町さんに電話して、この情報提供者とコンタクトをとってもらう。しかしその人に情報を知らせた人と連絡が取れないらしい。

 

困った。取っ掛りから躓く。野次馬の一人が、「あそこに行けばマンギャン族に詳しい人がいるから何かわかるかも」という。私が得た情報では、元日本兵のサイトウさんはマンギャン族の村に入り込んで暮らしているということだった。それでトライシクルをつかまえて、その場所へ行ってもらう。

 

かなり山の方向へ入ったところの小さな集落へ。公民館を訪ねて成り行きを話す。するとここでも野次馬がたくさん集まってくる。そのうちの何人かが、「自分もその話は聞いたことがある」という。やはりマンギャン族の村で暮らしているという。話がいきなり核心に近づく。サンホセで聞いた「マンギャン族に詳しい人」は今日出かけてしまって不在だが、明日は会議があって必ずここに来るという。

 

それで今日のところはいったん引き上げることにした。翌朝、同じトライシクルドライバーに迎えに来てもらい、再びその集落へ。すると、マンギャン族のその方が待っておられた。マンギャン族といっても他のフィリピン人と服装などは区別がつかない。ただ身長はかなり低い。もともと山岳民である彼らは最近では平野の方へも出てきて生活している人も多いという。

 

その方は、私が持参した写真をじっと真剣に見つめている(情報提供者からは不鮮明なマンギャン族と思われる何人かが写った写真も提供されていた)。そして一言、「ここに写っているのは確かにマンギャン族だ」と重々しく言った。ただし、支族が異なるのだという。「この人たちが暮らしているのはもっと向こうのほうだ」と山を指した。そして「日本人が一緒に暮らしているという話は以前に聞いたことがある」ともいう。やはり元日本兵は実在するのだろうか。それでドライバーにそこへ行ってもらうことにする。手がかりがある限りは探索を続けるしかない。

 

かなりの山道となった。もうすぐそばに山が迫っている。道もでこぼこ。ようやく教えてもらった集落に到着。家はかなり簡素で貧しげだ。そこにいた人にサイトウさんの写真を見せる。すると驚いたことにそのうちのひとりが、「あ、この人知ってる!」というではないか。私もドライバーも色めき立った。え、ここにいるんですか?

 

「知ってる」と答えた人はときどき狩りに山へ入るそうで、山中でよく似た人に会ったことがあるのだという。「それはどこですか、近くですか?」と私は勢い込んで尋ねた。「そんなに遠くではないよ。2日半ぐらいかなあ」という。もちろん歩いてである。山脈を越えた向こう側で、ミンドロ・オリエンタル州になるという。

 

2日半。歩けないことはないと思う。しかし会ったのは1年ぐらい前の話だという。山中で暮らすマンギャン族は狩猟採集民で、住む場所は頻繁に変える。だとしたら現在も同じ場所にいる可能性は低い。なんだか雲をつかむような話だ。うーん、探索はここまでかな。

 

サンホセの街へ戻って、やはりどうしてもあきらめきれない私は、ドライバーに協力してもらってだれかマンギャン語がしゃべれるフィリピン人がいないかほうぼう尋ねてもらう。しかし英語もでき、マンギャン語もできる人などいないという。いろいろ尋ねてみると、現地の人たちはマンギャン族のことを蔑んでいるようで、それは裏を返すと怖いからだ。

 

だから山奥へ入ろうというフィリピン人などいない。ガイドがいなければ、いくら登山に自信のある私でも捜索は無理だ。あきらめるしかないな、そう思ったとき、「なるほど」と閃いたことがあった。「だからこそ元日本兵の人はマンギャン族と共に生き延びることができたのだ」

 

この捜索話が私のところに持ち込まれた時、疑問に思った点があった。小野田さんが見つかったのも、ときどき下の集落へ降りて作物などを失敬していたから現地人に「山へ誰か隠れている」とバレていたためだ。戦後70年近くも山麓の村人に存在がバレないで暮らすということがありえるものだろうか、という疑問があったのだ。

 

しかし、それが狩猟採集民と一緒に暮らしていれば、そういうことも可能だったのではないだろうか。彼らは普段は山麓の住民とは交流がない。現地住民は怖がってわざわざ山の中のマンギャン族のいる場所へ向かうはずがない。人々はマンギャン族がいることは知っていても、それが誰かということには興味がない。だから元日本兵が混じっていてもバレることはなかったのかもしれない。私の勝手な推測だが。

 

元日本兵を見つけることはできなかったけど、手がかりがほとんどないにもかかわらず、フィリピンの人たちは本気になって協力してくれたことがうれしかった。残留2世の方がを訪ねる際にも、やはり親身になって探すのを手伝っていただいた。みんなには本当に感謝しています。ありがとう。

 

*写真は、このミンドロ島での捜索の時ではなく、ミンダナオ島で。日本兵の慰霊碑を探し歩いていた時に、偶然出会った小学校の先生たちにバイクに3人乗りして連れて行ってもらいました。