フィリピンの元日本兵というと小野田寛郎さんが有名だ。日本へ帰還したとき私は小学生だったが、ニュースで見たボロボロの軍服姿の小野田さんが敬礼する姿はすごく印象に残っている。

 

実は私も元日本兵の搜索に行ったことがある。2010年のことだった。フィリピン残留日本人の取材でお世話になっているバギオ在住の反町さんという方から、元日本兵が高齢のため日本へ帰りたがっているという話を聞いた。

 

「どう船尾さん、行ってみませんか? なんでもすごい山の中に暮らしているそうで、普通の人はそこまで行くのはとても無理らしいです。船尾さんは海外の登山ガイドもされているから大丈夫でしょ」と反町さんは言う。

 

ミンドロ島の山奥にはマンギャン族という山岳少数民族が、いまなお狩猟採集の暮らしをしている。フンドシをはいて生活しているという。私はかつてアフリカの熱帯雨林でピグミーの取材をしたことがあるので、反町さんは船尾なら現地へ入って取材できるだろうと考えたらしい。

 

その元日本兵が接触したフィリピン人が、いろいろな人のつてをたどって、元JICAで仕事していた日本人経由で、反町さんに話が持ち込まれたとのこと。その元日本兵の名前もわかっていて、「さいとうよしつぐ」というらしい。フィリピン名もわかっている。

 

よし、そこまでわかっているなら行って確かめてやろう、と思った。万が一、見つかったら、すごいニュースになるだろうな。世界中のテレビクルーが押しかけて、探索の冒険談を語っている自分の姿を妄想した。これは大変なことになってきたぞ。私はマニラに着いてすぐ、日本大使館に電話して、これから元日本兵の搜索に出かけることを話した。

 

大使館の人はなぜか落ち着いていて、「何年か前にもこういう話がありました」といった。フィリピンでは今でもときどき、元日本兵の話が浮かんでは消えるのだという。まあ、山下財宝と言われている日本軍がどこかに隠した金塊の話と似てなくもない。しかし大使館の人はまじめに話を聞いてくれて、「もし見つけたらすぐに連絡してください」と言ってくださった。

 

私の妄想は膨らんで、もし見つけることができたら、その元日本兵のパスポートはどうなるのだろうとか、高齢だと言うけど日本語は話せるのだろうかとか、気分はもう完全に自分が見つけることになっていた。そしてミンドロ島へ入った。

 

(つづく)

*写真はミンドロ島で見かけた水牛。

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