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今年の11月に写真集「フィリピン残留日本人」を出版したい!

船尾 修

船尾 修

今年の11月に写真集「フィリピン残留日本人」を出版したい!
支援総額
1,461,000

目標 1,000,000円

支援者
152人
残り
終了しました
プロジェクトは成立しました!
11お気に入り登録11人がお気に入りしています

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2015年09月09日 22:13

日系2世 メルシア・ヤマシタ・セグワボンさん

残留日本人2世のメルシアさんは1918年生まれ。ルソン島北部に住む山岳少数民族イゴロットの伝統的な衣装をいつも身につけている。彼女の母親はベサオ出身のカルメンさん。父親は長崎県島原市出身のヤマシタ・マサタロウ。

 

マサタロウがいつ日本から移民してきたのかはわかっていないが、1914年に結婚しているのでおそらく1910年前後だろう。そのころ、フィリピンはアメリカの植民地。暑さに慣れていないアメリカ人は首都マニラ以外にも第2の首都となる避暑地を探していて、北部のバギオにそれを定めた。しかし険しい山岳地帯のため道路建設が上手くいかなかったのだが、外国人労働者のうち日本人は忍耐強く器用な仕事をするので重宝され、次第に日本人移民がやってくるようになった。

 

おそらくマサタロウもその一人だったと考えられる。道路建設が終了すると多くの日本人移民はフィリピン各地に散らばって、家庭を設けて定住するようになる。マサタロウは大工として腕をふるい、サガダの町にあるカトリック教会などを建設した。

 

長女のメルシアさんは1934年に結婚。11人の子どもを産んだ。コメとサツマイモを作る農家であった。その平穏な暮らしは1942年頃から終わりを告げる。戦争が始まったのだ。日本軍がフィリピンを占領して、サガダにも駐屯していた。最初の頃は日本軍と現地住民との仲はわりとよかったらしい。

 

しかし戦争が混沌としてくると、米軍と共に日本軍と戦っているフィリピン人ゲリラに日本人・日系人が命を狙われるようになっていく。日本軍だけでなく日本人市民も標的となっていく。それは、フィリピン人ゲリラの活動を恐れた日本軍が、現地住民をスパイ扱いして虐殺していったからだ。その報復として、日本人の血が流ている者は命を狙われるようになっていったのである。

 

メリシアさんらは家族で山中に身を潜め、空き地にサツマイモを植えてなんとか生きた。多くの2世たちはそうやって身を隠すしかできなかった。そして終戦を迎えも、戦後の反日感情はすさまじく、日本人であることを名乗ることは、捕まえてくれというようなものだった。

 

メルシアさんも、以降は一切の日本語を捨て、日本名も名乗らず、しばらく母の故郷で隠れるようにして生きてきた。日本語はとうの昔に忘れてしまった。2世たちが日本人の血を引いていることをカミングアウトできるようになったのは、ずっと後の1980年代になってから。そのころ、フィリピン人にとって日本は家族を殺害された憎き存在ではすでになく、あこがれの経済大国に変貌していたからだ。

 

しかし戦争の混乱によって、日本国籍を失ってしまった人も多く、いまだ1000人以上が国籍を回復できていない現状だ。

 

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リターン

3,000

・サンクスメール
・ポストカード

支援者
36人
在庫数
制限なし

10,000

3,000円の引換券の内容に加え

・HPにお名前記載
・写真集「フィリピン残留日本人」 1部
 (サイン入り)

支援者
109人
在庫数
制限なし

30,000

3,000円の引換券の内容に加え

・HPにお名前記載
・写真集「フィリピン残留日本人」 1部
 (サイン入り)
・キャビネサイズプリントの額装 1点
 (マットと額縁、サイン付き)
 (写真は選ぶことができません)

支援者
7人
在庫数
制限なし

100,000

3,000円の引換券の内容に加え

・HPにお名前記載
・写真集「フィリピン残留日本人」 1部
 (サイン入り)
・四切サイズプリント額装 1点
 (マットと額縁、サイン付き)
 (写真集の中からお好きなものを選んでください)

支援者
0人
在庫数
制限なし

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