北里柴三郎博士が功績を残した伊東の地に顕彰モニュメントを建立したい
北里柴三郎博士が功績を残した伊東の地に顕彰モニュメントを建立したい
北里柴三郎博士が功績を残した伊東の地に顕彰モニュメントを建立したい 2枚目
北里柴三郎博士が功績を残した伊東の地に顕彰モニュメントを建立したい 3枚目
北里柴三郎博士が功績を残した伊東の地に顕彰モニュメントを建立したい 4枚目
北里柴三郎博士が功績を残した伊東の地に顕彰モニュメントを建立したい 5枚目
北里柴三郎博士が功績を残した伊東の地に顕彰モニュメントを建立したい
北里柴三郎博士が功績を残した伊東の地に顕彰モニュメントを建立したい 2枚目
北里柴三郎博士が功績を残した伊東の地に顕彰モニュメントを建立したい 3枚目
北里柴三郎博士が功績を残した伊東の地に顕彰モニュメントを建立したい 4枚目
北里柴三郎博士が功績を残した伊東の地に顕彰モニュメントを建立したい 5枚目

支援総額

2,652,000

目標金額 2,500,000円

支援者
64人
募集終了日
2023年2月28日

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2024年07月15日 10:56

昭和6年7月14日伊東の地にて追悼会開かる

北里柴三郎博士が昭和6年6月13日、78歳4か月余にして薨去された。

伊東で博士の生前のご恩に応えようと7月14日に伊東市医師団を中心にして追悼会が開催された。

当日は雨が降っていたその模様を『伊東ー人物誌』~北里柴三郎先生追悼会のこと~につぎのように書かれている。―「伊東市医師団会誌(昭和5年~昭和11年・伊東市医師会蔵」)よりー

 

 ~連日の霖雨は尚未だ晴れず暗雲低迷細雨凛凛として、天も先生の薨去を哀悼するかの如き日であった。~

 参列者には東京から令息善次郎氏と北島多一博士を迎え、午後1時には追弔式が始まる。その時に町長であった鈴木徳太郎は弔辞を披露、北里博士の功績を讃えている。その弔辞が伊東郷土研究会の会誌『郷土の栞』に残されている。

掲載させていただく。

鈴木徳太郎町長 弔辞

・故北里柴三郎博士追悼祭の挨拶   鈴木徳太郎

 

本日医学博士男爵北里柴三郎閣下の追悼祭を行うに当 りまして御遺族御門弟の方々が雨天の処を遠路わざわざ 御参列下さいましたに就きましては、深く深く謝意を表 します 。 又医師会の方々が多数御臨席下さいましたこと は寔(まこと)に満足に堪へざる次第であります 。

 想ふに北里博士の薨去に対しましては、内外医学界の一大損失でありまするので、朝野を挙げて追悼に堪えざ るものがございますことと存じます。その点に於て私も 哀悼措く能はざる一人でありますが、私が茲に医師会の お企てに共鳴して殊に町として追悼祭を営みましたのは 、 博士が世界医学界の権威であるからと申すばかりではな く 、 実に博士は我が伊東町に取りまして開発の大恩人で あるからでございます 。

博士と町との関係に就きまして は当時親しく御関係なすった方々の熟知せらるる所であ りましょうが先づ第一に博士が未開発の伊東を御選びな されて御別荘を御建てになりましたこと勿論温泉街たる 伊東と致しましては 、 大いに発展すべき運命の下に置か れてありますので 、 早晩開発されべきは疑う余地はあり ませぬけれども 、 未だ交通不便な片田舎に過ぎなかった際に於いて、御別荘を建てられたということは伊東の開発を非常に促進せしめたことを疑いませぬ 。

又物質的にも莫大の御寄付をなすって、堤塘の改築、通学橋の架設並びに架替え御成道の改築等を主として 、消防器具其他の諸施設を助成し町の開発進展に御尽くし下さったことは枚挙に遑がありませぬ。

殊に先年賀陽 、 山階両宮殿下が軍事演習のために伊東 に御成り遊ばされた際の如き博士御夫妻には、わざわざ 伊東まで御出張遊ばされて、町に代って御歓待申上げて下さったのでありますが、是等は町民挙げて博士を徳とする所以でありまして 、 今日町として追悼祭を行いまするのも 、 これは決して博士が世界的権威であるから御別荘があるからと言うような儀礼一遍の思い立ちから催し ますのではありませぬので博士に対する感恩の念と哀悼の至情から出発しているのでございます 。

で 、 私と致しましても 、 伊東に参りましてから日尚浅く遂に博士の謦咳(けいがい)に接することが出来ませんでしたがこれは伊東発展上終生の恨事であると痛切に感じられてなりませぬ 。

 ここに私は博士と伊東町との深甚なる関係を追想し哀悼の情に堪えませぬ 、聊(いささか)、 所感を陳べて式辞と致します 

 昭和六年七月一四日

 

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追悼会のことを時間を追って同上の書より再現してみよう。

 

 午前10時、北里善次郎、北島多一両博士を熱海にて小穴元老と伊東医師団の前島直次郎の二人で出迎え、雨の中を伊東まで自動車にて向かう。

午前11時、伊東大阪屋旅館に到着、小憩昼食

午後13時、伊東町役場(式場)にて開式

      ・開式の辞

      ・神官祭文朗読

      ・鈴木町長の式辞

      ・大原担・太田賢治郎両氏の追悼辞

      ・伊東医師団(下村・鈴木)の追悼辞

      ・令息善次郎氏の挨拶

      ・玉串奉呈

      ・神官祭文

      ・閉会の辞

 

式典終了後、北島多一氏の講演

 ~博士は、故先生の高徳・逸話・美談に対して荘重なる言辞を以て、縷々一時間余に亙りて満場を傾聴せしめ、これに対し、北下 会長より挨拶を述べられる。

 講演会終わりて、多忙なる令息、博士は少憩の間もなく直ちに帰京せらるるとの事にて、未だ降りやまぬ雨の中再び自動車上の人となられた。送別は鈴木氏(医師団)と更に小穴老を煩わし、熱海駅まで同乗せられた。~

 

93年前の7月14日の伊東は一日雨が降りやまず、

 大恩人の死を天までもが嘆き悲しんだのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リターン

3,000+システム利用料


alt

A|缶バッジ+温泉ご招待

●お礼メール
●缶バッジ(顕彰碑デッサン)
●温泉入浴ご招待(提供元:和田寿老人の湯)
※有効期限は2024年3月までです。詳細は別途ご連絡いたします。

申込数
20
在庫数
9
発送完了予定月
2023年6月

5,000+システム利用料


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B|缶バッジ+リフトご招待

●お礼メール
●缶バッジ(顕彰碑デッサン)
●リフトご招待(大室山か小室山をご選択いただきます)
※有効期限は2024年3月までです。詳細は別途ご連絡いたします。

申込数
40
在庫数
90
発送完了予定月
2023年6月

3,000+システム利用料


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A|缶バッジ+温泉ご招待

●お礼メール
●缶バッジ(顕彰碑デッサン)
●温泉入浴ご招待(提供元:和田寿老人の湯)
※有効期限は2024年3月までです。詳細は別途ご連絡いたします。

申込数
20
在庫数
9
発送完了予定月
2023年6月

5,000+システム利用料


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B|缶バッジ+リフトご招待

●お礼メール
●缶バッジ(顕彰碑デッサン)
●リフトご招待(大室山か小室山をご選択いただきます)
※有効期限は2024年3月までです。詳細は別途ご連絡いたします。

申込数
40
在庫数
90
発送完了予定月
2023年6月
1 ~ 1/ 13


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