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19年間、無実を訴え続ける無期懲役囚に真相解明のチャンスを下さい!

19年間、無実を訴え続ける無期懲役囚に真相解明のチャンスを下さい!
このクラウドファンディングは達成しませんでした。支援予約はすべてキャンセルとなります。銀行振込みにより支援を行った方には、当社より返金が行われます。

支援総額

2,596,000

目標金額 5,000,000円

支援者
174人
募集終了日
2022年4月30日
募集は終了しました
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プロジェクト本文

「オレは極悪人で、どうしょうもないバカ。だけど絶対にやってない!」

 

19年間、無実を訴え続ける無期懲役囚に、真相解明のチャンスをください。

 

〜京都市下京区放火殺人事件/再審請求準備のための資金援助のお願い〜

 

 

ご あ い さ つ

 

私は「東住吉冤罪事件」の青木惠子と申します。

1995年に大阪市東住吉区で娘が死亡した火災をめぐり、虚偽の自白をさせられ、殺人、放火罪などで無期懲役の判決を受けました。およそ21年もの長い間、身柄を拘束された後、再審裁判で真っ白な無罪判決を勝ち取りました。

 

 

私はいま、19年間、獄中から無実を訴え続けている人の支援をしています。

無期懲役囚として徳島刑務所に服役している平野義幸さん(57歳)です。

平野さんはかつて「大地義行」として映画出演していた俳優でもあるので、

もしかしたら名前を耳にしたことがある方もおられるかも知れません。

 

2003年1月16日、京都市下京区にある平野さんの自宅から火災が発生し、当時、平野さんと内縁関係にあった女性が亡くなりました。その後、平野さんは放火・殺人の罪に問われ、無期懲役の判決を受けました。しかし平野さんは、逮捕直後から一貫して放火も殺人もしていないと無実を訴えています。

 

実際、平野さんの犯行を直接裏付ける明白な証拠はなく、検察は状況証拠を積み重ねて立証を試みています。主な争点となったのは「出火場所」でした。出火場所を巡り、平野さんが火災現場で目撃したとする証言と、検察の主張は真っ向から対立しています。

 

どちらが正しいか明らかにするためには現場で見つかった証拠や専門家による鑑定結果などが重要な根拠となってきますが、検察が示した証拠や証言には矛盾する点が数多くあり、また裁判所の認定も公正とは言い難い内容が多く見受けられます。

 

平野さんや弁護士たちは一審から、実際の火災が起きた状況を再現し、どのように火災が発生し、燃え広がったのか再現実験すべきだと訴えてきましたが、すべて却下されています。

平野さんは当時、日常的に覚醒剤を使用していました。また過去に起こした傷害事件によって執行猶予中でもありました。こうしたことが取り調べや裁判において事実を見誤らせるきっかけになった可能性はないでしょうか。

 

事件当日、いったい何が起きたのか? 平野さんは本当に放火したのか?

 

真相を明らかにするには〈再現実験〉や〈火災現場の再鑑定〉が必要です。

 

そのためには資金はもちろんですが支援者の後押しが欠かせません。

 

ぜひ平野さんの事件について知っていただき、応援してもらえると幸いです。

 

資 金 使 途

 

平野さんはいま、再審請求に向けての準備を進めています。

クラウドファンディングで集まったお金は、弁護士費用、再現実験費用、再現CG作成、また支援活動や広報などにあてたいと考えています。

 

合計金額 500万円

 

《弁護士費用》150万円

 ・主に再審請求に関わる弁護士費用

 

《再現実験・再鑑定費用》200万円

 ・火災の専門家の指導

 ・監修の下、実際に起きた事件現場を再現。出火場所を検証

 ・火災当時の現場資料を火災鑑定の専門家が改めて検証

 

《再現CG作成費用》100万円

 ・事件現場となった平野さんの自宅をCGで作成

  平野さんの証言や関係者の供述調書などに従い、当日の動きを再現

  作成した映像は検証資料や広報資料として使用します

 

《支援活動資金》50万円

 ・支援者を募るための広報活動、平野さんへの面会など

 

事 件 の 概 要(当時の新聞記事などから抜粋)

 

2003年1月16日の午後2時、京都市下京区の住宅地で火災が発生し、2階建ての民家が全焼。焼け跡から女性の遺体が見つかった。女性の手足にガムテープや電気コードのようなもので縛られているなど不審な点があることから、警察は放火の疑いがあると判断。

 

ほどなくして殺人と現住建造物放火の疑いで逮捕されたのは平野義幸(当時38歳)。出火当時、平野の言動がおかしかったため調べたところ、覚醒剤反応があった。死亡した女性は、平野と内縁関係にあった旅館の仲居手伝いのAさん(当時47歳)だった。

 

平野は、Aさんを縛ったことは認めたものの、殺害や放火を否定、無罪を主張した。しかし2005年、京都地方裁判所は「残虐非道な犯行」として懲役15年の判決(求刑は無期懲役)。続く大阪高等裁判所は「反省の態度が見られない」として一審判決を破棄し、求刑通りの無期懲役を言い渡した。そして2006年10月、最高裁で上告が棄却され、無期懲役が確定した。

 

 

 

これは当時の新聞記事などに書かれた事件の概要です。

 

「手足にガムテープや電気コード」「覚醒剤を使用」「縛ったことは認めた」・・・

 

こうした内容を読むと、平野さんがたとえ無実を訴えていたとしても、

 

にわかに信じられないかも知れません。

 

 

しかし、これらの内容はあくまで警察・検察の主張をベースとしており、

 

裁判記録を紐解いていくと、

 

検察の不可解な主張や裁判所の事実認定の強引さが浮かびあがってきます。

 

 

以下にその代表的な内容を紹介します。

 

 

《平野は本当に放火し、Aさんを殺したのか?》不可解判決 その1

 

平野とAさんが暮らしていたのは、京都ではよく見られる2階建ての長屋で、1階は居住スペース、天井の低い2階にはベッドを置いて寝室として使っていた。火災発生当時、平野の証言によると、平野は1階に、そしてAさんは2階にいた。

火災が起きた原因として考えられるのは以下の4通りだ。

 

  ① 自然発火による事故

  ② 平野が火を放った

  ③ Aさんが自ら火を放った(自殺の可能性)、もしくは失火

  ④ 平野、Aさん以外の第三者が火を放った


 

①に関しては、火災直後の調査でコンセントなど電気系統の異常により発火した可能性はないことが分かっている。また④に関しても、消火活動の際に不審な人物の目撃証言がないことから可能性はないとされた。

残るは②か③ということになる。

 

検察は、Aさんの手足が電気コードやガムテープで縛られており、出火場所とAさんが出火前にいた位置とが離れていることから、放火できたとは考えられない(自殺の可能性はない)とし、平野が2階に灯油をまき、火を放ったと断定。判決でも検察の主張を認めている。

 

根拠としたのが「実況見分調書」だ。

しかしこの調書には、その信用性を疑わざるをえない事実がいくつもある。実況見分を行ったのは、警察員と消防局警防部救助課の職員(いずれも当時)。その消防職員は約30年に渡って消防士として勤務しており、火災調査を統括する立場にあった。なるほど、彼が実況見分を行うのに不可解な点はないように思える。

しかしこの実況見分が行われたのは、事件から3ヶ月が経ってからだ。しかも火災直後に建物や被害者であるAさんの状況を確認していたのは別の職員だった。

 

さらに実況見分調書には、「本件発生後2回におよぶ検証の結果からは、殺人等の容疑性を断定できず、被告人を別件で逮捕しても、被告人を犯人と断定できなかったので、本実況見分を実施した」

とある。

そもそも火災直後の検証でなければ火災当時の状況を正確に把握できないはずだが、わざわざ火災発生の3ヶ月後に消火活動も鎮火後の現場検証も参加していない消防職員が担当となったことは不自然に思える。

 

しかも一緒に実況見分を行った警察員は取り調べ中、平野に何度も暴行を加えており、病院で2回治療を受けた記録が残っている。

 

では裁判でも重要な証拠とされた実況見分の内容はどうか。

くだんの消防職員は「出火場所」の特定を行っている。

その場所が「北側ベッドの北西角」だ。彼は証言で、この場所が最もよく燃えていることなどから出火場所と認定した。そしてAさんが出火時にいた場所として推測したのは、「南側ベッド南側」だった。


これらを根拠に、検察はAさんが自殺、もしくは失火した可能性を否定した。つまり、出火場所とされた「北側ベッドの北西角」とAさんのいた南側ベッドが物理的に離れているため、Aさんが火を放つことは不可能だと主張したのだ。

 

しかし、裁判に提出された司法解剖の結果はそうした主張と異なる事実を示している。

司法解剖の結果、Aさんの死因とされたのは「熱傷死」。Aさんの血中の一酸化炭素ヘモグロビン濃度を調べると、濃度は10%と低濃度であり、気管、気道への煤片混入が極めて少量であることなどから、急性一酸化炭素中毒を生じたとは見なし難いという結果だった。

 

つまりAさんは、出火とほぼ同時に「熱傷性ショック」に陥り、その結果、呼吸機能抑制が生じ、煤片や一酸化炭素ガスの吸入が抑制されたまま死亡していた。この事実から言えるのは、出火場所とAさんがいた場所は“隣接していなければいけない”ということだ。

 

すると検察は、裁判の過程でAさんがいた場所を「南側ベッドの南側」から「南側ベッドの上」、さらに「北側ベッドの北西角」へと変化させた。消防職員が出火場所と特定した内容と整合性を持たせるために、Aさんが出火時にいた場所を恣意的に変えたのだ。

 

さらに検察が、消防職員の「最も燃えている」ことから出火場所とした地点についても疑問がある。

 

実際、出火場所とされた地点よりもよく燃えているところが存在する。

火災発生直後の現場検証で撮影された写真を精査すると、出火場所とされた地点の床は大きく焼けてはいるものの、抜け落ちてはいないことが分かる。

一方、Aさんの遺体が発見された南側ベッドの周辺には、床が抜け落ちている場所がある。

 

また不可解なのは、当時作成された現場図面では、二つのベッドの北側までが燃焼していることになっており、南側ベッド周辺の「屋根」の燃焼箇所の記述が全く無いことだ。

実際はAさんの遺体があった上の屋根近くまで焼け抜けていることは写真などの証拠を見ると明らかだ。平野は自ら目撃したこととして、異変に気付いて2階に上がった際、南側ベッド周辺から火が上がり、その近くにAさんがいたと証言している。

 

本当の出火場所はどこなのか?

 

火災の専門家による再現実験や再鑑定によって明らかにしたい。

 

 

不可解判決その2《なぜ平野はAさんの手足を縛ったのか?》

 

一方、平野はAさんの手足を縛った(緊縛した)ことは認めている。

 

検察の主張によると「(平野は)頑丈な布製ガムテープを用いてAさんの両手両足を幾重にも巻き、手足が自由にならない状態にした上、両足を電気コードで巻いて3回にわたって結んで緊縛。さらにAさんの口もガムテープでふさぎ、被害者が声をあげることもできないような状態にしていることが明らかである」としている。

 

事件当日、いったい何があったのか?  平野の証言を元に、当日の動きを再現してみる。

 

2003年1月16日土曜日。

この日は前日まで降っていた雪の影響で、底冷えの厳しい日だった。

平野は午前中から、自宅1階で俳優としてのプロモーション用の資料を準備していた。当時、俳優として少しずつ映画出演をしていた平野は、この日の午後行われる深作欣二監督の葬儀に参列する予定だった。

 

午後1時半ごろ、平野が着替えを取りに行くために2階に上がると、Aさんは南側ベッド付近に座っていた。2階には石油ストーブがあり、その近くに給油用のカートリッジがひっくり返り、灯油がこぼれていた。

Aさんは「あんた誰?」と言ったり、その場にはいない第三者と話し合ったり、何かを手で払いのける仕草をしており、平野は様子がおかしいと感じた。

(後に、Aさんの遺体から覚醒剤の成分が検出されている。)

 

Aさんが誤ってストーブを倒したりしてしまうと大変なことになると思った平野は、Aさんを南側ベッドに寝かせ、手足をガムテープで縛り、ハンカチを口に入れて、口にもガムテープを貼った。そしてカートリッジを石油ストーブに戻した。そしてAさんが暴れてストーブをひっくり返さないように、その足をテレビのコードで縛った。

 

平野は1階に戻り、作業を再開。

すると2階から「ドーン」という大きな音が聞こえたので、上がって見ると、Aさんがベッドから落ち、南側ベッドの南側に倒れていた。テレビも台からころげ落ちていた。平野は口のガムテープを外しハンカチを取り出し、手に巻いたガムテープも緩めた。

テレビとケーブルでつながっている足はそのままにし、Aさんを南側ベッドにもたれ掛けさせるように座らせた。

 

平野は再び1階に降りると、今度は風呂の準備を始める。Aさんを風呂に入れれば落ち着くと考えたからだ。風呂の準備をしていると、飼っていた犬の鳴き声とAさんの何とも言えない声がしたので、急いで2階に上がる。

 

すると南側ベッドの南側から火があがっていた。2階は屋根裏部屋のような造りで、真ん中あたりは2メートルほどの高さがあるが、端になると1メートルほどしかない。平野はAさんをベッドに引っ張り上げようとしたができず、ベッドに尻もちをついてしまった。

 

そこで1階に降りてバケツで風呂のお湯をくんで階段の途中から南側ベッド付近をめがけてかけたが、その時には、炎は北側ベッドにも広がっていた。さらに簡易スプレーの消化器で消化しようとしたが、効果がなかったので、外に出て助けを求めた。

 

これが平野が証言した火災発生時の状況である。

平野がAさんの手足を緊縛したのは、覚醒剤の影響で訳の分からないことを言っており、何をするか分からなかったから、としている。しかし一度縛ったものの、再び2階に行った際には、口に貼ったガムテープと手に巻いたガムテープは外したと証言している。

 

一方、検察の主張は、火災発生前からAさんが遺体として発見されるまで、緊縛は解かれておらず、平野には強い殺意があった、と主張している。

 

どちらの主張が正しいのだろうか。

 

Aさんの解剖所見によると「口腔・咽頭・気道粘膜の熱性変化」が認められ、火災の際に口から空気(と炎)吸い込んだことが分かっている。ということは平野の証言通り、火災発生時にはガムテープが口から剥がされていた可能性は否定できない。

 

では、手の方はどうか。Aさんの遺体の状況からすると、左手にはテープの残焼物はなく、右手に残焼物があるだけで、両手は自由に使える状態になっていた。実験によっても、ガムテープが熱で縮むことは明らかにされているが、同時に、熱でも剥がれないことが分かっている。

Aさんの手のガムテープは、熱で剥がれたのではないこと、火災発生前に剥がれていた可能性が大きい。検察が主張するように、両手を縛っていたガムテープが炎の熱によって溶解したとするならば、両方の手に残焼物が残っていなければならないが、残焼物が残っていたのは右手のみで、左手からは何の残焼物も検出されていなかった。

 

火災発生時にAさんの両手は自由だった可能性が高く、検察側の「火を点けることができたのは被告人以外にはあり得ない」という主張には違和感を覚える。足は緊縛されていたが、手と口には何もなかった、と考えられる。 この点についても専門家による鑑定や再現実験によって明らかにしたい。

 

不可解判決その3《救助活動に加わらなかったのは本当か?》

 

検察の主張には、火災発生後、平野がAさんの救助活動に加わらず、傍観していた、というものがある。

 

検察は論告で「(一度家から出た後、消化活動のために)通行人が家の中に入ったのに合わせるように家に入った」と述べている。

さらに「Aさんが救出される可能性を自ら閉ざし、飼い犬は救助してもAさんを救助するための行動を全く起こさなかった。緊縛されているAさんが死亡するであろうことを十分認識しながら」「飼い犬に対して、『怖かったなぁ、大丈夫やで』と声をかけるなど、真に被害者の身を案じているのか極めて疑わしい言動をしていた」というものだ。

 

しかし、当時の目撃者からの証言を見れば、検察の主張が全くの事実誤認だということはすぐに分かる。例えば、平野と一緒に消火活動のために家に入った配達員(当時25歳)はこう証言している。

 

「被告人宅から被告人が犬を連れて出てきた。被告人は2階に『おかん』がおると言っていたが、半狂乱の状態だった。そして被告人宅に入ったが、何もできずに外に出た」「被告人は、周囲の制止を振り切って消化器を持って家の中に入って行った。家の中では『あかん熱い』と言いながら消火活動をしていた」

※『おかん』はAさんの呼び名

 

また近所の住民も「被告人が『中に人がいる』と言いながら、もう一度家の中に入ろうとしたので、被告人を引き止めるために、同じ町内の住民が被告人の足を蹴って、膝を突くようにして座らせた」「(家の)中へ飛び込めば、多分、これ命がないというので引き止める形でした」と証言している。

 

平野は日頃から素行が悪く、近所の住人たちからは忌み嫌われていた。しかし日頃からよく思っていなかったと供述する近所の住民でさえ、被告人の真摯な救命・消火活動を認めていることが分かる。

 

そして平野自身、高温の中にある程度の時間いなければ負うことのない、火傷や気道熱傷を負い、治療を受けている。

 

不可解判決その4《 消 え た “く つ 下 ”》

 

平野は自宅の2階に7〜8リットルもの灯油をまいて放火したとされている。

しかし、実は、その物的証拠は何もない。

 

事件のあった2003年の1月16日、京都市の天気は曇りで、前日降った雪の影響もあり、気温は最高4.8度、最低マイナス1.4度と厳しい冷え込みが続いていた。

 

平野がプロモーション用の資料作成をしていた自宅1階には暖房器具がなく、寒さをしのぐために平野はセーターにキルティングのつなぎのズボンを履いていた。

 

しかし鑑定の結果、灯油が検出されたのはセーターからのみ。

つなぎから灯油は検出されなかった。上半身の半分くらいまで覆っているつなぎのズボンに灯油をつけることなく、7〜8リットルの灯油をまくことは可能だろうか?

 

そしてもうひとつ、平野が履いていたとされる「くつ下」が見つかっていないのだ。

厳しい冷え込みで平野は当然、くつ下を履いていたとしている。

平野が灯油をまいたのであれば、くつ下からも灯油が検出されるはずであり、鑑定しておくべき証拠にもなる。しかし、くつ下はどこにいったのか分からないままになっている。

 

弁護団は再三にわたり、くつ下の開示請求をしたが、検察は「くつ下は履いておらず、押収していない」という理由で拒否。現在も開示されていない。

 

不可解判決その5《 動 機 が な い》

 

もし平野が放火をしたとするならば、その動機は何だったのか?

 

検察が動機として挙げているのは、火災発生前、Aさんと友人の佐藤(仮名)が携帯電話で話をしていたときのこと。電話の内容はAさんが佐藤に貸していた20万円のお金についてだった。

そのやりとりを聞いていた平野は、佐藤にお金を返すようAさんに伝える。それに対してAさんは「追い詰めてどうするんねん」と言い、平野は「追い詰めるってどういう意味や、分からへん」などと言い返して口論になり、Aさんの態度に“激昂”したとされている。

 

しかしこの動機さえ、事実とは異なることは裁判資料を読めばすぐに分かる。Aさんの友人、佐藤の裁判所での証言によると、「緊迫感はなかった」「もめていない。被告人は冷静だった」と証言。さらに「口論はなかった」と、言い争いの事実を明確に否定しているのだ。

 

しかもAさんと佐藤との電話が終わったのは午前11時20分ごろ。火災が発生したのは、2時間半以上が経過した午後2時ごろだ。もし検察の言う通り、口論がきっかけで激昂し、犯行に及んだとしたら、2時間半という時間経過は長すぎるように思える。

 

平野が当時、お金に困っていたことは確かだ。

しかしAさんに保険金は掛けられておらず、自宅も貸家のため、火災保険を受け取ることもできていない。こうした状況から一審の判決では、動機について検察の主張を認めることができず、「不明」としている。

 

不可解判決その6《検察がひた隠したAさんの “メモ” 》

 

さらに動機に関連して、検察側が隠蔽しようとしていたメモや日記がある。

 

実はAさんは、平野との関係に悩み、自殺をほのめかす文章を平野が大切にしていたスケッチブックに書き込んでいた。

しかし検察は「そこには被告人の落書きしか描かれていない」とし、開示を拒否。

 

実際に書かれていたのは「私は死にました」「タブーを犯した」「あやまってもすませれない」など、Aさんの平野に対する思い、悩み、葛藤などだった。

 

判決でも「同女が被告人との交際について、それ相当に思い悩んでいた節が見受けられることは否定できない」と認めている。

 

Aさんのメモや日記については、心理鑑定を行い、当時Aさんがどんな心理状態だったのかを解明したい。

 

 

 

弁 護 士 紹 介

●主任弁護人

 堀和幸さん(ほり かずゆき)/京都弁護士会

                       

(プロフィール)

1977年弁護士登録(京都弁護士会、29期)。京都弁護士会刑事委員会委員長、副会長などを歴任。日弁連「死刑廃止及び関連する刑罰制度改革実現本部」副本部長。過去にオウム事件、近畿連続青酸死事件の弁護人を担当。著書に「アメリカの刑事弁護制度」(共著)「臭気選別と刑事裁判ーイヌ神話の崩壊」(共著)「『被害者問題』からみた死刑」(共訳)など。

 

 

支 援 者 か ら の メ ッ セ ー ジ

●青木惠子(あおき けいこ)/平野義幸さんを支援する会・代表

     

(プロフィール) 

1964年大阪府生まれ。1995年7月に自宅が火災事故にあい、火災事故を殺人事件として立件され、99年5月、大阪地裁で無期懲役判決、2006年最高裁で確定する。一貫して無実を主張し、2016年8月10日、再審無罪判決を勝ち取る。いわゆる「東住吉冤罪事件」。現在は、自身の冤罪事件の体験をもとに講演や、冤罪被害者の支援活動を行う。著書に「ママは殺人犯じゃない―冤罪・東住吉事件」がある。

 

●櫻井昌司(さくらい しょうじ)/布川事件元被告人・冤罪被害者、社会運動家

    

「1年ほど前に本人に会って冤罪であると確信した。放火したとされる内容と延焼した実態が矛盾している。私は自身の体験から、科学的な事実を無視する裁判官がいることを知っている。覚醒剤を使ったりしていた平野さん自身も悪い、はっきり言って。だから自分の言っていることが信用されなかった。そういうことが冤罪をつくると体験として知っている。だが覚醒剤やっていようが事実は事実として裁かないといけない。平野さんも無実を勝ち取って欲しい。」

 

(プロフィール)

1947年栃木県生まれ。1967年茨城県北相馬郡利根町布川で起きた強盗殺人事件の容疑者として逮捕され、78年に無期懲役確定。29年間を獄中で過ごし、96年仮釈放。利根町に住み、土木建設会社に勤務する傍ら、第二次再審請求申し立てに向けて準備を進める。2001年第二次再審請求申し立て。05年地裁による再審開始決定。09年特別抗告棄却で最高裁による再審開始決定。 2011年無罪判決。事件後、43年7ヶ月を経てようやく無実が認められる。服役中から詩作と作曲に取り組む。著書に『獄中詩集 壁のうたー無実の二十九年・魂の記録』がある。

 

●尾崎美代子(おざき みよこ)

   

 

「青木惠子さんを通じて知り合った平野さんとは多くの手紙のやりとりをしています。えん罪を訴える他の方々同様『何でも聞いてください。何でも答えます』と、自身の恥ずかしいこと、不利になることまで書いてきます。それが彼が無実である証拠です。平野さんには過去に覚せい剤使用や暴行などの過ちもあります。しかし、だからといって無実の罪を着せられていいはずはありません。被差別部落出身だから、ボクサー上がりだから、知的障害があるからと、多くの社会的弱者に犠牲を強いてきた構図は変わりません。今の平野さんの訴えに耳を傾けて下さい。」

 

(プロフィール)

新潟県出身。80年代、バイトしながら大学に通う傍ら、日雇い労働者の町・山谷の支援に関わる。90年、大阪に移り住んで以降は、釜ケ崎に居酒屋とフリースペースを兼ねた「集い処はな」を運営し、野宿者問題、反原発運動など社会活動に関わる。「紙の爆弾」(鹿砦社)の「日本の冤罪シリーズ」に多数の冤罪事件を執筆。

 

●二村真弘(にむら まさひろ)/ドキュメンタリー映像制作

「平野さんの事件について知ったのは、別の事件の取材で青木惠子さんにインタビューをさせてもらったときでした。『私と同じ放火で、冤罪の可能性がある。支援者を募っている』ということでしたが、覚醒剤を使用していたり、傷害事件を起こしていたりと、正直、青木さんからの話でなければ、詳しく調べることもなかったと思います。しかし裁判資料を見ると、検察の主張や判決の内容が、実際に起きていたと思われることから大きくズレていることが分かり、事実を確かめるために関係者にあたると平野さんの主張していることの方が正しいということがいくつも出てきました。私は取材者としても、事件当日本当は何があったのか、見定めていきたいと考えています。」

 

(プロフィール)

1978年愛知県生まれ。2001年よりテレビ制作会社、株式会社ドキュメンタリージャパンに参加。国内外の社会問題に関する番組を制作。2011年からフリーランス。東日本大震災のあとは、被災地に入り、復興に向けての様々な取り組みを長期に渡って取材。主な制作番組は「情熱大陸」「NHK・BS1スペシャル」「ETV特集」「ガイアの夜明け」など。またYouTubeチャンネル「digTV」で和歌山毒物カレー事件を追った連続ドキュメンタリーを配信中。

 

 

平 野 義 幸 さ ん プ ロ フ ィ ー ル

1964年  大阪府箕面市生まれ

 

1982年  高校を2年で中退。自動車整備士として働く

 

1992年  俳優・大地義行(だいち よしゆき)として活動開始

 

1993年  知人とレストランバーを共同経営

 

1998年  映画「JUNK FOOD」出演 

 

2000年  映画「新・仁義なき闘い」出演

 

2002年  映画「荒ぶる魂たち」「新・仁義の墓場」出演

 

2003年  1月16日(土)午後2時ごろ 事件発生

 

2005年  3月25日、大阪地裁、懲役15年の判決(求刑は無期懲役)

 

2006年  4月28日、大阪高裁、一審の判決を破棄。求刑通りの無期懲役の判決

       10月31日、最高裁、上告棄却

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロジェクト実行責任者:
青木惠子(平野義幸さんを支援する会)
プロジェクト実施完了日:
2023年2月1日

プロジェクト概要と集めた資金の使途

合計金額 500万円 (内訳)《弁護士費用》150万円 ・主に再審請求に関わる弁護士費用 《再現実験・再鑑定費用》200万円 ・火災の専門家の指導・監修の元、実際に起きた事件現場を再現。出火場所を検証 ・火災当時の現場資料を火災鑑定の専門家が改めて検証 《再現CG作成費用》100万円 ・事件現場となった平野さんの自宅をCGで作成。平野さんの証言や関係者の供述調書などに従い、当日の動きを再現。作成した映像は検証資料や広報資料として使用 《支援活動資金》50万円 ・支援者を募るための広報活動、平野さんへの面会など

プロフィール

リターン

3,000+システム利用料


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感謝のメッセージと活動報告1

●平野義幸よりメッセージをお送りします
●活動報告をお送りします

支援者
71人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年10月

5,000+システム利用料


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感謝のメッセージと活動報告2

●平野義幸よりメッセージをお送りします
●活動報告をお送りします

支援者
30人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年10月

10,000+システム利用料


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感謝のメッセージと活動報告3

●平野義幸よりメッセージをお送りします
●活動報告をお送りします

支援者
50人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年10月

30,000+システム利用料


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感謝のメッセージと活動報告4

●平野義幸よりメッセージをお送りします
●活動報告をお送りします

支援者
14人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年10月

50,000+システム利用料


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感謝のメッセージと活動報告5

●平野義幸よりメッセージをお送りします
●活動報告をお送りします

支援者
4人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年10月

100,000+システム利用料


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感謝のメッセージと活動報告6

●平野義幸よりメッセージをお送りします
●活動報告をお送りします

支援者
4人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年10月

200,000+システム利用料


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感謝のメッセージと活動報告7

●平野義幸よりメッセージをお送りします
●活動報告をお送りします

支援者
1人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年10月

500,000+システム利用料


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感謝のメッセージと活動報告8

●平野義幸よりメッセージをお送りします
●活動報告をお送りします

支援者
1人
在庫数
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