仮設万石浦団地の自治会長増田さんのかつてのお仕事仲間で、集会所にもよく顔を出していただいてる佐々木さんは、「釜神様」づくりの名人です。

 

(ホントに仲の良い増田さん(左)と佐々木さん(右) お二人とも気さくで素敵なご紳士です)

 

 

(佐々木さん製作の「釜神様」 初期の頃の作品)

 

「釜神様」は神仏習合の荒神説、祖先の守護神説などの言い伝えが残っていますが、その文献もなく起源も不明です。分布も昔の仙台藩に限られていて「釜神様」は多くの謎に包まれています。

 

火を扱う「かまど」を大切にして、火の守り神そして魔除けの神様として木材や壁土で作られた「釜神様」は、かつて宮城県から岩手県にかけて多く見られたようです。

 

新築の記念に棟梁が欅材などを使って彫った物を贈り、「かまど」(台所)の上や土間の柱に祀られ信仰されてきましたが、宮城県内では今では千数百体ほどしか残っておらず、家屋から「かまど」や土間が消えていったのと同時に「釜神様」も消えつつあるようです。

 

 

 

佐々木さんは、仙台藩主伊達正宗が建立したといわれるサン・ファン・バウティスタ号の復元に携わった船大工職人の一人だったそうで、復元船の進水式の日には、天皇・皇后両陛下がいらっしゃり、作業にあたった職人さん達が整列している所にやってきて、お声をかけていただいたと当時を振り返ってくれました。

 

(復元船の進水式にご訪問された両陛下の写真 右の写真は復元船の前に並ぶ職人さん達でこの中に若かりし佐々木さんのお姿も)

 

 

(平成5年5月22日 石巻市中瀬公園で行われた進水式の様子)

 

 

その佐々木さんも、東日本大震災では被災されましたが、震災前から趣味で制作していた「釜神様」づくりを震災後に再開し、作品は仮設万石浦団地をボランティアで訪れた方々に贈っていたとのことでした。

 

「釜神様」づくりにあたって、佐々木さんのこだわりの一つは、あえて彫り跡を残すために仕上げの加工を施さないことだそうです。なるほど確かに、彫り跡がまるで浮き出た血管のようにも見え、「釜神様」のいかめしい面がさらに怖い感じになります。

 

(いかめしい面は右が「阿」 左が「吽」の表情)

 

この表情は一つとして同じものになることはなく、また彫っているその時の自分の気持ちが表れるのだそうです。

 

佐々木さんは震災で最愛の奥様を亡くされました。

 

奥様は佐々木さんの「釜神様」についてよく感想を話してくれて、佐々木さんも奥様の感想を参考にしながら製作していたそうです。

 

そして、彫刻の道具の大半を失ったにもかかわらず、「釜神様」づくりを再開したのは、気を紛らすというより、木と向き合い彫っている間は、心の中にいる奥様がまた語り掛けてくれている、そんな気持ちに少しだけなれるからともおっしゃっていました。

 

 

 

被災地、被災者と、一括りの捉え方をされがちですが、被災地も様々、被災の状況も百人百様です。

 

震災後三年経過し、震災の爪痕は徐々に消えつつあります。

 

仮設団地の住民の方も日常の中に喜びや笑顔を取り戻す時間を過ごせるよう色々と工夫されている場面も多く見られるようになりました。

 

(仮設万石浦団地の集会所をいつも賑やかにしてくれる仲良しの皆さん)

 

しかし、被災者の方々の心の傷跡が完全に消えることはないと思いますし、被災者の方々は色々な想いを心の奥底に置きながらも、互いに寄り添いそして支え合いながら、毎日を踏ん張っているようにも思います。

 

 

こらからも皆様からの温かいご支援が被災地並びに被災者の方々に届きますよう宜しくお願いいたします。

 

  スタッフ 阿部

 

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