震災直後に書き綴った娘(12歳)の日記

2016年4月16日 熊本地震(本震)が襲った。。。
それまでも毎日書いていたせいか、地震当日も日記を書き綴っていた娘。。。
今では とても貴重な記録です。

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4月16日「熊本大震災」
〜1日目〜
午前1時25分南阿蘇村を震源地としたマグニチュード7.3(震度6強)の地震があった。
地震は1分間続いたそうだ。
一昨日の(4月14日)の震度5弱の地震から夜寝る時は廊下で寝ていた。
前日も防災道具を持って、廊下で寝ていた。
私が起きたのはお母さんとお父さんの悲鳴や、叫び声で起きた。
私は毛布を頭まで被って、叫んだ。ガッガガガバリバリゴゴゴゴゴゴ。
シャンデリアのぶつかる音、棚からものが飛び出してくる音、ガラスが砕け散っていく音、今思い出しても鮮明に記憶に残っている。


地震が弱まって、外に3人で出ようとガラスの砕け散った階段を登り、玄関に出しておいた靴を探そうとした。床が抜けていた。スリッパを急いで履いて、外に出た。外は真っ暗だった。
そこで見た光景に息を飲んだ。
地面が割れて流氷の上に立っているかのようだった。真っ暗で何もわからなかった。
私はお母さんからもらった毛布を羽織り、車の鍵を強く握り締めて車の横に立っていた。お父さんとお母さんが家の中に入って、リュックなどを取りに行ってる間、とても怖かった。


一人でいる間、余震が何度も来てしゃがみこんだ。何も聞こえてこなかった。
「どうかこれが夢であってほしい。夢だったら早く覚めてよ。神様何とかしてよ…」
お母さんが帰ってきて、『野ばら』に「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」と呼びかけていた。
『野ばら』のおじいちゃんが「助けて。出られん。」と叫んでいた。もう頭がパニックになった。お母さんが急いでリュックの中から懐中電灯を探していた。誰かが死んでいるのかもしれない。もうこの世でひとりぼっちのような気がした。顔はわからなかったけど誰か大人がやってきて、おじいちゃんとおばあちゃんを助け出した。


お父さんについて行って、『野ばら』の駐車場へ移動した。「ひなの」と「しゅん」の悲鳴などが聞こえてきたから内心ホッとした。それから駐車場に栗原家・梶原家・森尾家が集まった。「ひなの」の顔を見て、ものすごく嬉しかった。「ひなの」も同じく私の顔を見て、泣きながら抱きついてきた。後から聞いた話だが、「ひなの」と「あやの」さんは崩れかけた家から這い出てきたそうだ。周りを見てみたら、なんだか周りが白く曇っていた。匂いを嗅いでみたら、ガスの匂いだった。『えばーグリーン』から漏れていたそうだ。


「ひなの」のお父さんがエンジンをかけずに車をバックさせた。その中に栗原家を乗せた。「ひなの」と私は一緒に毛布をかぶった。30分ぐらい過ぎた頃、『ダイアリー』のおばさんとおじさんが「皆さん大丈夫ですか?上にみんな集まりましょう。その方が安全です。」と言いに来た。「ひなの」とくっつきながら上の広場へ移動した。「ひなの」と「しゅん」と「祐子さん」と、「初水ちゃん」の車に乗せてもらった。あったかかった。「だいごさん」が非常食のケーキを持ってきてくれた。美味しかった。車のナビのニュースを見てみると南阿蘇村が震度6強なのを知った。「ひなの」が寝てから、「田口さん」のキャンプカーに乗せてもらった。広かった。でも全然眠れなかった。「朝が来たら家を見に行ってみよう。」と思った。夜が明けて、「ひなの」達の車に行ってみたがいなかった。お父さんとお母さんと家を見に行った。

 

ビックリした。

 

コンクリートが割れるどころか粉々になって、ティンクナの隣の斜面は崩れ落ちて崖になって、代車の車は割れたコンクリートに埋まっていた。

 

 

『野ばら』は露天風呂から泊まるところも崩れ落ちて、二段ベッドが外に出ていた。おじいちゃんとおばあちゃんの家は、壁が崩れてもう崩壊しそうだった。梶原家はテラスが崩れて、壁が落ちて、子供部屋をみたらもう、ぐっちゃぐっちゃだった。『野ばら』の前の道路は無くなっていた。

 

 

『えばーグリーン』は玄関らへんが崩壊。宙に浮いていた。

 

『ダイアリー』は電柱が倒れて真っ二つに割れていた。

 

 

『小林家』は家の中の床が割れていた。

 

『新クララの田口家』は作りたてのテラスが傾いて、椅子などが散乱していた。

 

『ウグイス』は崖が崩れて、もう後少しで崩れ落ちる寸前だった。上から下の道路がはっきりと見える状況だった。

 

『森のこびと』は家の中がぐちゃぐちゃだったけど、メルヘン村の中で一番安全な場所だった。

 

一度家に戻って、家の中の物を取り出す作業に取りかかった。
といっても、私は家の中に危ないから入れてもらいなかった…
それから上の広場に行ってみると、みんな有り余った食材を使ってBBQをしていた。あまり食欲がわかなかった。それから、今夜は森のこびとに泊まるかもしれないので、家の中を「あやのさん」と共に片ずけをした。テレビ局が来た。空にはヘリコプターが沢山飛んでいた。次々と通り過ぎてしまうので、「ひなの」が「テレビ局のバカー」と大声で言っていた。テレビ局のどまん中で…


午後になった。1台目の救助ヘリが着陸した。
初めて目の前で見た。救助ヘリが行ってしまって、「しゅん」と「ひなの」とサッカーをした。大人たちは、避難所へ行くかどうかを話し合っていた。5時過ぎぐらいに梶原家と栗原家が避難所へ向かった。私たちは夜ごはんをメルヘン村で食べて、避難所へ行く予定だった。BBQをして、避難所へ向かった。『野ばら』の前の道路は通れなかったので、裏の道を通った。代車だったから通れたらしい。
避難所には、松田一家、前田一家、栗原一家、梶原一家、小林一家、宮田一家、などがいた。「あき」の家は一階が潰れて二階から脱出したらしい。寝た。

 


4月17日「熊本大震災」
〜2日目〜
昨日はよく眠れた。
朝ごはん・・・非常食

昼ごはん・・・BBQ
夜ごはん・・・おにぎり。お茶
昨日の夜から朝にかけて、少し雨が降った。
お父さんとお母さんは「この雨で地盤が緩んで、家が崩れるかもね…」と言っていた。非常食があったから、食べ物には困らなかった。「なぎ」ん家に軽トラを貸してもらって、荷物を運んだ。お昼頃にメルヘン村に戻った。家はまだ崩壊していなかった。子供では、「勝利」しか来ていなかった。お昼ごはんを食べて、「勝利」と自転車やキャッチボールで遊んだ。自衛隊が下の道路を整理し始めた。

 


4月18日「熊本大震災」
〜3日目〜
朝ごはん・・・おにぎり等
昼ごはん・・・BBQ
夜ごはん・・・「なぎ」ん家でBBQ


朝起きてラジオ体操をした。
ずっと座ったまんまだと、血が固まって息が苦しくなってしまうからだそうだ。朝ごはんを食べてから、体育館の裏で「ききょう」と「ゆうと」のDSで遊んだ。「ききょう」によると、メルヘン村の下の道路は自衛隊が整理して通れるようになったそうだ。体育館には中学校の先生が来ていて、生徒の安否確認をしていた。私も会った子の名前を先生に伝えた。その後、お父さんとお母さんと家に向かった。今日は「佐藤さん」が来て『野ばら』のかたずけの手伝いをする予定だった。


今日も家は崩れていなかった。子供は誰も来ていなかったから、猫と遊んだ。夕方、下の道路からメルヘン村を見てみようと思い行ってみたら、『ハーモニー』に会った。とても心配していたらしく、大津方面から、おにぎり20個ほど、水2リットルをくれた。美味しかった。

 

その後、高森の『そよかぜパーク』の温泉に入った、久しぶりだったから気持ちよかった。帰りにアイスでも食べようと思い、近くのコンビニへ寄った時、「栗原家」から連絡が入った。「近くのダムが崩壊する恐れがあるから南西小に避難した方がいいんじゃないか?」という連絡だった。

 


4月19日「熊本大震災」
〜4日目〜
朝起きてラジオ体操をした。
朝ごはん・・・紙コップに入っているカレー、味噌汁。おにぎり2個入り3パック。
昼ごはん・・・おにぎり1人1つ紙コップに入っているうどん。
夜ごはん・・・お弁当。ゆで卵。味噌汁。
お父さんが「役場に行けばニュースが見れるよ。」と言ったので、7時55分に長陽役場に行った。昨日の夜、「なぎ」ん家での地震は震度5強だったらしい。そんなに大きかったかな。朝ドラが始まって、面白くなかったから体育館に帰った。今日は家に行かないで、避難所にいる予定だ。「なぎ」が来てからその後、「なぎ」、「ゆうと」、「ちなつ」、「ちひな」、「あかりさん」と一緒に荷物を運ぶボランティアをした。

 

その後、道場で素振りをして、お昼ごはんを食べた。それから1時から2時まで、「なぎ」に勉強を見てもらった。勉強が終わると「まなみさん」が来て、「ここで病人が出たから、家に帰りなさい。ちひなもなぎについていき。」と言われたから、「なぎ」のおばあちゃん家へ移動して遊んだ。「なぎ」のおばあちゃん家はトイレや流しの水が出ていた。高森の方は電波が通じるらしい。夜になると、トイレや蛇口の水が出るようになった。「たかと」が、「らいむちゃん」と何処かへ行ってしまったので、みんなで大捜索になってしまった。余震が来るたんびに、4月16日のことを思い出す。

 

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次の日から 娘はパッタリと書くのを止めました。同時にそれ以来、震災前のペンションでのことを話さなくなったように感じます。

 

きっと彼女なりに、前だけを向いて歩き出そうと悟ったのかもしれません。

 

 

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