こんにちは。EDAYA JOURNEYプロジェクト代表の山下彩香です。
 
 
これまでに、なんと30人もの方からのご支援を頂きました!
本当にどうもありがとうございます。
 
私達のプロジェクトや、こうして書く文章に、心動かしてくださる方々がいらっしゃる、そのシンプルな事実に、心から感動しています。ありがとうございます。
 
 
 
さて、話題はかわりますが、最近、EDAYA JOURNEYの親プロジェクト、EDAYAの取り組みを、「エシカル」なものとしてご紹介頂くことも多くなり、「エシカル」ということについて考えさせられる機会も必然的に多くなってきています。(例えば、先日は、エシカルショッピングナイトというイベントに出席し、3万円以上の引換券にも入っているEDAYAのジュエリーを、ファッションショーにてモデルさんにつけていただきました!
 
 
そこで、今日は「エシカルとEDAYA」というタイトルで、主にエシカルと、このプロジェクトがどうつながるかということを軸にして、私の思うところをかいてみたいと思います。(ちなみに、今週末日曜日21日には、Reethという団体が主催する、「with ethical ~モノガタリを選ぶファッション~」にゲストとして出演させていただきます。興味のある方はぜひいらしてくださいね。)
 
 
私は、エシカルという概念そのものは、経済至上主義とバランスを取るという意味では非常に気の遠くなるような、でもこれからの社会に絶対必要な、人々の行動指針になりうるようなものだと考えています。
 
 
具体的にどういうことかというと、地球全体で、一律の「倫理的な」行動基準を決めることは、おそらく不可能で、それは人々の幸せの価値基準がそれぞれ違うように、人それぞれで、生まれた国や周りの環境、教育そういったものの影響も受けながら、何を「倫理的」と思うかは違って当然だからです。だから、私が対象としている無形文化ということに関して言えば、どの無形文化が将来残るべきで残らないべきかを、一律の基準で決めることは非常に難しいことだと思います。そうであるとすると、その文化の運命は、その地に生きる人々の自発的な「倫理的」基準の手にゆだねられることになります。
 
 
わたしたちが、今回のプロジェクトで行おうとしているのは、子供たちが将来的に、自発的な倫理的選択をできるようになるための種まきプロジェクトです。子供たちの選択肢を増やすという取り組みです。昔、お母さんに連れられて行った地元のお祭りの良さを30年後、40年後になって初めて理解し、自分の「倫理的」基準がそれをもとに形成され、その人のライフスタイル
をつくっていくとしたら、その子供の時の経験がいかに大切なことなのか、わかると思います。
 
 
現在、フィリピンのカリンガでは、子供たちがそういった「経験」を得ることそのものが非常に難しくなってきています。それは、近代化の影響もあるし、キリスト教の侵入によるシャーマニズムの衰退にもその原因はあると思いますが、本来子供たちにそういった経験を授ける側の大人たちが、自分たちは経験してきた昔ながらのものに価値を見いだせず、あるいは見出さず、金銭的に豊かになることの方を選択しているという状況があります。本当は金銭的に豊かになることと、文化への視座というのは、両立できるもののはずだけれど、そしてようやく日本もそれに気づきだしたけれど、今日明日を生き延びることに必死で、死にもの狂いでお金を稼いでいる人には、それが難しいというのも理解はできることです。
 
 
あるいは、特に村の長老たちなどは、自分たちの文化の価値についてはわかっていても、よりいい暮らしを目指して頑張る息子、孫になかなか自分の思っていることを言い出せないということはあるでしょう。それは、日本でも同じことなのかもしれません。先日、ライターのFelix清香さんが、本プロジェクトを紹介くださったご自身のブログの中で、こんなことをおしゃっています。
 
 
 
「たぶん、口承文芸として昔話を覚えてきた世代は私の祖母くらいまで。私の祖母は昔話を語れる人でした。しかし、祖母は母や私に昔話を語ることを躊躇したと言います。「何だか戦前のことを話すのはいけないことのような気がして語れなかった」とは祖母の弁。おそらく、様々な価値観が急速に変わり、戦前教育などを含む日本的なものが急速に消えていこうとしていた時代だったのでしょう。」
 
 
 
だからこそ今回、村の長老から子供たちへ、あえて時間をつくって、文化を大人にとっては「教授」できる場、子供にとっては「経験」できる場を作ることはとても意義のあることなのではないかなと思っています。と同時に、私たちは、子供たちがいつでもその長老たちの語りを見返せるように、アーカイブ作りも同時に行っていきます。「記録」がすべてではないし、その場の空気感など「記録」によって省かれてしまう情報が多いのも確かだけれど、子供たちが将来、「倫理的」判断を下す時の少なくとも一つのツールにはなるはずだから。そんな風に考えています。
 
 
 
この「記録」ということに関しては、前述のFelix清香さんがブログの中でとても面白い視点をご紹介くださっているので、ぜひこちらも「読んでみてくださいね。
 
 
さて、最後になりますが・・・・
 
残り16日となった、EDAYA JOURNEYの挑戦。
皆さんの応援に心から感謝して、残り日数も頑張りますので、引き続きの
応援どうぞよろしくお願いいたします。
 

 

 

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