被災した人たちへ、楽しい思い出を写真集にして配布したい

被災した人たちへ、楽しい思い出を写真集にして配布したい

支援総額

692,000

目標金額 610,000円

支援者
61人
募集終了日
2015年11月27日

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2015年10月31日 22:38

「希望」岸洋子

避難所巡回の頃(2011年4月~7月)の話を続けます。


07:30
アシスタントなすちゃんの運転で自宅のある岩手県盛岡市を弟子Yと共に出発


10:00

三陸沿岸の町である宮古市に到着。


10:30
避難所になっている某小学校体育館で一時間のセッションをして、昼休み。弟子Yと現地の音楽療法士Mさんの4名でめぼしい食堂に入り、昼食を食べました。Mさんとはここで別れて、山田町へ向かいます


15:00
廃業したホテルに避難している障害者施設入所者の皆さんと活動


19:00
山田町の避難所(毎週違う場所)で活動

 

 時間割を見ていただいてお分かりのように、活動と活動の間の時間が結構長くて、どうやって暇つぶしをするか毎回懸案事項となっていました。と言うのも、我々音楽療法チームは避難所巡回をするにあたり、以下のようなルールを決めていたからです。

 

1)お邪魔した避難所では活動後すぐに退去する、長居は厳禁


2)避難所のトイレは原則使用しない、食事や飲み物、消耗品を提供されても断ること


3)記録用のカメラで瓦礫や被災風景の撮影はしない

 

 これらは被災した皆さんの心情を害さないこと、避難所は彼らの大切な生活空間であるから侵食しないこと、などを配慮するための最低限のルールでした。その為、空いた時間はどこかコンビニや道の駅の駐車場くらいしか居場所が無かったのですが、どこも混雑していて、なかなか休めないというのが実情でした。そんなある日、道の駅の壁に貼ってあったポスターに、山田町の中心街にある公園に、仮設テントの商店街が出来るという知らせを見つけました。いい加減、コンビニのはしごにもウンザリしていた我々は、新しいもの好きの性格もあって翌週の夕方空き時間に早速そこを訪ねてみました。

 

 山田町長崎にあるなかよし公園には、側面に大きく「FWP」と書かれたテントが設営されていて、中に入ると食料品店、ケーキ屋、花屋、本屋、ふとん店、写真屋、保険代理店などがひしめき合っていました。床は土がむき出しで、テントの布で仕切られた壁は何だか便りなさ気にゆらゆら揺れていましたが、お客も店の人も何だかイキイキとした表情に満ちあふれていて、見ているだけで私は何だかテンションが上がり、あまり読まない料理雑誌やファッション誌、ジュースと袋菓子、おみやげのクッキーなどを買い漁りました。

 

 外に出ると、公園だった部分もかなり残っていて、ブランコのあたりには学校帰りの子どもたちが集っていました。道路を隔てた向こうの一角は、震災の時の火事で燃え残った民家や、土台だけが残った商店が見えます。災害で一変した光景の同じフレームに、日常を普通に過ごす子どもたちの姿が一緒におさまっているのが、とても不思議に思えました。

 

「おじさんたち、ボランティア?」

 

 人懐こそうな坊主頭の小学生男子が一人、私に話しかけてきました。

 

「そう、音楽を届けに来たんだよ」

 

「えー、じゃあ何か音楽聞かせて」

 

 それを聞いた他の子どもたちもわらわらと集まってきました。

 

「うーん‥ここだと何も出来ないかな、代わりにいいもの持ってくるから待ってて」

 

 そう言って私はいったん駐車場に戻り、トランクに入っていたアートバルーン一式を出して、坊主頭の子のために風船で出来たプードルを作って渡しました。すると男の子は興奮した声で

 

「すげえ!あっという間に出来たよ!」

 

 と叫んで、嬉しそうに受け取りました。俺も!私も!と、次々に子どもたちが欲しがったので、大急ぎで10数名分の動物を作り、順番に渡していきました。喜んでもらえて良かった、と一息ついて私がベンチに座ると、子どもたちは丸くなって申し合わせたように一斉にバルーンを地面に叩きつけて、あっという間に足で踏みつけて割ってしまいました。

 

「おい、行こうぜ」

 

 と一人の子が叫ぶと、全員が振り向きもせずに遠くの空き地へと去って行きました。私も弟子Yも、呆然としたまましばらく口も聞けず、数分後にやっと風船の残骸を拾って公園をあとにしました。その後の避難所ではいただいたリクエストを20数曲歌ったのですが、最後に受けたリクエスト「希望」を歌いながら、脳裏には数十分前の子供達の粗暴な振る舞いが浮かんできました。

 

♪けれど私が大人になった時、黙ってどこかへ立ち去ったあなた

 

 当時は全国からの取材が被災地に殺到していた時期でもあり、私も何度か放送局や新聞社の記者やカメラマンと会う機会がありました。ある日、リクエストを受けて歌を歌っている最中に国営放送のカメラが入り、若い女性記者が取材したいと私に申し出ました。もちろん良いですよ、と快諾したのですが、彼女は一通りの質問を終えたあと

 

「さっき、リクエストで弾いていた曲ですが、あれ民放のアニメの歌ですよね。放送で使えないので、別のに差し替えたいんですが‥撮影するのでもう一度、やっていただけませんか?」

 

 と言ってきました。内心、私はこの非常時にすごいこと言う人だなと驚きを禁じえませんでしたが、にっこりと笑顔で

 

「わかりました、いいですよ」

 

 と言って、再び活動を始め、もっと放送で使えないだろう民放の歌に替えました。

 

 山田町の避難所での活動を終えて、帰路につくのはいつも夜8時半でした。盛岡まで普通に帰るとどうしても11時近くになり、少しでも早く帰りたい!と時間短縮を狙って山道を飛ばしました。

 

「あれ、こんな時間にこんな場所を自転車押している人いるよ」

 

 アシスタントなすちゃんが暗い山道でひとかげを発見しました。そう言われて私も弟子Yも窓から真っ暗闇の中を見てみると、背の低いハゲ頭のおじさんが、とぼとぼと自転車を押して歩いていました。人里離れたこんな山奥で、もしかしてパンクでもしたのかな?と心配になりましたが、すぐに姿が見えなくなりました。

 

「結局、何だったんだろうね。無事に帰れたかな」

 

 と翌朝なすちゃんと話していたのですが、何と次の週の帰り道も、そのまた次の週も、同じ場所で同じ状況の同じおじさんを‥見かけました。三人で。

 怪談にしてはまだ5月だったので早いとは思いましたが‥何だったんでしょう。
 

リターン

3,000


①お礼状(ポストカード)

支援者
31人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2016年2月

10,000


①お礼状(ポストカード)

②写真集1冊

③当法人ホームページへお名前の記載
(掲載を希望されない場合はご連絡下さい)

支援者
20人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2016年2月

30,000


①お礼状(ポストカード)

②写真集1冊

③「三陸ことば絵本」1冊

④オリジナルエコバッグ1枚

⑤当法人ホームページへお名前の記載
(掲載を希望されない場合はご連絡下さい)

⑥仮設住民がヘンプもしくは刺繍糸で編んだミサンガ、フクロウなどのマスコット、布製小物など5点セット
(色や模様、種類は在庫により変更がございます、あらかじめご了承ください。)

支援者
8人
在庫数
1
発送完了予定月
2016年2月

50,000


①お礼状(ポストカード)

②写真集1冊

③「三陸ことば絵本」1冊

④オリジナルエコバッグ1枚

⑤当法人ホームページへお名前の記載
(掲載を希望されない場合はご連絡下さい)

⑥仮設住民がヘンプもしくは刺繍糸で編んだミサンガ、フクロウなどのマスコット、布製小物など5点セット
(色や模様、種類は在庫により変更がございます、あらかじめご了承ください。)


⑦仮設住民と一緒に「歌と体操のサロン」体験にご招待
(2016年9月まで有効、現地までの交通費は自己負担となります)

支援者
3人
在庫数
完売
発送完了予定月
2016年2月

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