支援総額
目標金額 1,000,000円
- 支援者
- 152人
- 募集終了日
- 2015年9月18日
日系2世 メルシア・ヤマシタ・セグワボンさん
残留日本人2世のメルシアさんは1918年生まれ。ルソン島北部に住む山岳少数民族イゴロットの伝統的な衣装をいつも身につけている。彼女の母親はベサオ出身のカルメンさん。父親は長崎県島原市出身のヤマシタ・マサタロウ。
マサタロウがいつ日本から移民してきたのかはわかっていないが、1914年に結婚しているのでおそらく1910年前後だろう。そのころ、フィリピンはアメリカの植民地。暑さに慣れていないアメリカ人は首都マニラ以外にも第2の首都となる避暑地を探していて、北部のバギオにそれを定めた。しかし険しい山岳地帯のため道路建設が上手くいかなかったのだが、外国人労働者のうち日本人は忍耐強く器用な仕事をするので重宝され、次第に日本人移民がやってくるようになった。
おそらくマサタロウもその一人だったと考えられる。道路建設が終了すると多くの日本人移民はフィリピン各地に散らばって、家庭を設けて定住するようになる。マサタロウは大工として腕をふるい、サガダの町にあるカトリック教会などを建設した。
長女のメルシアさんは1934年に結婚。11人の子どもを産んだ。コメとサツマイモを作る農家であった。その平穏な暮らしは1942年頃から終わりを告げる。戦争が始まったのだ。日本軍がフィリピンを占領して、サガダにも駐屯していた。最初の頃は日本軍と現地住民との仲はわりとよかったらしい。
しかし戦争が混沌としてくると、米軍と共に日本軍と戦っているフィリピン人ゲリラに日本人・日系人が命を狙われるようになっていく。日本軍だけでなく日本人市民も標的となっていく。それは、フィリピン人ゲリラの活動を恐れた日本軍が、現地住民をスパイ扱いして虐殺していったからだ。その報復として、日本人の血が流ている者は命を狙われるようになっていったのである。
メリシアさんらは家族で山中に身を潜め、空き地にサツマイモを植えてなんとか生きた。多くの2世たちはそうやって身を隠すしかできなかった。そして終戦を迎えも、戦後の反日感情はすさまじく、日本人であることを名乗ることは、捕まえてくれというようなものだった。
メルシアさんも、以降は一切の日本語を捨て、日本名も名乗らず、しばらく母の故郷で隠れるようにして生きてきた。日本語はとうの昔に忘れてしまった。2世たちが日本人の血を引いていることをカミングアウトできるようになったのは、ずっと後の1980年代になってから。そのころ、フィリピン人にとって日本は家族を殺害された憎き存在ではすでになく、あこがれの経済大国に変貌していたからだ。
しかし戦争の混乱によって、日本国籍を失ってしまった人も多く、いまだ1000人以上が国籍を回復できていない現状だ。

リターン
3,000円
・サンクスメール
・ポストカード
- 申込数
- 37
- 在庫数
- 制限なし
10,000円
3,000円の引換券の内容に加え
・HPにお名前記載
・写真集「フィリピン残留日本人」 1部
(サイン入り)
- 申込数
- 114
- 在庫数
- 制限なし
3,000円
・サンクスメール
・ポストカード
- 申込数
- 37
- 在庫数
- 制限なし
10,000円
3,000円の引換券の内容に加え
・HPにお名前記載
・写真集「フィリピン残留日本人」 1部
(サイン入り)
- 申込数
- 114
- 在庫数
- 制限なし

ワンラブ助っ人募集中!|ルワンダでずっと義足を作り続けるために!
- 総計
- 87人

たんぽぽの里サポーター募集中!保護活動に必要な費用にご支援を
- 総計
- 122人

行き場のない猫たちに幸せな明日を届けたい。保護猫たちの医療費支援を
- 現在
- 1,939,000円
- 支援者
- 149人
- 残り
- 27日

物価高でごはん食べられない若者に今すぐ食糧を|緊急支援2025冬
- 現在
- 11,923,000円
- 寄付者
- 326人
- 残り
- 27日

緊急支援|フィリピン地震へのご支援を
- 現在
- 1,631,000円
- 寄付者
- 223人
- 残り
- 8日

ぬるぬるのお引越|万博・落合陽一 null²パビリオン次なる場所へ
#ものづくり
- 現在
- 223,978,600円
- 支援者
- 13,136人
- 残り
- 27日
山口朝鮮初中級学校を支援! ーつないでいこう未来へー
- 総計
- 58人










