こんにちは。EDAYA JOURNEYプロジェクト代表の山下彩香です。

ついに残りのクラウドファンディング挑戦期間が19日となってしまいました。

 

 

これまでご支援くださった方、本当にどうもありがとうございます。本当に、一人一人のご支援がありがたく、みなさんの応援の気持ちの重みを実感する毎日です。そして、これまで応援してくださった方々の期待を裏切らないためにも、必ずこのプロジェクトを成功させたいと思う次第です。

 

 

もし皆さん3000円のご支援をくださるとして、達成まであと380人、1日20人の応援をいただければこのプロジェクトは成功する計算です。ちょっとお金の話でえげつないですが、そんなミラクル、本気で起こしたい、そう思っています。

 

 

つい先日、このプロジェクトの親プロジェクト、EDAYAのフェイスブックページのいいね!が300を超えました。正直、とても嬉しかったです。はじめは本当に小さな小さな活動でも、思いが人をつなげ、思いの輪がこうやって広がって、形になっていくんだと、実感できたからです。

 

 

 

 

私たちが今回のプロジェクトの対象としているのは、この写真にあるような子供たちです。村の長老から彼ら子供たちへ、レディーガガでも、ガンナムスタイルでもない、村に根付いた音楽の素晴らしさ、その豊かさを伝える機会を作りたい。

 

 

あとは、私たちが11日間東京の六本木で開催した、彼らの伝統音楽にフィーチャーした展覧会の報告会も開催予定です。日本の文化がかつて、アメリカなど外部の国からの評価を受けて、国内で再評価されたように、こんなにたくさんの日本の人たちが、カリンガ族の文化に関心をもっているんだよ、ということを子供たち(もちろん大人もですが!)に見せていくことが、もしかすると、子供たち自身の自分たちの文化についての意識を変化させるきっかけとなるかもしれません。

 

 

ただ、こういった長老から子供たちへのワークショップや発表会といったものは、村ごとに文化の異なるカリンガにおいて、1つの村でやっても全く意味がありませんし、いくつかの村での合同開催にしても意味がありません。それは、青森のねぶた祭りと、徳島の阿波踊りを一緒に開催してしまおう、と言っているようなものだからです。ねぶたはねぶたで、阿波踊りは阿波踊りで、それぞれの地域でそれぞれに継承されてこそ意味があるもので、カリンガの場合も同様です。だから、8個の村でそれぞれ、イベントを開催することを企画しました。(少なくとも展覧会でフォーカスした村8つに関して、まずは企画を実行する予定です。)

 

 

そうすると単純計算で、一つの村でのワークショップ&発表会予算は15万円です。まずは、発表会のためのアンプなどの機材購入、撮影記録準備、教材準備が、各村平均して3万円くらいと考えています。次に、プロジェクト終了後、記録したものを実際の本、DVDにする作業が各村3万円。ここに、私たち運営側の村までの旅費や、ガイド費、村での宿泊費、食費を考えると各村平均2万円。EDAYAメンバー2人を仮に計算すると4万円です。そうすると、残り、実際の伝統音楽教室、発表会の各村の予算は5万円ほどです。

 

 

その5万円で何をするのか?実はここにカリンガ族の文化がかかわってきます。特に今回のように、発表会など大がかりなことをするとなると、当然ながら村人全員が見に来ます。その場合、主催者が豚を1頭まるごと購入し、村全員分の食事をふるまうことが礼儀です。それは、結婚式でも、お葬式でもそうです。そして、おそらく今回の場合は、儀式に使われる神聖な楽器に関してのイベントとなるため、生贄としての意味ももつはずです。一頭あたり3万円から4万円ほどします。他に、伝統音楽教室参加者の他の日の食事代、楽器制作材料費、夜の作業のための発電機代、などを考えるともうあっという間に5万円です。

 

 

大なべで豚を料理します。

 

村人全員分の食事を用意します。(カリンガ・バリンシャガウ村のお正月)

 

大量に用意された赤米。結婚式に参加した村人全員の食事です。(カリンガ・コミアアス村)

 

実は、私たちは、昨年12月に調査で入った際に、タワンという村で楽器制作と演奏のデモンストレーションを依頼して、大変な失敗を犯しています。ちょっとのデモンストレーションだから大丈夫だろう、と思って生贄を捧げずにその神聖な楽器の制作と演奏をお願いしてしまったのがよくなかったのですが、次の日には、その楽器を演奏した家の人の買う豚が死んでいたのです。本来は神聖な場で精霊の食べ物となる生贄を用意してのみ、演奏するべきなのに、(音楽はそもそも精霊を集めるために、奏でます)、そうしなかったため、精霊が怒り、そのようなことが起こってしまったと村の人々は口をそろえて言っていました。でも、精霊の怒りが人に向かわずよかった、とも言っていました。

 

 

「生贄捧げる」というのは、現代の日本人においては、そこまで身近に感じることのできる感覚ではないですが、それはこの土地では非常に大切にされている行為。そうであるならば、郷に入れば郷に従え、ではないですが、私たちはそれに従う必要があるはずです。

 

 

今回はざっくりと、資金という面から、このプロジェクトについてご紹介してみました。

あと残り19日間、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

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