皆さんも、今に至る前には過去があります。

先週末、それを強く感じる出会いがありましたので、共感される方がいらっしゃればと思い、披歴したいと思います。

 

先週半ばに、クラウドファンディング事業へのご興味を持たれた方よりメールを賜りまして、29日の日曜午前に、ボンネット広場に直接お越しになられるということで、お待ちしておりました。

その方は、これまでの人生を色々振り返られ、悲観や不安を抱かれつつ、現在前向きにご自身を見つめ、クハ489-501の生い立ちや今後に興味を持って、是非一度来たいと思われたのだそうです。

 

私はこれまで4年間、このクハ489-501のボランティアを通じ、様々な方と交流を持ち、また、小松市がJR西日本と折衝して譲渡に至った話や、それ以前の交渉のベースとして介在した中で、「様々な奇跡が起きて今があるから、これからもきっと、この電車にはいろんな方々の思いを汲んだ奇跡は起こるんでしょうね」と、不思議な体験をお伝えしました。

 

2時間ほどお話することとなり、当日は荒天になる天気予報だった事から12時で車内開放を終えさせていただいたのですが、その間殆ど、私達スタッフとその方の3人だけの空間だったのです。

彼の本音は、「一体この電車を維持管理する人は、どんな人となりなんだろう?」という不安だったそうです。

私にそれほどオーラは無いと思うのですが、クハ489-501には私以上の年季とファンが居ますから、その電車を守る使命感はあるつもりで、これまで精一杯努力してきたつもりです。

彼には、様々な経験や知識と客観的に俯瞰視する目線がありました。 残念ながら、病弱で、かつ東京在住なため、実働的なボランティアは出来ないが、直接話が出来てご満足いただけたご様子でした。

 

…もっと様々なお話、特に今後についての問題提起をいくつかされましたが、今事業最後のお話に繋ぎたいと思います。

 

私の原点、それは昭和57年11月に長岡駅で見た、181系「とき」です。

父と兄の3人で、小松から、当時は全然高速も繋がっていない、酷道8号線の親不知を通っての道程で、ようやく辿り着いた思い出があります。

この時に見た、クハ181-108は、「とき」廃止後も九州へ転じ、クハ481-501になりました。 485系の一員になった2両のボンネット先頭車のうちの1両でした。

 

この写真は昭和57年11月14日、金沢駅です。

間近で初めて、イラストマークになった雷鳥のボンネットを見ました。

それまでボンネット雷鳥は文字マークでしたので、大きなマークと国鉄色の調和に見惚れたのでした。

この時の先頭車はクハ481-126、485系ボンネットのラストナンバーであり、鉄道ファンにとっては最後まで伝説となった車両でした。

 

平成5年のクハ481-126の姿です。

平成3年9月に、スーパー雷鳥用編成が基本+付属になり、7両編成6本、3両編成7本にまとめられたのですが、計13本と奇数になり、先頭車が1両余ってしまったのでした。 それがこの車両でした。

結局平成8年1月まで放置され、もう廃車だろうと誰もが思っていたところ、なんと向日町運転所に復帰され、「雷鳥」に再び使用することになったのでした。

平成8年2月21日、クハ481-126は本線に復活しました。

その時の試運転列車は、いかにも金沢運転所の試運転らしい、野趣のある珍編成でした。

向日町区転属後は、「雷鳥」だけでなく「白鳥」として青森へも運行され、平成15年まで「原形最後のボンネット」として、注目を集めました。

 

私が直に目の当たりにした車両達の、特に思い入れがあった車両が、後に歴史上の名車、珍車といわれるのも、多分ご縁なのでしょう。

クハ489-501も、現役時代からもちろん思い入れがあります。

でもボロボロでは明日や、次の10年は見通せません。

サッパリと錆を落として、綺麗になってこそ、振り返る苦労や過去の話も美談になるのです。

 

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