「トンネルを抜けると雪国であった。」
新幹線の窓には、小説『雪国』の冒頭を絵に描いたような風景が広がりました。

プロジェクトページでもご紹介させて頂いている別府倫太郎くん。今週末、新潟の高校訪問の機会を頂き、隣の市に住む彼に会いに行きました。

彼との出会いは、去年の4月。インターネットを通した出会いでした。NPOの友人がeboardを倫太郎くんに紹介してくれ、Twitterやメールでやりとりする仲に。

まだまだユーザーやeboardの方向性も定まりきらない中、彼からの便りは、大きな励ましになっていきました。


倫太郎くんは、小児ネフローゼという病気で入退院をくりかえす日々を送っています。5歳の時には、原因不明の全身性の円形脱毛症を発症、小学3年生の時に「学校に行かない」という選択をしました。

「不登校」というと、マイナスなイメージを抱く方もいるかもしれません。実際に私が接してきた不登校の子や親御さんたちの多くは、学校に行かない、学校に行けないということで自分を責め、悩みを抱えてました。


「倫太郎くんは、どうなんだろうか?」
そんな気持ちも抱きながら会った彼の第一印象は、そんな気持ちを払拭してくれました。ニコニコした笑顔に小さな手で、世界一いけてる名刺をくれました。自分が頂いたどんな大企業や、どんなえらい人の名刺より、抜群にいけてます。

最初は少し緊張していたようですが、お宅にお邪魔し、トランプで大富豪をしたり、好きな本の話しをしたり、新潟の話をしたり。はじめて会ったにも関わらず、自分の半分の歳にも関わらず、弟のような、友達のような、そんな気持ちになりました。

そこで、聞いてみました。

「倫太郎は、学校に行かないってどうやって決めたの?」 普通は不登校の子に対して、自分が絶対にしない質問でした。しかし単純に、倫太郎くんのことをもっと知りたいと思いました。自然と口から出てきたという方が、近かったように思います。


そこから、学校に行ってた時のこと、不登校になるまでを話してくれました。

学校の授業やものごとの進め方が、自分の中でどうしても受け入れられないこと(これは一般的な「受け入れられない」ではなく、食べ物を「飲み込めない」ような感覚に感じました)。
それが大きな心の負担になり、蓄積していったこと。
精神的に混乱をきたしてしまい、死ぬことを考えるような日々が何十日も続いていたこと。
その間なにかを求めるように、様々な人や本に出会うようになったこと。

そして、「学校に行かない」と自分から決めたこと。

なかなか伝わりにくい状態だとは思いますが、普通は小学生~20代くらいの間までに経験するような悩みや、葛藤を半年や1年の間に経験するような感覚でしょうか。言葉では表現できないような辛さを想像し、そして自分の胸が締め付けられるような感覚を覚えました。

私は自分の経験もあり、「不登校」ということをまったく否定していません。しかし、どこかに「学校に行けるなら、行った方がいい」という考えがあったと思います。

それが大きく変わりました。 彼の話をきいて思ったのは、「学校に行く」という選択と同じくらい 「学校に行けない、行かない」という選択が尊重されなくてはいけないということです。


倫太郎の力になりたい。不登校の子たちに、できるだけの学びの機会をつくりたい。 改めて、自分の思いを確認することができました。本当にありがとう。

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